掴めぬ真実8
アクラスはたっぷりと間を取ってゆっくりと顔を上げ、意地悪な瞳を輝かせる。
「お、お前、何言ってんねん!」
アクラスの手を払いのけるように、カンザスは後ろに一歩引き下がった。
顔が真っ赤になっている。
カンザスはこういう気障ったらしいことにはまったく慣れないようで、なんと言葉を返していいのかも分からないようだった。
こういう卒あるところが彼の良さであり、それ故に人を率いる格がないと軽んじられるのだろう。
誰よりも情熱的で、誰よりも直向きに人を信じることができて、そして誰よりも冷静で偏りのない思考回路―――それは王者の品格。
その全てを兼ね備えながらカンザスがそう見られないのは、もっとも為政者に必要な要素を欠いているからだ。
王者の品格――それは大義の為に不必要な物を見限れる冷酷さ。
その冷酷さがないため、カンザスは王者から落ちて、物語で踊らされる哀れな道化師になってしまうのだ。
パクパクと口を動かし、泳いだ目でアクラスを見つめる。
「ホンマにお前は……。こんな時までふざけやがって!オレがビビってんのが、そんなにオモロイんか!後で見とれよ~!!」
「ああ……そんな風に捉えちゃったんだ……まぁなんでもいいけどさ」
小馬鹿にしたような顔でアクラスがクククッと喉を鳴らして笑うと、カンザスは更に顔を真っ赤にして頭を掻き毟り始めた。
ダンダンと足を踏み鳴らし、怒りを体で表現するカンザスをアクラスはただ面白いものを見るように、目を細めて見つめた。
「ム~カ~ツ~ク~!お前、ホンマに後で見とれ。ギッタギタにいわせたるからな!」
「はいはい」
「その言い方がムカつくねん!お前、絶対オレのこと主人やと思ってへんやろっ!」
「やだな~そんな訳ないじゃん。おれの唯一の馬鹿主…いや、素晴らしき御主人様ですよ?」
アクラスは誰もが見惚れる絶妙な微笑みを浮かべ、軽くウインクして見せた。
そうすれば更にカンザスが熱くなることは目に見えている。
こうやって先に進む時間を引き延ばしている訳ではない。
なんだかんだ言ってアクラスはカンザスとこうやって掛け合うように言いあうのが楽しいのだ。
何も考えずにただ場の雰囲気を楽しむ。
交わされる言葉には他意はなく、意味もない。
それでも全力で自分に応えてくれる存在がいる。
それが堪らなく愉しく、いつまでも続けていたくなる。
永遠に続くなどありえないと知りながらも永遠に続けばいいと願ってしまう。
なんと自分は愚かなのだろう。自分で自分を揶揄し、アクラスは口元を歪めた。
今まで殺伐とした闇の中で長い時を生きてきた。
信じられる者はなく、時に自分の感覚すら疑わしくなる世界だ。
その中でアクラスは、他者の命を奪うことに快感を得てきた。
時に自らの爪で、時に自らの知恵で、相手を狂わせ、傷つけ、絶望の内に命を奪う。
相手が強ければ強いほど、アクラスは自分の命など顧みずに戦いを挑んだ。
自分の存在に一片の愛着もなかった。このまま快楽の内に消えてしまえるのならそれでよかった。
なのに……目の前の青年が自分を拾った瞬間から全てが変わった。
獰猛な狂気が形を潜め、実に穏やかな充実感が体中を満たしている。
これが一時的なものだと知っている。
だからこそ、手放したくない。
最後の最後まで彼の側にいたい。
だが時はいつでも無情だ。
とり憑くように主人を愛す従者の細やかな願いなどあっという間に打ち砕く。
「ばっ……馬鹿って言いやがったな!お前…………」
カンザスが怒り心頭にアクラスの胸元を掴み、自分の方へと引き寄せたその瞬間、二人の間を切り裂くように、黒い塊が剛速で飛んできた。
風をも唸らせ、まるで弾丸だ。風の悲鳴に気付き、カンザスが視線を向けた時に全てが手遅れな距離まで来ていた。
カンザスの瞳がそれに吸い込まれる。
「なっ!なんや………」
「カンちゃん!伏せろ!!」
驚愕に目を開くカンザスを無理やり突き飛ばし、アクラスも同じ方向に飛ぶ。
瞬時、黒い塊が嘶きを上げながら通り過ぎていった。
まるで空気を射抜くような衝動だ。
勢いを衰えさせることなく、それは広間の壁にめり込んだ。
衝撃に石の壁に大きく亀裂が走る。
跳ね返った余波が広間をビリビリと震わせた。
素早く体勢を立て直したアクラスはそれが飛んできた方に鋭い視線を向け、闇の中からやってくるであろう存在に殺気立たせる。
片膝を立て、出来るだけ身を低くしてカンザスを守るように、敵の出方を見る。
その後ろで床から身を起こしたカンザスが息を飲んだ。
「あ……あれ、人や……女の子やないか……」
絶句したカンザスの見つめる方を横目で素早く確認し、アクラスは眉を寄せた。
自分も大概残酷な性質であるが、それでもいつまでも見ていたい代物ではなかった。
例えるなら骨のない肉人形だ。
かつては美しかったのだろうが、見る影もない。
乱れた白銀の髪、あらぬ方向に折れ曲がった首、青白い肌に幾筋も出来た真っ赤な線……そして大きく見開かれた碧眼。
か細い女が石の壁の中に貼り付けにされている。
それも一種芸術のような奇異な姿で……。
広がった流麗なドレスはエクロ=カナン風で、胸元が大きく開き、その縁を幾つもの刺繍と宝玉が彩っている。
その下は流れるまま、ウォルセレンやアンダルシアのように締め付けれらることなく、しっとりとその身を包んでいる。
艶めかしい肢体だ。
だが、それがすでに事切れているのは明らかだった。
張りのない肌からは生気の欠片も感じない。
魂なき器をあのように扱うなど正気の沙汰ではない。
「やっぱり、まともな所じゃないだろ?」
僅かばかりに非難を込めた声と共にカンザスを見やると、童顔が憮然と頬を膨らました。
でも……と言い訳がましく口を動かすが、流石に言葉が出てこないらしい。
確かにこんな事態に見舞われるなど誰が想像できるだろう。
敵の奇襲が、骨のない女を投げつけることなどアクラスだって思わなかった。
だからこれはただの八つ当たりである。
ちょっとでも自分の言葉に素直に従ってくれればこんなことは起きなかったのだ。
そう頑固な主人にちょっと意地悪をするくらい許されるだろう。
どう転んでもカンザスは先に進もうとするのだから、いくらアクラスが止めても聞く訳がないだから。