廃墟の天使1
「ここにいるのは分かっているぞ!ブラッディー・レモリー!!俺はシーリエント王国聖十字騎士団団長カイリだ!大人しく神の御許に跪け!」
遂に……遂にその時が来た。
姿を現した絶望が一際大きな咆哮を上げる。広間の端で少年を抱き締め蹲っていたハニーは空気に響いた轟音に身を竦ませた。
野太い声で責め立てられ、その腹の底に響く音に恐怖が沸き起こった。
押し寄せる騎士団に道を譲るように、一歩広間に踏み込んだ異端審問官は事態を面白がるように薄い口を歪めてハニーを見つめ、余裕の態度で腕を組んで壁に身を預けている。
彼はただ事態を傍観するつもりなのだろうか。
だがたった一つの凍てつく瞳は青白い炎を纏って、ハニーを獲物と捕らえて離さなかった。
彼の立つ入口の向こう、暗闇で無数の影がザワリと揺れた。
それも一瞬のこと。ハニーが息を吸う間もなく、影が形を顕わにする。
ハニーを捕らえようと現れた荒々しい騎士達が暗い通路の先にその姿を現した。
一体何十人という人間がいるのだろう。後から後から何人もの騎士達が皆同じ鎧に身を包み、狭い広間を目がけて一糸乱れぬ動きで迫ってくる。
言葉も浮かばず、ハニーは無意識に少年を抱きしめた。その顔は青褪め、頬や首元を濡らす濃厚な赤色が一際際立って見えた。
「貴女の…敵?」
ハニーの腕に包まれながら、少年は身じろぎもせずに真摯な瞳をハニーに向けてくる。
何かを思案するようにハニーと遠く迫りくる騎士団とを見比べた。
その不思議そうな青い瞳には一分の恐怖もない。まるで空気に溶け込んでいるかのような空虚な面持ちである。
ハニーを見上げる少年は顔を半分血で汚していたが、それでもその美しさは損なわれてはいなかった。
血に染まった少年はどこか陰を秘め、妖艶だ。
だが変わらずに天使のように愛らしく、それがこの無情な時の間においてただ唯一のハニーの救いだった。
「……そう思いたくないけどね」
少年の間の抜けた問いに口先で答えながら、ハニーは縋るように広間全体を見渡した。
まだ何か自分にとっての救いが残されているかもしれない。
なんでもいいのだ。
一瞬だけでもこの現状を覆す何かがあれば……。
だが刻一刻と現状は悪くなる一方で、強がった金色の瞳は一縷の希望も見出せない。
「彼らが消えることが貴女の望み?」
穏やかな声は、まるでハニーに好きな花を問うているような淡い響きを持って彼女の耳朶に届いた。
一瞬、何を問われていたのか分からないほどである。
淡々とした少年の言葉の意味を咀嚼し数秒後、ハニーはぎょっとした。
「違う!そんなことは望まないっ!……そうね、今のわたしの心からの願いはあなたとここから逃げ出すこと。あなたは心配しなくていいわ。わたしが、何が何でもあなたを助けるから」
呟くように答える。本当は自信を持って安心して!と少年を元気づけたいところだが、今は軽口を叩く余裕さえ湧いてこない。
視界の端に隻眼の異端審問官を捉えたまま、どこかへ身を隠そうかと視線を巡らせた。
だが行動に移す前に騎士の大群がこの広間に雪崩れこんだ。
(万事休す…ね)
逃げるは遅すぎる。
覚悟を決め、恐怖心と共に息を飲んだ。
来るであろう敵を迎え撃つようにハニーは最後の気力で金色の瞳を険しくした。
ガシャン、ガシャンと耳障りな鉄の擦れる音が狭い広間に不快な色を添えた。床を鳴らす振動で光の粒子が舞いあがる。
押し迫る迫力に淡い赤髪が今にも逃げ出したいと言わんばかりに踊り出す。
さっきまで暗闇の底知れぬ黒のみを映していたのに……乱れる赤に遮られたハニーの視界が俄かに青色に染まった。
それは隣国シーリエントを象徴する青いマント。その右肩に切り抜かれたように浮かぶのはもちろん純白の花十字。
そう――聖十字騎士団だ。
聖なる紋章をはためかせた猛々しい騎士団が静謐とした広間を殺伐とした雰囲気に変えた。
押し殺したような息使いが幾重にも重なり、恐ろしい唸り声に聞こえる。
小刻みに震える自分の肩を叱咤するように、ぎゅっと少年を抱き締めた。
このままでは少年が苦しんでしまうかもしれない。そう頭では分かっていても、なかなか簡単に体が動かない。
自由の効かない体の中で、たったひとつ忙しなく動くのは誰もが目を見張る金色の瞳。
その瞳が覚めるような青の中に誰よりも強靭な体嘔を持つ大柄な男を映し出した。
明るい金髪の髪の下の厳つい顔は掘りが深く、隆々とした筋肉に包まれた岩のような体はまるで軍神のようである。
さっき騎士団長だと名乗ったカイリが彼だとすぐに見て取れた。
いかにも騎士団の団長然としたカイリが腰に佩いていた大剣を抜き、その切っ先をハニーに向けた。堂々とした影が彼に従い、ハニーの前に進み出る。
カイリの青のマントがはためき、淡い光を受けて切っ先が煌めく。
「観念して神の栄光に頭を垂れろ!お前に逃げ場などない!!」