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掴めぬ真実5

 強い意志に溢れた金の瞳が力強く輝いた。

 黒い男の背を貫くほど眩い光であった。

 少しでも目の前の男の心にこの思いが届けばいい、そう願わずにはいられなかった。

 静寂の間に届く松明の仄かな明かりが時折揺らぎ、ハニーの前に佇む男の影を変える。

 サリエは何も答えない。その背は全てを拒絶しているかのように固い。

 何も受け入れようとしない深い闇を前に、ハニーは次の言葉を探してしばし口を噤んだ。

 何を言えば、この男の胸に届くのだろうか。

 サリエは悪魔の瞳と蔑まれる赤い瞳を抱えて、今まで生きてきた。

 そしてこれからも生きていかなければならない。

 それは永遠にも似た長い時間、膿んだ傷を抱いたまま生き続けることに他ならない。

 ハニーの金色の瞳が揺れた。

 まるで触れあった部分からサリエの痛みが流れてくるかのようにハニーは敏感にサリエの心を察した。

 絶対零度の氷は溶けることなく、赤い血が噴き出す傷口は永遠に塞がることない。

 直視することすらできないほど痛々しい姿だ。

 頑なに閉ざされた心を覆う氷が溶けだすことはあるのだろうか。

 それでも望まずにはいられない。

 いつか心を覆う闇が打ち払われ、溶けだした氷の下から、瑞々しい緑の葉が芽生えることを。

 ハニーはうまく言葉が出てこず、感情のままにサリエのマントを握り締めた。


「あの、だから……」


「悪魔はいる」


 何とか沈黙を破らんとハニーが口を開いた瞬間、それを押し留めるようにサリエが口を開いた。

 何かを胸の奥に押し殺したような、硬い響きだ。

 未だにサリエはハニーに背を向けていて、その表情は分からない。

 サリエの言葉に意味が分からず、思わず声を上ずらせた。


「え?今、なんて……」


「悪魔はいる。いろんな姿で、いろんな場所にいる。形なく広がり、闇に染まった心に浸透する」

 

 硬質な声。

 だが有無を言わせない力強さがそこにあった。

 圧倒されたまま、サリエの背を見つめ、ハニーは言葉を失った。


 悪魔はいる――それはハニーが至った結論とは別のものだった。

 ズルッとサリエに触れていた手が滑り落ちた。

 まるで相容れない存在だと拒絶されたようにハニーは思えた。

 ただただ茫然とその背を見つめる先で、サリエがゆっくりとこちらに向き直った。

 真っ直ぐにハニーを見据え、正面に立つ。

 闇のような右眼と炎のような左眼が静かにハニーを見下ろしていた。

 そこには冷たさも熱さもなく、ただどこまでも深い空虚が広がっている。

 ハニーは吸い込まれたように、色の違うその双眸を見つめる。

 嘲りも蔑みも、意地悪な素顔もない。

 真摯な瞳がハニーの胸の奥を噛み砕く。

 

「悪魔とは人の心に存在する。本などに書かれた黒い姿の異形の者はただのまやかしに過ぎない。魔法陣で召喚できるのは自らの欲に忠実なもう一人の自分だけだ」


 ギラリと赤い瞳が揺れた。

 焔だ。それも強力な業火だ。

 悪魔の瞳と呼ばれるのは、その強い意志が宿った瞳の放つ威光に身も心も飲み込まれてしまうからだろう。

 それはどんなに屈強な戦士であっても須らく逃げられない。

 じっと赤い瞳を見つめたまま、ハニーはサリエの言葉を反芻した。


「ただのまやかし……」


「そう、人の心が生み出した闇だ。その形なき悪魔こそが異端―――……」


 そう宣言した男の声はいつにも増して鋭かった。

 赤と黒の瞳には何の迷いもない。

 それが世界の真理であると信じて疑わない凄味があった。

 ハニーはただサリエを見つめた。

 サリエもハニーの金色の瞳を見つめていた。

 混じり合う色が歪み、そして薄墨の景色に火花を散らした。

 これから何が起きるのか。

 ハニーには分からない。

 ただずっと見つめていたいと思った。

 その悲しい瞳に映った現実を。

 呆然と自分を見つめるハニーにサリエはゆっくりと片手を伸ばした。

 まるで割れ物に触れんばかりの繊細な手つきだ。

 その長く、しなやかな指がハニーのか細い首にかかる。


「―――っえ……………」


 息を飲む間もなかった。

 思考が弾け、時間が気だるいほどゆっくりと流れる。

 ハニーは呆然と、ただされるがまま目の前の男を見つめ続けた。

 ぐっと息がつまり、視界がぼやける。

 一体何が起きたのか、まったく理解できない。


(……あぁ……わたし、今、彼に首を絞められてるんだ……)


 ようやっとそれを理解出来た時には、片手で首を押さえつけられたまま、部屋の奥へと追い込まれていた。

 ハニーを取り残して、目まぐるしく視界に映る光景が変わる。

 薄闇に浮かぶ青白い壁。

 角が丸く、緻密な彫刻の施された化粧台。

 壁に掛けられた幾何学模様のタペストリー。そして………。

 ハニーが懸命に呼吸しようと喉を引き攣らせた時、ハニーの視界にあったのは薄いシルクで覆われた天蓋の天井だった。

 膝に何かが当たって、ガクリと体が傾く。

 その勢いのまま、ハニーは弾力に富んだそこにダイブした。

 そこが部屋の中央に設えた大きなベッドであると分かったのは、ハニーの体重を受けて柔らかく床が沈んだからだろう。

 だが床が柔らかくてよかった、などという感想はまったく頭に浮かばなかった。

 今はただ、目の前にある熱き焔に釘付けになっていた。

 呆然と視線の先にある赤い瞳を見つめた。

 力なく押し倒されたハニーの体の上に黒い影が覆いかぶさっている。

 その黒から伸ばされる長い腕は未だにハニーのか細い首に伸びていて、長い指がハニーを逃さんとしてきつく絡みついてくる。


「っひゅ………」


 何とか吸い込んだ空気が妙に軽妙な音をたてて、抜け出ていく。

 苦しさに思わず顔を顰めた。

 だが目と鼻の先にある氷の美貌は何一つ変わらずにハニーを見つめていた。

 ハニーを押さえているのとは反対の手がハニーの額にかかった赤い髪を優しく梳き、そのまま頬を撫でていった。

 首に絡まっている指と違い、触れるか触れないかの力加減に肌の奥がゾワリと震える。

 この男の意図するところがハニーには分からない。

 まるで今から睦言でも囁きそうなほど凄艶な瞳でじっとハニーを見つめてくる。

 その視線がゆっくりと顔から降り、ベッドに投げ出されたハニーの肢体に注がれる。

 襤褸切れしか纏っていないハニーの柔肌は、外の明かりで闇夜に艶めかしく浮かび上がっていた。

 剥き出しの肩に、力なくベッドに投げ出された腕。

 慎ましやかな胸元を守る衣は裂けていて、恐ろしく頼りない。

 きゅっと引き締まった腰、その下にあるのはほっそりとした二本の脚――ラフィがヴィーナスと称した瑞々しい弾力に富んだ足が惜しげもなく晒されている。

 サリエは足先までやった視線をそのまま顔にまで戻すと何事もなかったように、じっとハニーの瞳を見つめ続ける。

 まるでその瞳の中にハニーの全てを見出そうとしているようだった。

 視線がハニーの纏う気配を一枚一枚剥いでいき、その奥底に隠れている素のハニーを汚そうとする。

 身体で交じらず、精神で溶けて混じり合っているかのような不可思議な熱さに犯され、ハニーは身を強張らせた。

不意に与えられた熱い吐息がハニーの肌を燃やす。

 瞬間、頭が真っ白に燃え上がる。



「――――……なぁ、魔女はどんな声で啼くんだ?」


 

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