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掴めぬ真実2

「……え?」


 ハニーは息を飲んだ。

 何が起きているのかすらハニーは分からかった。

 気配も音もない。

 あるのは張り詰めたような静寂のみ。

 だが確実にその影はハニーを捕えていた。

 彼女の体を羽交い絞めにし、息一つ漏らす暇すら与えない。

 この時になって初めてハニーは自身を襲った存在に気が付き、体を強張らせた。


(なっ……)


 塞がれた口から言葉にならない驚きが零れる。

 視界が勢いよく廻り、体が傾いだ。

 もう何が何だか分からない。

 分かるのは自分を包み込む熱いほどの力強さだけ。

 ハニーはそのまま影に飲まれていった。

 影は実にスマートにハニーを近くにある部屋の中に無理やりエスコートすると、静かにその扉を閉めた。

 その周到な手腕に抗えるはずもない。

 その力強さに従うしかなく、ハニーは然したる抵抗も出来ずに、ただただ自分の体を包む束縛に身を固くするしかできなかった。

 その影に身を委ねるしかないものの、ハニーの胸の内は激しく暴れ回っていた。


(何っ!何者なの?)


 混乱するばかりで、疑問に対する答えが見つからない。

 ドクドクッと濁流となって体を巡る血潮がハニーから思考することを奪う。

 体中にその音が響き、熱い胸の内に反して体は凍りついたように冷たく固まった。


「っ……」


 口は覆われているが視界は遮られていない。

 ハニーの前にあるのは城に設えた客間のようだった。

 瀟洒な家具と天蓋付きのベッドが薄闇の中に浮かんでいた。

 明かりと言える明かりは大きな掃き出し窓から差し込む、外の松明の明かりだけだ。

 清かなる月の光も雲隠れしているのか、闇に包まれた城までは届かない。

 何とかその影に抗おうと身を捻じるが、ハニーの背には黒い影がぴったりと密着していて、簡単には解けそうになかった。

 焦り、更にハニーの身が強張る。

 それを感じたのか、更に影が身を寄せてくる。

 衣越しに感じるのは、仄かな温かさと力強い肉体だ。

 彼女の口を塞ぐ影はかなりの長身らしく、身を屈めてハニーを抱き竦めている。

 すべやかな肌がハニーの髪に触れ、さらりとした髪が強張ったハニーの顔にかかった。

 薄暗くてよく分からない状況なのに、ハニーは咄嗟に滑らかな黒髪だと思った。

 この薄闇あっても黒と分かるほど濃いぬば玉の黒である。

 その深い色に何故か心臓が跳ねた。

 慣れた手つきで拘束されており、抵抗しようにもびくともしない。

 それでも暴れずにはいられなかった。

 掴まれた手に鈍い痛みが走るが、構わず全身を激しく振る。

 するとハニーを押さえる影も業を煮やしたのか、ハニーの動きを封じている片手に更に力を入れ、ため息交じりにハニーの耳元で囁いた。

 それは耳朶をくすぐり、甘い響きを持って体中に火を付ける。


「暴れるな。そして騒ぐな」


「むぅ~!」


 ハニーは声に弾かれて更に激しく身を捩った。

 この声に聞き覚えがある。体の奥底に無理やり刻まれた、その声に心臓が激しく反応する。

 何故ここにこの男がいるのか。

 そんな当たり前の疑問など湧いてこなかった。

 ただ体の奥に刻まれた条件反射のように、ハニーは無理矢理でも後ろを振り返らんとする。

 ずっと思っていた。

 再度、この男に巡り会えば罵詈雑言を交えて手厳しく詰ってやろうと。

 蔑まれ、貶められ、挙句崖から突き落とされたのだ。

 彼を非難する権利がハニーにないはずがない。

 一言でも文句を言ってやろうと渾身の力を込めて手足をばたつかせた。

 怒りに体が火照り、瞳が潤んでくる。

 それは影にとって、思いも寄らない力の抵抗だったのだろう。

 たじろいだようにその手を一瞬緩め、しかし素早くその両手でハニーの体を抱きとめた。

 そのまま、ぎゅっとハニーの体を自分の方へ抱き寄せる。

 解放されたハ二―の口が大きく息を吸って叫び出す前に、彼は静かな声で彼女の耳元で甘く凄んだ。


「勘のいい女は嫌いじゃない。だがこれ以上に騒ぐのは止めた方がいい。俺の手は二つしかない。暴れるお前を押さえつけたら、必然的に俺の口でお前の口を塞ぐことになるが、それでもいいんだな?」


「っっ…なっ、んなっにっ……って………」


 その脅しにハニーは絶句した。

 彼が何を言っているのかすぐに理解できなかったのだ。

 確かに彼は今、両手でハニーの体を押さえつけている。

 両手の動きまで絡め取られ、ハニーは自由を奪われて彼に支配されていた。

 肺も抑えつけられ、呼吸もままならない。

 だが口は別だった。

 やっと解放された口は自由に息を吸ことは難しくても、ハニーの意志に従うことが出来た。

 何かしら言葉にしてこの男を詰ってやろうとしていたハニーの口が言葉なく、パクパクと動く。

 耳元で放たれた言葉はハニーの中で弾け、爆発するほどの効力を秘めていた。


(なっ!口で口を塞ぐって……それはキスって言うのよ!冗談じゃない!いくら顔がよくても性格の悪い男なんて御断りっ!)


 慌てて口を噤み、ハニーは泣き出しそうな顔を激しく横に振った。

 懸命の抵抗だった。だがこのまま暴れていては、いつ彼が強行突破に挑んでくるか分からない。

 ハニーはしぶしぶと彼に従い、腕の力を抜いて抵抗をやめた。

 すると影は「やっと話を聞いたか」と呆れたように呟き、拘束を外した。

 密着していた体温が離れていく。

 瞬時に冷やかな城の空気がハニーの身を撫でていった。

 それはあまりにも冷たくて、さきほどまであった熱が恋しく思えた。

 しかし相手はハニーのことを突き放し、殺そうとした輩だ。

 恋しいなど間違っても思う相手ではない。

 影が離れた瞬間、ハニーは身を捩って、影との間に間合いを取った。

 そのまま対峙したその影を正面に見据え、短く叫んだ。


「何でっ?何であなたがここにいるのよ!」


 金色の瞳を険しくして目の前にいる、見慣れた黒い男をねめつけた。

 見つめる先にあるのは、相も変わらず視線を奪われてしまう氷の美貌だ。

 無造作に掻きあげられた髪が左の眼帯の上に幾筋もの線となって落ちている。

 その身を包むのは闇と溶け込むような黒いマントだ。

 その黒に鮮やかに浮かび上がる赤い花十字。

 そう、忘れもしないこの男――隻眼の異端審問官サリエ。

 闇よりも深い闇を纏う死の天使は揺らぎない闇色の瞳でハニーを見下ろしていた。



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