表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
139/209

潰えた絆6

 その疑問に答えてやりたいが、ハニー自身もまったく分からない。

 何故大鎌が砕けたのか。どこから短刀が飛んできたのか。

 辺りを見渡してもアシュリとハニー以外は誰もおらず、人の気配すらない。

 さっきまでなら想像もつかない光景だ。

 ハニーが傷つくならともかく、死の天使であるアシュリが傷を負うなど、誰が想像しただろう。

 しかしそんなこと、今はどうでもいい。

 もっと気にしなければならないことがある。

 ハニーは弾かれたようにかけだした。

 そのまま、銀の雨が已み終らぬうちにアシュリの方へと走り寄ると、僅かに空気に残った銀の雨からアシュリを守るように、彼女の頭に覆いかぶさる。

 雨は千の矢となって遍く降り注ぎ、ハニーの背に赤い翼を描いた。


「なっ!……お、お前は………何を………」


 ハニーの思いもしない行動にアシュリは更に目を見開いた。

 どれだけの痛みを加えられようと流石は死の天使。

 苦痛に取り乱したり、理性を失わない彼女だが、ハニーの行動には混乱させられたようだ。

 大きく見開かれた瞳は現実を受けいれられず、痛みすら忘れ困惑に揺れている。

 だがアシュリに答えを与えてやる余裕などハニーにはない。

 もう無我夢中で、真っ白な頭が導くままに体を動かしていた。

 雨が去ると、ハニーは素早く自身の着ていたラフィの服を破き、傷口に巻きつけようとした。

 二指の生々しい断面には、ヌメリとした鮮やかな赤い身と真ん中にある白い骨がくっきりと見て取れた。

 あまりの生々しさに胸の奥が不快さを覚え、胃液が逆流してくる。

 込み上げる吐き気をなんとか堪え、ハニーは二指に巻きつけると、そのまま手首もきつく結んで止血を施す。

 気持ちばかりが先走り、うまく指が動かない。

 ハニーは不甲斐ない自分の手先に悪態を吐きながら、何度も何度も結び目を結び直した。

 応急処置など分からない。

 どうすれば血が止まるのかも分からない。

 だが必死だった。

 何とかなるまで自分を自分で止められない気がした。

 何重にも手首を括りつけると血は幾分か勢いを弱めた。

 だが白いシャツはすぐに真っ赤に染まっていく。


「はっ………離せ………」


 今にも手を振い払いかねない手負いの獣の弱々しい強がりを頑なに抑えつけ、ハニーは余裕なく睨みつめた。


「黙りなさい!!」


 気位の高い眼差しに見下ろされ、アシュリが一瞬言葉を詰まらせる。

 見開かれた瞳が、彼女も混乱の中にいるのだと物語っていた。

 ハニーを押しのけようとする手から力が抜けていく。

 アシュリの動きが止まったのを確認するとハニーは大きく息を吐いた。

 そのまま視線をアシュリの顔から右手に向けると、手を動かしてアシュリの腕を白い衣で包んでいく。

 痛みのために、それ以上抵抗することもできなかったのだろう。

 アシュリは無表情のまま、ただただ他人事のように見つめた。

 ハニーは華奢なアシュリの腕を何重にもきつく締め上げると、次は壁に打ち付けられた左手の方に視線を移した。

 短刀は、華奢であるといえ人の手を貫き、更に石の壁に打ち付蹴られている。

 どれほど強力な速さでこの短刀は飛んできたのだろうか。

 短刀が風に唸る音すらハニーは聞いていない。

 聞こえたのは、空気が裂けるような大鎌が崩れていく音だけだ。

 砕けた大鎌の原理も、飛んできた短刀の仕組みもハニーには皆目見当もつかない。

 この回廊には隠された壁以外にも何か仕掛けがあったのだろうか。

 だが、それがどんなタイミングで発動したのだろうか。

 アシュリを前にハニーは努めて冷静を心掛けていたが、本心は泣き叫びたいほど不安だった。

 見えない敵がどこで自分を狙っているか分からない。

 このどこまでも続く闇にいれば尚更、恐怖を掻き立てられるのだ。

 ハニーは怯えが零れ落ちないように唇を噛みしめた。


(今は……アシュリだ。この子のことだけを考えろ!)


 ハニーは短刀の柄を両手で握りしめた。

 ぐっと力を込めて引くが、ビクともしない。

 代わりにアシュリの口から痛みに耐えるような吐息が漏れた。

 視線を向ければ、雪の結晶のような愛らしい顔が眉を寄せ、必死に押し寄せる疼痛に耐えている。

 これだけ深々と突き刺さっているのだ。

 触られて痛くない訳がない。

 ハニーなら痛みに我を忘れ、暴れ回っているだろう。

 ハニーといくつも変わらない少女が、気の狂いそうな痛みに耐えている。

 それは吹きすさぶ暴風に身を曝す、しなやかな細木のようであった。

 屈強な精神力なくして、耐えられる訳がない。

 耐え残った細木だけが花を咲かし実を結び、そして大木へと成長する。

 か細いアシュリは見た目は細木だが、大木のようにずっしりと根を張っている。

 それは幾度の嵐をも耐え抜いた死の天使の高潔な使命感によって成っているのだ。


(この子は強い……でも、そう長くは持たない……)


 必死に苦痛に耐える顔に大粒の脂汗が浮かんでいる。

 美しいアイスブルーの瞳も視線が定まらなくなってきている。

 アシュリの体の負担を考えるとあまり何度も押したり引いたりと試してはいられない。

 ふうっと小さく息を吐くと、自分に言い聞かせた。

 勝負は一回きりだ。そう自分に言い聞かせる。

 その時、アシュリが薄い瞳の色を更に蒼白させてハニーを見あげてきた。

 その表情からハニーの姿をまともに捉えきれていないのは見て取れた。

 震える唇から今にも途切れそうな吐息混じりにアシュリが呟く。

 アシュリが語りかけているのは、ハニーではなく他に染まらぬ尊い自分自身だったのかもしれない。


「………抜けないなら、手首も切ってくれ……いや、むしろ殺して……」


「……っな!バカなことを言わないで!!殺す気も、手首を切る気もないわ!」


 言うが早いか、ハニーの手がアシュリの頬をはった。

 パシッと乾いた小気味いい音が回廊に響く。

 ひゅっとアシュリが息を飲み、反射的に衝撃を受けた方に目をやる。

 ハニーはその顔を真正面から見つめた。

 振り上げた手が小刻みに震え、ぶったハニーの手も赤くなっていた。

 それでも視線を外すことなく、ハニーはアシュリを睨みつめた。

 朦朧としたアイスブルーの瞳が我を取り戻し、光を散らす。


「すぐに自由にしてあげるわ。だから、少し我慢して!」


 ハニーは腹の奥に力を込めた。

 そのままアシュリの左手と左手に突き刺さった短刀の柄を掴むと、足を壁に踏みだし、力の限り引っ張る。

 グニッと短刀の先が石の中で動いたのを感じ、ハニーは更に腕に力を込める。


「…わ、わたしにはね、絶対に譲れない三カ条があるの――…まず自分の手で抱えることのできるものは絶対に捨てない。次に、自分の思いに揺れ惑ったりしない。最後に……」


 アシュリの気を紛らせるためか、それとも自分が何かを話していないとうまく自身をコントロールできないからか。

 ハニーはアシュリの相槌なども聞かず叫ぶ。

 その間も両手はぐっと力んで、石の壁から短刀の先を抜きだそうといる。


「何があっても立ち止まらない!そう――――時に迷って後戻りしたくなっても、時に疲れて休むことがあっても、でも絶対に歩むこと自体をやめたりしない。だからわたしは今、目の前のあなたを捨てないし、そう決めた意志に揺れたりしない。そしてあなたを救うまで絶対に立ち止まらない!」


 キンッ――…とか細い悲鳴を上げ、短刀の先が石から顔を出した。

 短刀の刺さったままのアシュリの手が冷たい石の魔の手から解放され、反動の為か、大きく宙を掻いだ。


「―――っ抜けった!」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ