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潰えた絆5

 ハニーは身を低くして、アシュリの足元目がけ飛びだした。

 武器を手にするものを相手になんと無謀なことだろう。

 一撃をかわせても、二手三手では確実に後れを取るのは目に見えている。

 だが、大鎌は間合いが広く、それ故に接近戦には向かない。

 ならこの一撃さえなんとか捌けば、この狭い回廊においてハニーにも勝機があるはずだ。


「……なにっ!」


 土壇場で自分から刃の方に突っ込んでくるなど、誰が思うだろう。

 それも百戦錬磨の戦士ならともかく、見目にひ弱な女だ。

 それが屈強の戦士に負けぬ気迫でぶつかってくるのだ。

 流石のアシュリもハニーの勢いに目を丸くさせた。

 驚愕にその俊敏な動きが一瞬止まった。

 だがそれはたった一瞬のことだ。

 ハニーが余裕ない視線を彷徨わせた時には、ハニーの頭上高くに鋭利に輝く白銀の兇器があった。

 魔女の鉤爪のように鋭く曲がった切っ先が天井から雷のような空を切る。

 その切っ先がハニーを捕えるのが先か、それともハニーがアシュリの足元に飛びつくのが先か―――たった一瞬でもアシュリの動きを止めたことがハニーの勝機になるか。

 しかし今はそれにしか全てを託せない。

 闇に体を投げ出した。

 空を切った両足が空気に抗い、風を切る。

 その勢いのまま、ハニーは頭からアシュリの膝頭にぶつかった。

 アシュリを押し倒さんと伸ばした手がアシュリの背で気ままに靡く黒いマントに触れた。


(いける!!)


 そう自分に言い聞かせたハニーのすぐ側まで大鎌の間の手は迫っている。

 風すらも一刀両断に切り裂く大鎌の鋭さは並ではない。

 たった一瞬意表をついたからと言って、ハニーなどアシュリの敵ではないのだ。

 だが諦めることを諦めたハニーにはもうそんな理屈は通じない。

 動き出したら最後。

 もう止まれない。


「ぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぁぁぁぁぁぁいぃあぃぃあいぁいぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁぁ」


 全身全霊をかけて振り絞った叫びは獣の咆哮のようだった。

 世界が反転した。

 ハニーの体がぐらりと傾き、そのまま地下深くに飲まれていく。

 ハニーは固く目をつぶり、来たるべき衝撃に備えた。

 空を切る手がアシュリのマントを掴み、そして――――。


「……ッヒギャァッ!」


 喉が潰れた蛙のような歪な悲鳴が遠くに聞こえた。

 それと同時に、ピシッと手に掴めぬ空気を割れるような音がハニーを包む。


「……え?」


 想像の付かない音にハニーが吐息を漏らした。

 背中で乾いた空気が炸裂している。

 伝播した波動に表皮がビリリと痺れた。

 だが、振りかえる余裕はない。

 今はただ投じた未来に身を任せるのみ。

 ハニーは目を閉じたまま、風を切り冷たく固まった床に顔面から落ちていった。

 このまま顔面激突は免れない。

 少しでも痛みから逃げ出そうと、ハニーは固く目を閉じた。

 直後に左の頬を激しくぶたれ、眼球の奥に火花が散った。

 痛いと思う間もない。

 そのまま体は床の上を滑って行く。擦れた箇所から火が上がりそうなほどの勢いだ。

 ハニーは、アシュリのドレスの裾辺りにぶつかると予測していた。

 それがどうだろう。

 絹のドレスなら同じ痛みを感じたとしても、もう少し柔らかな感触に包まれるはずだ。

 だが今、ハニーの肌が焼けただれそうなのはざらついた無機質な石の表面と擦れたからである。

 どこにもアシュリの感触がない。

 寸での所で避けられた―――それは考えるまでもない単純明快な答えだ。

 思い当たり、ハニーは唇を噛みしめた。

 決死の行動がただの悪あがきにしかならなかった。

 だがこれで悪あがきをやめるハニーではない。 

 慌てて、床に手を着いて膝を着く、そのまま素早く後ろを振り返った。

 赤い髪が金色の瞳の視界を流れていく。

 首を捻じったハニーの後を追うように淡い赫がゆっくりと踊っている。

 その僅かな隙間にある光景にハニーは驚愕に目を見開いた。


 もどかしいほど優雅に揺れる髪の向こう―――陰鬱な回廊に、銀に輝く雨が降っていた。

 幾千も幾万もある細やかな白銀の雨に暗い回廊が薄ぼんやりと光って浮かび上がっていた。

 地面を叩く雨は金切り声がハニーの耳でこだまする。

 キンッ――っと硬質な金属音が幾重にも重なり、空気を震わした。

 ハニーは息を飲んだ。

 これは幻だろうか。

 それとも闇に引き込まれ、そのまま妖の住む魔界に紛れ込んでしまったのか――――。

 何が起きているのか分からない。

 両膝をついたまま、振りかえったままの恰好でハニーは茫然と銀の雨を見つめた。

 圧倒的な光景に言葉を奪われ、動くことすら叶わなかった。

 ハニーの視界を覆う白銀の雨―――それはかつて月の清けさを宿した兇器のなれの果てであった。


「なんで………」


 やっと張りつめた吐息を漏らした。だが幻は夢に消えたりしない。

 銀の雨は地下を覆う闇すらも溶かしていく。

 その銀の中に黒い影があった。

 その中心にある暗闇だけはどれだけの光を以てしても染めることは叶わないようだった。

 ハニーは思わず立ち上がって、叫んだ。


「アシュリ!!」


 千の雨がアシュリを打つ。

 アシュリは光の粒のような雨を一身に受け、まるで待ち望んだ雨に歓喜するように踊っていた。

 紺の髪が銀の間に揺れ、頼りなげなアイスブルーの瞳が瞬く。

 黒衣の裾がめくれ、優雅に舞いあがる。

 それは熱した鉄の靴を履かされた魔女のよう。

 いつまでも已まない苦痛から逃れんと、華奢な身を必死によじっている。

 いくら粉々になっても元は人を狩る凶器だ。

 銀の粒は無限の矢となって真っ直ぐにアシュリに降り注ぎ、その身を裂く。

 千の雨がアシュリの黒衣を裂き、顕わになった柔肌に赤い印を刻む。

 青白い彼女の肌の中でその赤が浮かんで見えた。

 だが、そんなことは些細なことだ。

 ハニーは食い入るように、もっと鮮烈な赤を見つめた。

 呪われたように視線を逸らすことも叶わない。

 銀の雨に赤が混じる。いや、雨というにはあまりに激しい。

 まるで噴水のように噴出した赤い血がアシュリの儚い顔を染めていく。

 この時初めてハニーはアシュリの表情らしい表情を見た。

 それは驚愕。

 何が起きているのか、未だに何が起きているのかまったく理解できないとばかりに、幼子のようなあどけない瞳がハニーを見つめている。

 アシュリの手にあの大鎌はない。

 大鎌は刃も柄も全て粉塵に帰し、彼女の足元に積もっている。

 そしてついさきほどまで大鎌を握りしめていた右手はまるで赤い杖を握っているようだった。

 本来あるべき二指が異様に短くなり、そこから赤い血が噴き出しているのだ。

 赤く染まった、白い指先が妙に艶めかしい。

 ピクピクと震える残りの指が何かを握ろうと、必死に足掻いていた。

 それだけではない。

 アシュリのもう一方の手には短刀が突き刺さり、そのまま石の壁に打ちつけられている。

 よく見れば、彼女のドレスの裾にも短刀が刺さり、彼女の動きを奪っていた。

 雨の中に取り残されたアシュリのアイスブルーの瞳が答えを求めるように揺れた。


「何故―――」


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