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潰えた絆1

 抑揚ない声と共に、風を薙ぎ倒す轟音が響いた。

 何事かと振り向く間もない。

 次の瞬間、ハニー達が来た回廊の先で何かが弾け飛ぶ音がした。

 細かな石の破片が爆風に乗って、千の矢となって襲いかかってくる。


「伏せろっ!」


 ラフィの剣呑な声にビクリと身を竦ませ、ハニーはエルに庇われるように、先ほどまでロロンがいた牢の中に倒れ込んだ。

 ぬるりとした水の膜越しに、ざらざらとした石の質感が伝わってくる。

 冷たい、体の芯まで凍りつきそうな痛みが遅れてせり上がってきた。

 倒れ込んだ拍子に、鉄格子の一部で身を切ったらしい。

 だが、そんな傷など可愛いものだ。

 聞き覚えのある玲朗な声に心臓が激しく暴れる。

 怖い。

 身に刻まれた恐怖が内臓を押し上げてくる気持ち悪さに、吐き出しそうになった。

 じくじくと痛みを増す傷を無意識に庇いながら、ハニーは恐れに歪んだ瞳を牢の向こうに向けた。

 あの壁の向こうに何がいるのか、ハニーには想像に難くなかった。

 そう――こんな傷など比べ物にならないほど恐ろしい存在がハニーに迫っているのだ。

 ハニーの目には、この狭い地下の回廊の向こうから、紺の髪を揺らし近付く黒衣の少女が映っていた。

 混乱する頭に鈍痛と心臓の奏でる警鐘が鳴り響く。

 まさかこんな場所で誰かに襲われるなど思いもしなかった。

 誰がこんな見捨てられた城の地下牢になど目を向けるというのだ。

 なのに……彼女は確実にハニーの喉をその大鎌で捕えたのだ。

 足元を全て崩されたような恐怖に中々、足が立たなかった。

 焦燥ばかりがハニーを駆りたてる。

 制御をうしなった思考が体中を錯綜し、うまく現状を把握できない。恐怖に引き攣る喉が、浅い吐息ばかりを吐き出している。


「……ぁ……っぁぁあ……なんで、ここに……?」


 何故森にいたはずのアシュリがこの城の地下にいるのだろう。

 いや、そんなことよりも彼女がここにいるのならば、彼女と剣を合わせていたカンザスはどうなったのだろう。

 ハニーを助けたが為に、聖域の敵となってしまった哀れな青年。

 あの意思強く果敢な青年はどうなってしまったのだろう。

 無情な運命の手で心臓を鷲掴みされた気がした。

 青白い肌を冷やかな汗が流れていった。

 次々に胸に浮かぶ疑問の答えは、アシュリの腕の中にある。

 そう――あの禍々しい赤に染まった大鎌の中に……。

 恐怖などという可愛い言葉では言い表せない、苦く痛みを伴う激情が胸の中でとぐろを巻き、それでも足りぬと暴れ出す。


「……違う……そんな訳ない………」


 自分の思考を全力で否定するとハニーは、激しく被りを振った。

 信じられる訳がない。

 自分を庇った者が傷つき倒れゆく現実など認められない。

 だが誰に対しても平等に微笑みかける時が、ハニーにだけそんな悠長な間を与えるはずがない。

 己の精神の均衡も取れないハニーを非情な現実の世界に引き戻したのは、闇を切り裂くラフィの鋭い声だった。


「おいっ!ハニー!!立ち上がれっ!」


 その声にハニーはハッと顔を上げた。

 そこにあったのは、優しい色合いをした力強い瞳だった。

 暗い地下牢の中にあって、旅人を導く北極星のように眩い光を放つ。

 そのヘーゼルの瞳がハニーを牢の外に導こうと物言わずに語りかけてきた。

 しばしヘーゼルとゴールドが混ざり合い、次の瞬間弾けた。


(……そうだ、今はこんな場合じゃない……大丈夫だ。カンザスもきっと無事だから……だから………)


「……わたしは進まないと……」


 絞り出すようにそう呟くと、ラフィの方に大きく頷き返す。

 床に投げ出された体を素早く起こすと、もがきながら立ち上がる。

 倒れた拍子に出来た擦り傷が思考の中に滲むように響くが、そんな些細な痛みを打ち払い、金色の瞳で前を見据えた。

 そこには遮るものが何もない牢の口が開いているのみ。

 その前でラフィがロロンとキャメルを庇い、自らを激しい爆音の盾になっていた。

 亜麻色の髪の間に赤い筋ができている。

 よく見れば、薄着の彼の服には無数の裂け目ができていて、赤く滲んでいた。

 今まで何かある度に怯えて悲鳴を上げていた彼が、誰よりも屈強な戦士のように頼もしく見える。

 いつの間に、あのおちゃらけた男がこうも堂々と現状を見極められるほどに成長したのだろうか。


(そうだ。あのラフィが身を張って守ってくれているのに、わたしだけが怯えているなんて情けない!)


 胸に渦巻く言いようもない憤怒の情を自分へと向けた。

 何でも良かったのだ。

 この状況で自分を奮い立たせるためならば、どんな蔑称も喜んで受け入れ、自分の足を動かす動力としたかった。

 ハニーは大きく金色の瞳を見開いた。目の前にあるのは茨の道だ。

 だが今まで以上に道が険しかろうが、それは分かりきったこと。

 どうせ血に塗れ、汚れきった身だ。

 これ以上血に濡れることを厭う理由も蔑みに傷つく自尊心もとうに失っていた。

 ただ彼女の中にあるのは、自らが果たさんとする使命のみだ。

 素早く立ち上がると、ハニーはラフィに向かって叫んだ。


「ラフィ!そのままキャメルとエルを抱えて、来た道と反対方向に走って!あっちにも通路はある!」


 ハニーの咆哮に、ラフィが弾かれたように片手でエルとキャメルを掬いあげ、駆けだした。

 来た道を戻るのとは訳が違う。

 先に何が待ち受けているか、こちらは未知数だ。

 目指す先は、城から離れた丘の裾野だ。

 この、長くどこまで続くか分からないほど深い地下通路の果てはそこに繋がっているらしい。

 城が敵勢に攻められた際の秘密の逃走路なのだ。

 らしいと称したのは、自分でその先を進んだことがないからだ。

 この城の地下さえ話には聞いていたが、実際に足を踏み入れたのは初めてだった。

 回廊は人一人がやっと通れる狭さだ。

 重厚な石が圧迫感をもたらし、見た目以上に息苦しい。

 ラフィは自分の身に自分以外の三人もの人を抱えながらも、速度を衰えさせることなく俊敏に通路を抜けていく。

 流石大柄なだけあって、細身とはいえ二人も抱きかかえ、もう一方の手で背中のロロンを支えている状況でもなんら支障はないのだろう。 

 その後ろをハニーは懸命に続いた。

 あまりの速さにその背を追うのがやっとなほどである。

 大股のラフィの一歩がハニーにとっては数歩以上の距離になる。

 ハニーは引き離されてなるものかと、ラフィの背を必死に追った。

 今はラフィの背を追うことに夢中にならなければ、足を動かすこともままならなかった。

 そうでもしないと、骨の髄まで食らいつかれるような殺気や背に迫る恐怖に埋め尽くされてしまいそうだった。

 足を進める度に息が上がり、ひゅっと詰まったような嗚咽が喉を込み上げる。

 それでもその嗚咽を飲み込み、足を叱咤させて進む。

 だが歩幅の繰り出す距離は如何ともし難く、徐々にラフィの背が遠のいていく。

 ひんやりとした外気が肌を舐め、妙に気持ち悪い冷や汗が背筋を流れていく。

 見えない先に、見えない敵。曖昧な感覚が更にハニーの余裕を奪っていく。

 どうかこのまま逃げ出せたら。そう祈る心は、背中に響く死の旋律に呆気なく霧散した。

 カンカンと石に震動する甲高い足音は、確実にハニーに近付いている。

 今度こそ、あの大鎌が自分の喉にかかるかもしれない。

 楽しくない想像にぞっと身の毛が弥立つ。


(……でも、このままでいい訳がない………)


 前を駆けるラフィの柔らかな髪を見つめ、ぐっと唇を噛みしめた。焦った瞳が忙しなく、闇の中に活路を求めようとする。

 金色の瞳が闇の中に薄ボンヤリと灯る松明に注がれた。

 逸る鼓動が跳ねた。

 もう我慢できないほど、激しい動悸に体が燃えてしまいそうだ。 

 その背中ではけたたましく石の砕ける音がする。

 そして音と朋に、極最小の石の矢が突風となって、ハニーの背を負ってくる。

 無数の矢がハニーの背に突き刺さり、ハニーは苦痛に顔をしかめた。

 まるで背中に生えた翼を捥がれているような痛みが背筋を伝って、全身に広がる。

 ハニーは恐る恐る横目で後ろを振り返った。

 そこにあるのはどこまでも続く見慣れた地下回廊だ。

 だが金色の瞳が一瞬、その闇に浮かぶ赤い花十字を見つけた。

 ハニーの命を刈り取る死神の鎌は、もうそこまで迫ってきている。

 反射的に息を飲んで、視線を逸らした。


(来る……運命がわたしを捕まえようと迫ってくる!)



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