女王の帰還8
「姫様っ!何を言っているのです!ウォルセレンに行くならば姫様こそ……」
「ハニー、僕はハニーの側を離れるつもりはないよ!」
静かに告げられた言葉に三人は驚きに目を見開いた。
キャメルとエルが縋るようにハニーの言葉に反論するが、ハニーの意思は固い。
宝剣を抱きしめたまま、ラフィの方を見上げた。
真摯な金色の瞳をラフィはじっと見かえした。
まるで言葉にないハニーの真意を探っているようだ。
「キャメルやエルだけでは心もとないわ。あなたなら旅慣れているから最速でウォルセレンまで行きつくことは可能でしょう?あなたには馬もあるし………」
「成程ね。考えなしだとばかり思っていたが、君はこういう事態を見据えて行動していたのか。自分の名代に立てる者は彼女以外いないと。そして彼女をウォルセレンに派遣することが一番の身の安全であると……」
「この城が国として機能しているか、今の段階では分からないわ。だから可能性は多い方がいい。ウォルセレンに行けばある程度、話は通るはずだから。ウォルセレン王の命があれば、聞く耳を持たない騎士達と無様な争いを続けることもない。……確かに森が危険でないとは言い切れないわ。でもここよりは幾分かマシでしょう。それに目立つわたしよりもあなた達だけの方が無事に森を越えられる」
金色の瞳と赤い髪がレモリー・カナンの代名詞として定着してしまった今、ハニーが再度森を行く方が危険である。
彼らはこの色目がけ、武器を掲げるのだから。
冷静に現状を把握して、淡々と説明するハニーの固い表情をラフィはじっと見つめた。
遠くにある松明に照らされ、半分影を帯びた顔は今まで見たどの顔よりも過酷な運命にもがいているように見えた。
ハニーはラフィの無言を承諾と捉え、側で心配げに瞳を揺らすキャメルの方に顔を向けた。
「そういう訳だから、キャメル、よろしく頼んだわよ。あなたはこの宝剣を持って、王に謁見を申し出ないさい。これはあなたにしかできないわ。あなたは女王付きの筆頭侍女。王も無下にはしない。あなた以上にこの国の現状を、そしてわたしの言葉を伝えられる人はいないわ」
「しかし、姫様はどうなさるのです?私どもがいなければ姫様はたった一人……貴女様のお命をお守り出来る者はおりません」
考えなおしてくれとばかりにキャメルは喉を引きつらせて訴えかけた。
涙の浮かんだ瞳が痛々しく、ハニーは顔を背けた。
自分にとっても辛い決断だが、これ以上の作戦は思いつかない。
何の力も知恵もないハニーに出来る最善であった。
「大丈夫よ。わたしはこの数日で身を以て知ったのよ。どれだけ孤独を感じても、たった一人であっても、自分は誰かと共にあるんだって。そうするとね、不思議な力が湧いてくるのよ。今なら狼だろうが、どこぞの異端審問官だろうが、どれだけ噛みつかれても勝てる気がする。だからお願い。今はわたしの言葉に従ってほしいの。ここにぐずぐずしてる間はないわ。あなた達だからわたしは安心して任すことが出来る」
真剣な顔でハニーはキャメルの手を取った。
キャメルの瞳は逡巡したように揺らめき、返答に詰まっている。
二人のやり取りに口を挟んだのはエルだった。
「僕はハニーと一緒にいる!」
「エル!ワガママ言わないで!」
縋るようにハニーを見つめ、エルが聞き分けのない子どものようにいやいやと首を振った。
そんなエルをハニーは驚き見つめた。いつも聞き分けがよく、ハニーの言葉に刃向かったことのない少年が絶対の意志を帯びた瞳でじっとハニーに訴えかけてくる。
その深い瞳に一瞬絆されそうになったが、ハニーは慌てて被りを振った。
口をへの字に結ぶと毅然とした態度でエルをきつく睨む。
「エルはキャメルと一緒にここを出るの!あなたがここにいても危ないばかり。わたしはあなたを危険に晒したくない」
それが一番の願いだった。
もう誰も自分の目の前で傷ついてほしくない。
エルにはいつだって愛らしく微笑んでいてほしい。
ハニーは言葉を切り、エルの方にしゃがみこんだ。
上から包むように抱き締めると切なげに眉を寄せた。
「エル、あなたはわたしの希望なの。あなたがキャメルについて行ってくれるなら、これほど心強いことはないわ。これはあなたにしかできない使命なの。わたしのお願い、聞いてくれるでしょ?」
じっと自分を見つめるエルに視線を合わせて、困ったようにハニーは微笑んだ。
あまりにも深い闇の中では彼の瞳に映り込む自分すら分からない。
でも彼はしっかりと自分を見つめてくれるはずだ。
ハニーの腕の中で、エルが身じろぎをして、見つめ返してくる。
聞きわけのきかない子どものような顔のまま、ハニーの言葉を警戒するように繰り返す。
深い青の瞳はこんな地底の底にいてもその輝きを失わない。
いや、むしろ闇に染まってこそ爛々と輝き増しているように見えた。
その至宝の光を宿す瞳がじっとハニーを見つめる。
「お願い?」
「そう。わたしの願いよ。……そんな泣きそうな顔しないで。約束したでしょ?わたし達は友達よ。どれだけ離れていてもその関係は変わらない。少しの間お別れだけど、でもきっとまた巡り会える」
こつりと自分の額をエルのそれに当てると、祈りの言葉を捧げるようにハニーは囁いた。
そっと彼から身を離すと、自分の胸元に隠れていた半月の首飾りを取り出す。
微かな光を受け、月の切っ先がきらりと光った。
「ねっ?この約束の証がわたし達を結びつけるわ。全てが終われば、一緒にあなたの両親を探しに行かなきゃいけないし、他にもいっぱい一緒に遊びたいことがあるわ。だから、ねぇ今だけ少しのお別れよ」
優しい響きの声だが有無を言わせない力強さがあった。
エルは悲しげな顔を歪め、視線を落とした。
答えはない。
だが、どれだけ言葉を重ねてもハニーが受け入れないことを理解しているように見えた。
ハニーはゆっくりと立ち上がると、ラフィの方に笑みを投げかけた。
「じゃあ、ラフィ。三人をお願いね!」
「女王様はどうするんだ?」
「わたしは……とりあえずエルのところを目指すわ。生きているなら一目会いたい。それにウヴァルに会わないと……彼に話をしないと何も始まらないわ」
僅かにハニーの表情が曇った。
口ではどれだけ強がっても、自分に仇を成す者がいる場所に行くのは、想像を絶する恐怖があって当然だ。
だが、そんな頼りなさはすぐに闇に消えて、毅然とした女王の表情がそこにあった。
誰もが息を飲む美しい笑みを浮かべると、ハニーは自分を見つめる三人を見つめ返した。
「ちょっと、この国を取り巻く全てを打ち払ってくる!だから、わたしが城の中で大暴れしている間に、ね!お願いよ!外から世界を変えてちょうだい!」
期待してるわよっとラフィの広い背を力任せにばしばしと叩くとハニーは三人に外に出るように促した。
「さあ、わたしたちでこの陳腐な劇を終わらせましょう。この国にはもっと愉快で明るい物語が待っているんだもの」
ハニーが歌うようにそう告げた時だった。
「目標を確認――――。血に濡れた女王よ。二度目はない。さぁ今こそ、貴様を地獄へと導こう。それが聖域の意志だ」
ようやっと城に舞い戻った女王。
血に濡れた手でこじ開けた城門はひどく冷たく、この城の異様さを言葉なく語っていた。
それでも女王は先に進まなければならない。全ては親友との約束の為、そして、自分のために傷ついた愛しき者ため―――そう前を見据えた女王の背に新たなる脅威が忍び寄る。
女王の開けた門の先に待ち受けているのは、天使の真実か、悪魔の幻想か――。