女王の帰還6
「しかし、私は捕らわれております」
ハニーの提案にキャメルは戸惑ったように目を伏せた。
逃げようにも彼女の前には重い鉄格子がされている。
ハニーの言葉に応えたくとも応えらぬことが辛いのか、唇を噛みしめている。
そんなキャメルの不安を取り除いてやらんとハニーは自信満々に微笑む。
「大丈夫よ、わたしには仲間が出来たのよ!ラフィ!さあ、鉄格子を破って!」
「え?おれ?」
ラフィが驚いたように自分を指さした。
まさかの展開に言葉もないようだ。ただの吟遊詩人の自分にそんな大それたことを期待されても困るといった顔で眼を剥く。
「出来るか!」
「役立たず!」
間を置かずに否定された言葉にハニーは怒りを顕わにして叫んだ。
だがどれだけ叫んでもラフィにはどうすることもできない。
いきなりギャンギャンと言い合いを始めた二人にキャメルはうろたえて、交互に二人を見つめるが、どうすることもできない。
それも仕方ないことだ。
二人の関係を知らないキャメルには、ただの痴話喧嘩すら仲違いしているようにしか見えない。
こうなればもうどちらかが折れるまで、収拾のつかない争いが続く。
「そういう君が蹴り倒せよ!さっきの一撃みたいにさ!」
「もうっ!何でもわたしにさせる気?なんてヘタレなの!いいわよ、いいわよ、もうラフィなんて頼らない………」
そんな二人の間に入り、愛らしく微笑んだエルがこの場で一番冷静だった。
「ねえ、ハニー。この鉄格子、腐っているみたいだよ。ほら、こうやって押してみたら、ほら開いた」
ハニーの手を優しく引くと、自分の方に視線を向けさせると、エルは鉄格子の出口になっているであろう部分を軽く押した。
その途端、鉄格子の一部が、ぎぎぎっと耳障りな音が立てた。
歪な音が闇の中に響く。
ハニーは鉄格子は閉じられたものだとばかり思い込んでいた。
それはきっとキャメルもラフィも同じだったようで、呆気に取られたように、撓みだした鉄格子を目を見開いて見つめている。
「でかしたわ!さすがエル!」
歓喜の声を上げるハニーに応えるように、鉄格子の一部が冷たい床に倒れ込んだ。
耳を劈くような音をたて、鉄クズと化した黒い格子が跳ねる。
縞模様に切り取られた空間にぽっかりと口が開く。
ハニーは素早く、その胡乱な口の中に駆け込んだ。
そのまま呆然と目を見開いて固まっているキャメルに飛び付く。
「キャメル!ああ……会いたかったのよ………」
冷え切った細い肩をぎゅっと抱きしめて、よりその存在を確かめようとした。
直に肌を通して伝わるキャメルの息使いに、ハニーは更に胸を締め付けられ、腕に力を込めた。
その腕の中で小柄なキャメルが身じろぎする。
「姫様……」
歓喜に満ちた声がハニーの肌に触れ、更にハニーの体温を上げた。
その姿を鉄格子の外から見つめていたラフィが不思議そうに顎に手をやり、しきりに首を傾げた。
「……さっきまでビクともしてなかったような………なんでこんな簡単に開くんだ?」
だがどうこうしても答えが出る訳でもない。
お互いの無事を喜び、抱きしめ合っている彼女らはもう鉄格子のことなど頭にないようだった。
ラフィはちらりとすぐ側でにこにこと笑っているエルを見下ろした。
エルもハニーとキャメルの再会を喜んでいるのか、愛らしい笑みを崩さない。
ただの子ども。
何の力もなく、何の身分もない。
ただ女王と偶然森で出会い、ここまで来た少年。
しかしこの場においてこの少年の存在が一番不自然であるような気がした。
「よかったね、ハニー」
ラフィの視線に気付くことなく、エルは屈託なく微笑む。
ハニーも涙を拭いながらエルの方に向き直った。
「ええ、ありがとう。エル!キャメルに会えるまで不安で仕方なかったの。エル、よく鉄格子が腐っているなんて気が付いたわね。こんなにも暗いのに!あなたのお陰でなんとかキャメルを助け出せたわ!」
「そんな~偶然だよ。でもハニーの役に立てて嬉しい」
はにかむ様がまた愛らしく、ハニーもつられて笑みを浮かべる。
だがこのまままったりしている訳にもいかないと表情を引き締めた。
「さぁキャメル、行きましょう」
ハニーは力強くキャメルに手を差し伸ばした。
キャメルは大きく頷くと、その手を握り返す。
その顔にはもう絶望はなかった。
眩しそうにハニーを見上げて、握った手に額を寄せた。
法悦の表情で、どんな暗闇にも染まらない金色を眩しそうに見つめる。
「嗚呼……これを奇跡と呼ばずなんと呼べばいいのでしょうか」
「キャメル……喜ぶのはまだ先よ。奇跡に感謝するのは皆笑顔で朝日を見る時でも遅くないわ。だから……さぁ今は先を急ぎましょう」
力強いハニーの声にキャメルは瞳に潤ませて応えた。
狭い地下牢に捕らわれていた為かキャメルは一人ではうまく歩けないほど衰弱していた。
ふらつく彼女を支え、ハニーはゆっくりと牢の外に彼女を連れ出した。
ハニーに伴われ、ゆっくりと牢の外に出たキャメルは小さく息を吐くと、円らな瞳でマジマジとエルとラフィを見つめた。
今まで余裕なく、しっかりと彼らを把握できていなかったようだ。
彼らが何者なのか、その服装から判別が付かなかったのか、キャメルは不思議そうに首を傾げた。
それは仕方ないことだ。
ラフな服装のラフィは、アンダルシア出身の吟遊詩人で、エルは古風な巻頭衣に身を包んだ迷子の子ども。
どこをどうしても逃亡の女王のお供には相応しくない。
キャメルの疑問に応えるべく、ハニーは口を開いた。
「えっと……心配しないで。彼らはわたしの味方よ。こっちの可愛い少年がエル。森の廃墟になった神殿で出会った。可哀想に、何か悲しい出来事があって記憶がないの。だから自分がどこの誰かも分かってないの」
「まぁ……それはなんと………」
「だから、全てが終われば、彼の帰る場所を探してあげようと思っているの。きっと両親も心配してるでしょうから」
そう言いながら、ハニーは愛おしげにエルの髪を撫でた。エルはされるがままに目を細めて応える。
ハニーはそのまま視線を上の方に向け、自分の紹介はまだかと目を輝かせているラフィを仰ぎ見た。
「こっちはラフィっていうのだけど……詳細はどうでもいいわ。さぁ先を急ぎましょう」
胸を逸らしたラフィを半眼で見つめると、ハニーはキャメルの腰に手を当て、ラフィから遠ざけた。
キャメルは困ったように、ハニーとラフィを交互に見つめた。
そのハニーの肩をラフィが慌てて掴む。
「ちょっ!それはないだろ?ハニー!!ちゃんと紹介しろよ。おれのお陰で君が助かったのは事実だろ?」
「ええ~、面倒くさい」
「め、面倒だと!こんな所まで危険を顧みず来たおれが!!」
面喰ったラフィの顔が滑稽で、ハニーは思わず吹き出してしまった。
不安ばかりが犇めき合う薄暗い地下の回廊にいるとは思えない余裕が出てくる。
「嘘よ!も~そんなに落ち込まないで。キャメル。このラフィはアンダルシアの吟遊詩人なの。気ままに旅をしているらしいわ。鼻歌しか聞いたことがないから、彼の実力がいかほどか分からないけど、まぁ宮廷の楽団にいても引けを取らないと思うわ。彼と出会ったのも森の中。城に続く川の側よ。彼と出会ったお陰で、私は食べ物や安らぐ寝床に巡り合えた。彼は血に濡れた女王の噂を聞きながらも私に手を差し伸べてくれた唯一の人」
そう紹介するのが何故か気恥しく、ハニーはふいっとラフィに背を向けた。
背中越しに感じるラフィの気配が気になって仕方なかった。
彼は今どんな顔で自分を見ているのだろうか。
ハニーのそんな複雑な気持ちなどキャメルは分からなかったようで、手を合わせて純粋に喜びの声を上げた。
「まぁまぁそんな出会いがあったのですね。姫様の素晴らしき人柄に惹かれてくるのでしょうか?皆さま、なんと出来た方ばかりなのでしょう。エルちゃん、こんなにもお小さいのに姫様を守って下さったのね。感謝してもしきれませんわ。ラフィ殿もなんとお礼を言えばいいのか、なんともよい男振りで頼もしい方なのでしょうか!」
「そ、そうかな~」
がははっと笑い声を上げたラフィが照れ隠しに頭を掻く。
そのまま視線をキャメルからハニーに向けると、面白がるように目を細めた。
「いや~一国の女王に仕えるだけあって、よく出来た人だ。ちゃんと人の良さが分かるんだから!誰かさんにも見習ってもらいたいね~」
「なによ~!」
「別に~」
にんまりと口角を上げるラフィが気に入らず、ハニーは無言のまま彼の脛を蹴り上げた。
ガスッと鈍い音が狭い回廊にこだました。途端、ラフィのにやけた顔が凍り付く。
「あ、ありえね~だろ……よりによって、なんで脛……」
「股間じゃないだけ有難く思いなさない。わたしを愚弄した罪は重いのよ!さぁラフィは放っておいて、次はロロンを助けだしましょう」
「こ、股間って、それっ、一国の姫さんの言葉じゃないからなっ!」