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女王の帰還3

 決まらない捨て台詞にラフィが腹を抱えて笑い出す。

 こうなると更にハニーの進む足は早足になり、そのせかせかと進む後をエルが懸命についていく。

 そんなカルガモの親子のような姿に目を細めて見つめていたラフィはスピードに合わせるように大股で後に続いた。

 

「それにしても、女王様とは思えない行動力だな。そう言えば君は城の地下でサバトを開いてたんだっけ?だから暗闇に慣れてんの?」


「開いてないわよ!あれは嘘だって言ったでしょ!!」


 ラフィの軽口に、ハニーが全身の毛を逆立てて反論する。

 ぶすっと頬を膨らませるが、この暗い回廊ではハニーの顔などラフィには見えるはずがない。

 しかし、そんなハニーの心までお見通しとばかりにほくそ笑むラフィの顔が、ハニーにはありありと見て取れた。

 もう一度噛みついてやろうかとハニーは勢いよく後ろを振り返った。

 そこには、待ってましたとばかりにニマニマ微笑むラフィと、困惑気に眉を寄せるエルがいた。

 怒鳴り声を上げようとハニーは大きく口を開けたが、なかなか声は出なかった。

 しばし、口を開いたまま、ハニーは俊巡する。


「ん?どうしたよ、怒鳴らないのか?ハニー?」


 先ほどと様子に違うハニーに、ラフィが片眉を上げて聞く。

 だが、ハニーはラフィの軽口にも答えず、複雑そうに眉を寄せそっと顔を前に戻した。

 そのまま大きく開けた唇を噛みしめる。

 その顔にありありと浮かぶのは、何かを耐えるような苦渋の表情であった。

 彼女の表情はおろか、その真意をする者は誰もいない。

 その耐え忍ぶ背を見つめる後続の二人にも、彼女の抱える闇は計り知れないものだろう。


「……本当はね、血に濡れた女王の噂は全て嘘ではないの。ゼル離宮で夜な夜なサバトを開くという噂にも元ネタがある」


「……へぇ?」


 しばらくの間、沈黙が続いたかと思うと、前を見つめたまま不意にハニーが口を開いた。

 まるで手持ち無沙汰を解消するために、話しだしたような軽い口ぶりであるが、それを語る口は震え、強張っている。

 でも、そんなことは後ろの二人には悟らせぬよう、まるで先ほど冗談を言っていたような雰囲気を出そうと懸命に声を弾ませた。

 そのいたいけな背をじっと見つめたまま、ラフィもまた、軽口を叩くように、何の気なしに応える。

 ラフィの目は常にない鋭さを持って健気な女王が抱える深い闇を見据えていた。

 何故このタイミングで、自分がそんなことを言い出したのかハニー自身分からなかった。

 賑やかに軽口を叩きながらやってきた一行にしては、少々重すぎる話題だ。

 それでも話しておきたかったのは、ただただ知ってほしかったの一心だったのかもしれない。

 女王の無実を信じてくれる者達に、このエクロ=カナンで起こった真実の話を。



 火のないところに煙は立たないとはよく言ったもので、どんな噂にもそれを喚起させる事象が存在する。

 女王が夜な夜なサバトを開くなど、一聞すれば嘲笑してしまう噂が真実味を帯びるのは、噂を真と捉えても仕方ない出来事が実際にあったからだ。

 ハニーは抑揚なく口を開く。


「この騒ぎが起きる前からこのエクロ=カナンには謎の伝染病があったの。始めは誰も気に留めなかった。でも気が付けばどうしようもないほど事態は深刻になっていた。このエクロ=カナン全土に恐ろしい病が広がっていたの。一人感染すると一気に広まる謎の病よ。人っ子一人いない村の話は知ってるかしら?」


 ラフィは何も答えない。頷く訳でもなく、ただ静かにハニーの声に耳を傾けている。

 その沈黙を是と捉えたのか、ハニーはさらに言葉を重ねた。


「報告を受けた時にはもう手遅れで、その村は全員が死に絶えていた。伝染病は何が原因か分からない。取りあえず、他に病がいかないように亡くなった人を皆森の中に埋め、火で清めた……それが噂の真実」


 こうして人の消え失せた奇妙な集落が出来上がった。

 本来はその村に続く道を封鎖していたのだが、どこからで道を誤った隊商が村の異変に気が付いた。

 こうして噂が一人歩きを始めた。

 隊商に真実を告げる訳にいかなかった。

 村々を巡り、噂を運ぶ彼らに謎の伝染病の話をすれば、病に対する不安感だけが噂と共に広がるだけだった。

 ハニーが言葉を切ると闇には余韻すら残らず、残滓のような吐息も全て飲みこまれていった。

 そこにあるのは、耳鳴りがするほどの静寂だけ。

 ラフィは小さく息を飲んだが、それ以上は何も言わなかった。

 肌越しに感じるラフィの気配だけを頼りに、ハニーは前を見据えたまま、言葉を続ける。


「噂どおりエクロ=カナンの女王が人目を忍んで夜な夜な、この城ゼル離宮の地下に行っていたのは本当のこと。そこで時には血に濡れることもあった。……でもそれは悪魔を呼ぶ儀式なんかじゃない。王城の地下で持ち帰った遺体から原因を探っていただけ。それだけのこと。こっそりと人目に付かないようにしていたから、そんな噂が立ったのでしょうね。それは仕方ないわ。でも………」


「ああ……」


 苦しそうに言葉を切ったハニーにラフィは抑揚なく答えた。

 同情しているようでも、現状に驚愕している訳でもないようだ。

 ただありのままを受け止める穏やか声にハニーはビクリと体を震わせた。

 ぐっと体の奥に力を入れないと、今にも全身が砂の城のように崩れていってしまいそうだった。

 このままその穏やかな声に流されて表情を緩めては、これ以上先に進めない気がし、ハニーは、懸命に奥歯を噛みしめた。

 自ずと声が硬質な響きを持つ。


「どうすることもできなかった。何が原因か分からない状況で、死にゆく病のことを公表することもできなかった。出来ることは、音もなく近寄る死の病への不安を別の形で解消することだけ……」

 

 不意に言葉を切った。

 それ以上、流暢に話すことなどできなかった。

 胸の奥で渦巻くどす黒い感情に自分が支配され、このまま身も心も闇に堕ちていってしまいそうになる。

 突如現れる赤い湿疹と高熱。

 王都やその他の中心都市では見られないが、地方の寒村では音もなく忍び寄るその病に耐えられず、呪いだ、悪魔だと騒ぎだした。

 そして、その原因を血に濡れた女王だと思いこんだ。

 それがハニーの知る噂の全貌だった。

 外からの情報があまり入ってこない小さな村では仕方ないことだ。

 そうやって女王を恨むことで少しでも不安を解消しようとしたのだろう。

 人は姿なき恐怖に名前を与えることで安心しようとする。

 正体の分からないものには、呆気ないほど弱々しい生き物なのだ。


「そうやって姿が見えない恐怖に名前をつけて、彼らは不安を打ち消そうとしたんでしょうね。何か原因があるから不可解な病で人がいなくなるんだって……」


「なるほどね。不安定な環境はいずれ村の崩壊につながるからな。どんなものでも彼らの不安を解消されるなら、形振りかまっていられなかったのか………」


「………ええ…………」


「病の原因を女王に見出して、村人らがなんとか不安を紛らわせている間に秘密裏に原因を特定し、治療法を探していた、と。そういう訳か」

 

 やりきれないようにラフィは吐息を漏らした。

 ゆっくりと被りを振ると、自分の前を歩む乙女のか細い背を見つめた。

 不安に苛まれた村人と、病の原因を探り国民を助けようとした女王。

 どちらも間違ったことはしていない。

 なのに、全てが歪んで見えるのは何故だろう。


「伝染病の原因が分からない状態で表だって発表すれば、国民はパニックを起こしかねない。それならまだ、噂の女王を恨んで平常心を保っていてくれるほうがいい。だから……」


「悪魔って名前をつけて、人々は安心したんだね」


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