女王の帰還2
自分が捕えられた時を思い出しているのか、気丈な金色が弱弱しく揺れた。
だがそれも一瞬のことで、すぐに先の見えない闇へと向けられる。
ハニーにはその闇の先にある物が見えているようだった。
だがハニーの見ているものが分からないラフィは呆れるばかりだ。
確かに出会った時から無謀以外の何物でなかったハニーだが、ここまで感情のまま動いているとは思わなかったらしい。
ラフィに言わせれば、大切な侍女の命を救うことよりも早く、現状を回復することの方が最重要の課題だ。
彼女の命が無事なら助け出すのが遅かろうが、それは問題ではないはずだ。
むしろ早く根本を解決せねば、いつまで経っても捕らわれの侍女は命の危機に晒されたままである。
だが、ハニーはそう思っていないらしい。
ラフィの忠告など軽く聞き流し、ずんずんと先に進む。
「若い女の子がいつまでもこんな劣悪な場所にいてて、苦しくない訳がないでしょう?それに、いなければいないでいいのよ。この目でここにいないと確認できれば、安心できるでしょう?まぁ違う場所で囚われている可能性もあるけどさ……」
「おいおい。じゃあ今は君の想像だけで進んでるのか?」
「想像?まぁそうだけど、確信していると言ってくれる?キャメルはここにいるわ。絶対ね!そしてわたしを待っていてくれているの!わたしの直感がそう告げているもの!!」
ハニーはラフィを振り返らず、そう答えた。
何故だろう。
ハニーの直感ほど信じられないと思ってしまい、ラフィはがくりと首を折った。
もう彼女に何を言っても仕方ないと思ったのだろう。
「嗚呼神よ我を哀れみたまえ、救い給え」そう独り言のように祈りの言葉を告げると、深くため息を吐いた。
ハニーはそんなラフィの言葉を耳にしても、あえて聞かぬ振りをした。
今更何を言われても引き返す訳にはいかない。
自分の為に不遇な立場に立たされている者がいるのをみすみす置いていくことなどできない。
「……なるほどね。で、助けだすのに何かいい作戦があるんだろうな?」
「作戦?そんなのないわ。ただ進んで捜すのみよ!」
ハニーはフンッと鼻息荒くする。闇の向こうを睨みつけた。
高貴に輝く瞳は闇を照らす明けの明星のようだ。
彼女の雄姿に応えるように後ろから風が吹き、赤い髪を揺らしていった。
それはどこまでも神々しく、高潔な女王そのものであった。
このような状況下でなければの話であるが……。
もちろんのこと、ハニーの燃えさかる使命感はラフィには通じなかったようだ。
ゲッと顔を歪め絶句すると、来た道を恨めしそうに振り返える。
「おれ、やっぱり帰ろうかな?どれだけ行き当たりばったりなんだよ……こんなの聞いてないよ………」
「ラフィは文句が多いわ!さっき、『どこまでも女王陛下に従います。たとえ火の中水の中!カエルの大群だってオタマジャクシの大群だって自ら突き進みます』って言った口でまぁそんな裏切りを言えたものだわ!」
「言ってない!言ってないぞ!そんなめちゃくちゃなこと!おれがヌメヌメ系の生き物を嫌いと知ってて言ってるのか?もう嫌がらせとしか思えんぞ!」
「あ~もうっ!うるさいな!ちょっと、ラフィ!エルを見なさい。こんなちっちゃいのに、堂々とした姿。取り乱したあなたと違って、ちゃんとしてるじゃない!」
エルを間に挟んだ状態で睨みあったハニーとラフィは、誰かに聞き咎められる危険性など頭の片隅に吹っ飛ばして、睨みあった。
その間でエルがおどおどと二人を交互に見つめるが、何と声をかければいいのか分からないようだ。
可哀想に、愛らしい瞳を不安げにくるくると揺らして、ただただ事態の収束を待っていた。
だが彼の願いを余所に、口論はおかしな方向に、主にハニーがヒートアップしていく。
「それは違うぞ!エルがよく分かってないだけだ。君の説明が言葉足らず過ぎてさ」
ラフィはそう言うと、ハニーをからかうように口の端を上げた。
そして困惑の傍観者であるエルの肩口を掴む。
そっと不思議そうに振り返ったエルの耳元に口を寄せ、聞えよがしに声を潜めた。
「エル、嫌な時は嫌と言った方がいいぞ。あと、女のわがままは聞き過ぎてもダメだ。男が上手に手綱を引かないと尻にひかれる」
「尻にひかれる?」
ラフィは人生の先輩として男の歩み方を指南したようだが、エルは不思議そうに首を傾げて、純粋な瞳をラフィに向けるばかりである。
エルには理解できなかったようだが、代わりにラフィの思惑通り、ハニーには彼の意図が通じたようだ。
一気に燃えさかる炎のようにハニーは激昂した。
「エルに変なことを教えないで!」
ラフィの腕からエルをガバリと奪い取ると、敵愾心剥き出しに歯を剥くと、割れんばかりの甲高い声を上げた。
あまりの衝撃に冷え切った石の壁が、恐れをなしたようにビリビリと震えあがる。
その声にラフィもエルも思わず身を竦め、目を細めた。
「だから、声がデカすぎっ!くそ~乗った船は泥の船だった訳か~」
耳を人差し指で押さえながら、ラフィは渋い顔を浮かべた。
エルは何も言わないが、歯に何かを噛んだような微妙な顔をしてハニーを見つめているところを見れば、同じ心境なのかもしれない。
さすがに先ほどの声は自分でも大き過ぎると分かったのだろう。
ハニーは悔しげに唇を噛みながら、それでも一握りのプライドに掛けて、じとりとラフィを睨んだ。
「………聞こえてるわよ?」
「泥の船でも短い距離なら問題ないよ?」
まぁまぁと取り成すような二人の間に入ったエルが、何とか場を繋ごうと曖昧な笑みを浮かべる。しかしその言葉がハニーを更に追い込んだ。
「エル……それは何の慰めにもなってないから………」
ハニーはガクリと首を折ると、悲しげな表情で前を向き直り、とぼとぼと前を歩きだした。
その姿を見て、ラフィは我慢できずに吹き出し、エルは不思議そうに小首を傾げる。
物々しい城の警備とは裏腹に、侵入者たちにはその自覚が足りなかった。
城に侵入した時の緊張感など一時のものであったらしい。
森で焚き火を囲んでいた時となんら変わりなく、静かに、と口にしながらも声を潜めることもしない。
怯えをばかりを口にするラフィも、闇に慣れれば、余裕が出てきたようだ。
頭の上で手を組んで、諾々とハニーの後に従い後を続く。
その姿からは緊張感の欠片もない。
もう暫く進めば鼻歌を歌い始めるのでは…とハニーは危ぶんでいたが、事実その通りになった。
少し鼻にかかった、くぐもった声が不思議と耳に残るメロディを奏でている。
その愛嬌ある音の粒が冷え切った石にぶつかり、少し寂しげな響きを残して闇に消えていく。
暗い空気の中、重苦しい気配が少し薄れていったように思えた。
「それ、何の歌?」
ハニーは前を見据えたまま、ラフィに聞いた。
先の見えない闇は人に不安ばかりを与える。
今は馬鹿馬鹿しいことでも何か気を紛らわせるために話していたかったのかもしれない。
そんなハニーの気持ちを知ってか知らずか、ラフィは鼻歌交じりにお気楽な調子で答えた。
「ん?賛美歌だよ。神よ、助けたまえ。憐みたまえっていうありきたりのやつさ。でも、まぁ~他のやつと違って、この歌のメロディが好きでね。気が付くと口ずさんでる。………あ~安らぎは母の御胸に、慈しみは母の御腕に~嗚呼、我らの導き子は海に帰り、風に散る~」
「聞いたことあるわ。夏の最後の休息日に百合を持って歌う賛美歌でしょ?」
「そうそう。海の聖母に捧げる歌だからな。まぁ今はワガママな女王に捧げる歌だけどな。―――安らぎが女王の御胸にあればいいのに~慈しみが御腕にあればいいのに~ってね」
ラフィは胸の前で両手を合わせると、ゴロの悪い替え歌を歌い出した。
話しかければ調子に乗るラフィにハニーも業を煮やし、フンッと鼻を鳴らす。
怒りを体に抱きこんだハニーは荒々しく足音を鳴らしながら、ラフィを置いてずんずんと先に進んだ。
プクリと頬を膨らましながら、ボソリと呟く。
「……後で絶対に痛い目に合わせてやるんだから~」