約束の証11
森の縁から見えるゼル離宮は重厚で、どっしりと地に腰を失せた古代の王のようだった。
闇に落ちたその城の全貌は分からないが、窓のあちこちで灯る明るさや、城の前に張られた騎士団の幕の篝火に照らされ、異様な影を帯び浮かび上がって見える。
その城を見つめ、カンザスはしばし足を止めた。
目指す城には見たこともない物が蠢いているかのようだ。
それがなんなのかカンザスにも見当は付かない。
ただ、一生の中で一回も関わりを持ちたくない類の物であると、直感が告げていた。
「で、カンちゃん。どうするつもり?」
見通せない闇に身震いするカンザスと違い、常と変わらない調子のアクラスは、気負った様子もなく、カンザスの顔を覗き込んできた。
紫の瞳はこ憎たらしほど余裕に満ちている。
この男が冷や汗を流し、顔を強張らせることが果たしてあり得るのか。
カンザスには皆目見当もつかなかった。
しかしそんなことは口にしない。
アクラスにうまく煙に撒かれると知っているからだ。
さっきも同じようなことをされたところだ。
カンザスは別れてから出会うまでの彼の行動について、軽い興味で聞いただけなのに、アクラスときたら、胡散臭い演技で身を捩ってみせると、「カンちゃんはそんなにおれの行動が気になるの?焼きもち?」などとのたもうたのだ。
こうなればカンザスはカッと頭に血を上らせるしかない。
「そんな訳ないわっ!ありえへんやろ!男同志で焼きもち焼くなんて!!」
「え~でもおれの事が気になるんでしょ?」
「違うわ!お前がどうやってオレの居場所を突き止めたかが、純粋に気になっただけや!それ以下も以上もあらへん!もうお前しゃべんな!頭いとうなるわ!」
それがアクラスの作戦と知っていてもその通りに行動させられる自分が嫌になってくる。
しかし彼がカンザスの言葉をはぐらかす時は、大抵、最後まで本当のことを話さないとカンザスは知っていた。
彼はカンザスに嘘はつかない。
ただ本当のことを言わないだけだ。
それが何故なのかカンザスは未だアクラスに聞けずにいる。
(まぁそんなことはいつでも聞ける。今はあの城に隠された秘密の方が大事や)
そう自分に言い聞かせ、ペリドットの瞳を眇めた。
闇に浮かぶ城が血に染まって見える。
放つ気配は禍々しく、一瞬でも人が居ていい空間には見えない。
だがカンザスはあの城に乗りこまなくてはならないのだ。
全ての真実を見極めるために、そしてあの赤髪の乙女ともう一度巡り会うために………。
血に濡れた女王と呼ばれたか弱い乙女の目指す先が、彼女が逃げ出したはずのゼル離宮であると思ったのは、ただの勘だ。
だがあながち外れてはいないはずだ。
何か目的を持って森を駆ける彼女の姿を思い起こし、カンザスは少しだけ頬を紅潮させた。
そっと瞳を伏せる。
「真実はあそこにある。聖域の意思に反するか、それとも意思に従い女王を聖域に連れ帰るかは、あの城にあるものを見極めてからや!」
そう自分に言い聞かせると、カンザスは一歩踏み出した。
その背をどこか物悲しそうに見つめ、アクラスが問う。
「カンちゃん、どうしてもあそこに行くのかい?」
「今さら何を言ってるんや!オレらの使命は血に濡れた女王を捕まえることやぞ!」
「分かってるけど、でも、行っても何もないかもしれないよ?あそこになるのは胡乱で空虚な空間だけかもしれない。女王があの城に帰ってくるなんて幻想かもしれないよ。普通に考えれば彼女はもっと遠くに逃げようとするのだから……」
アクラスの言葉はもっともだ。
誰が好き好んで自分を追う者の中に身を投じるのか。
しかし、あの眩いほど輝く金色の瞳を知っていればそんな疑問など湧いてくる訳はない。
彼女は自分の使命を忘れていない。
絶対に彼女は自分の役目を果たす為に城に帰還するだろう。
「いや、何が待ち受けていようとオレはあそこに行く。そして全てを見極める。もう何も知らんで、与えられるものだけを真実と信じるのはごめんや」
そう言って切なそうにペリドットの瞳を揺らすと、どこか大人びたようなような、意味ありげな笑みを浮かべる。
その笑うことすら苦痛であるような笑みにアクラスは言葉を失った。
小さく嘆息すると、被りを振る。
しかし、次にその顔が上げられた瞬間、そこにあったのはいつも通りの澄ました、卒ない男前の姿だった。
「カンちゃんがそういうならおれはどこまでも付き合うよ。そう、カンちゃんが望むならたとえ火の中、水の中。地獄の底だって喜んで付いていく」
「アホか、お前は!冗談は休み休み言え!死んでからも付きまとわれたらかなわんわ!」
見下すようにアクラスを見つめると、カンザスは嫌そうに顔を歪めた。だがアクラスはどんな睨みも嬉しそうに受けとめる。
「本気なのにな~。何度も言ってるだろ?カンちゃんがおれの全てだって。カンちゃんが望むなら、それがおれの全てさ」
**
森の彼方遠くに荘厳にして厳めしいゼル離宮が姿を現した。
黒いシルエットだけだが、ハニーはあれそこが自分の目指していたものであると確信した。
あそこを離れたのはつい3日前のこと。
目隠しをされ離れた時は見返ることも許されなかったが、今はまっすぐに見据えることができる。
たった3日だ。
だが途轍もなく長い間城を離れていたような気にさせられる。
その間に心を埋めた悲しみや、無常感が今まさに溢れかえってくるようだ。
ハニーはぎゅっと着ているマントを掴んでやり過ごした。
(冷静になれ、わたし!今はただこの使命を果たす為だけにわたしはいるのだから!)
暗闇の中、ぼんやりと灯る城の灯がハニーの不安を映しこんだかのように、揺らめく。それに合わせ、心が乱されていく。
黒い闇でしかない城が、その中に隠された想像もつかない狂気が怖かった。
人の心が、簡単に誰かを裏切るそれが恐ろしかった。
だがそんなものは取るに足りないものだ。
そう自身を奮い立たせるが、正直な心が体の芯を揺さぶる。
そんな自分に目を背け、ハニーは縋る相手を求めるように前にいるエルを抱き締めた。
そうすると忍び寄る後ろ暗い心が打ち払われたように思えた。
微かに震えるハニーを励ますように、エルはハニーの方へ振り向くと、優しい頬笑みを浮かべた。
小さな手を伸ばし、そっとハニーの額を撫でる。
「大丈夫だよ、ハニー」
幼い瞳がハニーを元気づけようと強く輝く。
そんな些細な事が泣きだしたくなるほど嬉しく、ハニーは顔を下に向けたまま、小さく答えた。
「ありがとう」
それ以外何も言えない。
口を開けば、情けない自分も顔を出してしまいそうだ。
仕方なくエルの穏やかな視線を無視する形で、ハニーは馬の背の毛波をじっと見つめて、思考を違う方へと向ける努力をした。
どろっとした感情を飲みこむと、はぁっと吐息を吐く。
エルは何も言わない。
ただ静かにハニーを見守り、額を撫でるだけ。
そんな二人のやり取りをラフィは黙って聞いて、口を挟もうともしなかった。
そんな優しさが更にハニーの心を熱くする。
無言でいる優しさがこんなにも心に沁みるなど思いもしなかった。
ハニーはそんな湿った空気を吹き飛ばすように、勢いよく頭を上げた。
そして勝気な金色の瞳を輝かせる。
自信に満ちた顔を浮かべると、麗しい頬笑みを浮かべる。
「いやね~二人して暗い顔しないでよ!こんな時ほど明るくいかなきゃ!」