約束の証9
まるで遥か遠くに聳えるゼル離宮が見えているかのようだ。
眩く輝く金色の瞳が何もない暗闇の中に進むべき道を見出していた。
黒い森の木々が眩い光にぞわりと揺れ戸惑った。
「あっそう。でもそっちは城とは逆方向だからな」
冷静な突っ込みにハニーの頬が燃え上がった。
もう返す言葉もない。
そんなハニーを意地悪な笑みがニマニマと見つめてくる。
ハニーは固まったまま動けない。
だが、強張った顔は羞恥に震えていた。
真っ赤に燃え上がる頬はもうこれ以上赤くならないといった限界を超えている。
このままでは目まで赤く染まってしまうかもしれない。
溜まらず噴き出したラフィは、そのまま腹を抱えて笑う。
それこそ抱腹絶倒とばかりに、地面を転げまわる。
「あ~、やっぱりおもしれーな、このお姫さんはさ~。さて、準備すっか。善は急げだな」
一通り笑い終わると、ラフィは素早く焚き火の始末を始めた。
僅かに残った火種をいい枝ぶりの木の端に移し、持っていた荷物を馬の背に乗せる。
「ちょ、ちょっと……ラフィ、別にあなたはまだここに居てもいいのよ?あなたまで巻き込むつもりはないわ」
「何言ってんだ。乗りかかった馬……いや、船ってヤツよ。おれは特に行く当てもないし、それに離宮とはいえ、貴族様のお城に入れる機会なんてそうないだろ?ここで付いていかない訳がないってな!」
ラフィはしたり顔でウインクなど投げかけてくる。
彼はのん気なものだ。
ただのお城訪問くらいに思っているらしい。
現実はそんなに甘いものではなく、城で待ち受けるのは可愛いメイドではなく、猛々しい騎士の一団だ。
ラフィは何も分かっていないと、慌てて言い聞かせるもラフィは口笛を吹いて聞く耳持たず。
「ラフィ、あなたが考える以上に城は危険よ。だから軽い気持ちで自分の人生を決めちゃダメよ!」
縋るようにラフィの肩を掴んだ。
しかし逆にラフィがハニーの腰を掴むと、そのまま抱き上げて馬の上に乗せようとした。
「きゃぁぁぁぁっ!ちょ、ちょっと!ラフィー!!」
「や~可愛い悲鳴だな。そんな声をあげちゃう女の子と小さなお子さま二人だけで騎士の待ち受ける城に行くって方が、トンデモなく無謀だとおれは思うけどね。いいじゃないか、一人位お供が増えてもさ!旅は道ずれ。賑やかな方がいいだろ?」
いきなりのことにハニーは咄嗟に行動出来なかったが、馬の背に腰を落ち着ける前に、必死の抵抗をしてみせた。
だが両手両足をばたつかせても、意外に力持ちのラフィはものともしない。
そのままひょいっと馬の背にハニーを置く。
暴れるハニーを乗せても、賢そうな目をした茶色の毛のそう馬は微動だにしない。
ただハニーを見下すように、ぶるるっと嘶いただけだ。
ハニーは馬の背におっかなびっくり、かろうじて乗っている状態だ。
昨日落馬したことがトラウマになっているのかもしれない。
それまでのハニーは怖いもの知らずで、馬だろうがなんだろうが、軽く乗りこなす気概があった。
ラフィは次にエルを抱きあげた。
エルはされるがままに、大人しく馬上の人となった。
ハニーの前に腰かけたエルはハニーの言葉を待つように、澄んだ瞳を向けてくる。
彼はハニーの言葉にのみ従うつもりらしい。
全ての決定権は女王であるハニーにある。
馬も、ラフィも、エルも皆、ハニーの言葉に命を託している。
それはいけない。
騎士に襲われるのは自分一人で十分だ。
供がエル一人なら、二人目立たずに城に近付けるし、城に付けばエルはどこか城の陰で待っているように言えるが、ラフィまで来ると話が変わってくる。
長身で騒がしい彼と一緒に馬で移動すれば、それこそ騎士達の注目の的ではないか。
ただでさえラフィの声は大きいのに、彼は騎士団を見つければ好奇心に負けて近付いて行ってしまいそうだ。それも悪気なく………。
「やっぱりダメ!わたしはもう誰も巻き込むつもりは……」
ハニーは揺れる馬に腰が引けながらも、何とか降りようとする。
だが、それを阻止せんと、ラフィは馬に合図を送った。
馬が優雅に一歩を踏み出した。
馬の背でハニーの身がぐらりと揺れる。
「ちょっと~馬を止めてよ!わたしは降りるわ!」
「こらこら、動いている馬から降りようなんざ、お間抜けのすることだ。そこで落ちないようにしっかり掴まってな。ほら、少年を見習えよ。ヘッピリ腰の女王さんなんかよりもずっと堂々としてるぜ?」
ハニーが全速力の馬の背から落ちたことなど知らないラフィは言い聞かせるように語りかけるが、ハニーには苦い思い出を呼び起こすだけだった。
ハニーは恐る恐る馬上で体勢を立て直すと、大きくため息を吐いた。
どこまでも飄々としているラフィにはこれ以上何を言っても聞き入れられないだろう。
彼は軽口ばかり叩いているが、本音ではハニーやエルだけで城に向かわせることに不安を抱いているように見える。
それをそうと口にせず、どうでもいいことばかり述べて、ハニーの納得させようとしている。
(ホント、ズルイよ。優しさを優しさと見せかけずにポンッと渡してくれちゃうんだから)
馬の手綱を握るエルの背ににじり寄り、その身を抱き締める。
そして鼻歌交じりで馬の横を歩く気障ったらしい男を睨み下ろした。
その視線に気付いているクセに、彼はこっちを見ようともしない。
「わたしについてきたら、あなたまで疑われるわよ?」
最後通告のつもりで、ハニーは口を開く。
努めて冷静を装い、抑揚ない声にラフィは顔を上げた。
変わらず緩んだ顔で、にんまりと笑いかけてくる。
彼のへーゼルの瞳は色んな光彩を帯び、不思議な色に見えた。
それはハニーの知らない彼の一部だったのかもしれない。
穏やかな恵美のまま、ラフィは言う。
「でも、全部嘘なんだろ?」
「え、ええ、その通りよ。でも……わたしの言葉を信じてくれる人がいるかは……」
あの隻眼の異端審問官が言っていた。
真実が歴史に残るのではない。
勝った者の言葉が真実になるのだと。
ハニーが知る真実が受け入れられなければ、全て無意味となってしまう。
成し遂げる気概はある。
だが不安がないと言えば嘘になる。
ハニーは愛らしい口をぎゅっと引き結び、視線を落とした。
お遊びはここまでだ。
この先にはあの塔よりも、あの朽ちた神殿よりも恐ろしい闇がある。
また自分が信じられなくなるかもしれない。
今度こそ、騎士の持つ槍がハニーの胸を貫くかもしれない。
そう思うと自然と体が震えてくる。
だが、側にいるラフィはお気楽なものだ。
片手を頭の上で組みながら、楽しげに口笛を吹いている。
片方の手で持つ松明がハニーの進む先を僅かに浮かび上がらせる。
でもそれも数歩先のみ。
その先は完全な闇で、草の葉一つ捉えることができない。
ポクポクと響く馬の蹄の音とラフィの気の抜けた鼻歌に交じって、森の奥底で、風が吹きだまったような低い音がした。
それはもしかしたら血に飢えた獣の声だったのかもしれないし、もしかすれば見たこともない魔物の雄叫びだったのかもしれない。
その音を聞かないように、ハニーは必死に前だけを見据えた。
「そんなに気を張り詰めんなって!ケ・セラ・セラ!なるようになるさ!」