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約束の証4

 火が焚かれる側で、ハニーは空を見上げた。

 森の木々に覆われた空は小さい。

 さっきまでは厚く垂れこめる雲に覆われていた空だが、いつの間にか雲は流れ、その切り取られた空に小さな三日月が浮かんでいた。

 その三日月を薄いベールのような雲の切れ端が覆っていく。

 じっと見つめていないとすぐに攫われていきそうな、儚げな月だった。

 それほどに頼りない月でもハニーにとっては希望の灯のように映った。

 じっと自分を見上げるハニーを月もまた、静かに見下ろしていた。

 時折、薪が爆ぜる音が響く。

 それ以外、森は静かなものだ。

 先ほどまでラフィが高いびきをかいていたが、今はそれも治まって、妙に静まり返っていた。

 ハニーの側ではエルが愛らしい寝息を立てて、すやすやと眠りについている。

 何故だろう。

 こんなにも心穏やかで、安心感に包まれているのに、体は眠ろうとしない。

 妙に目が冴えてしまっている。

 さっきまでは少しでも気を休めようと目を閉じていたが、目を閉じれば瞼に色々な物が浮かんでは消えを繰り返し、落ち着かなかった。

 仕方なく三日月とにらめっこをし続けている。

 暗いだけの思い出よりも、頼りなげな月の清けさに触れる方が数倍増しだった。

 だが、その月もすぐに恥ずかしがって、雲の何処に隠れてしまう。今も森の端からやってきた、比較的大きな雲に隠れてしまい、ハニーの髪を淡く輝かせていた光のベールも消えてしまった。

 そうなれば森は元の陰鬱さを取り戻し、森に住む獣の無音の気配が立ち込める。

 ハニーは醸し出される空気に飲み込まれないように、視線を焚き火に移した。

 勢いの衰えない炎は、暗い森にあっても温かい色合いをしている。

 ふと思い出したように、ハニーは自分の胸元に腕を滑り込ませた。

 襤褸切れと化したドレスだが、たった一つハニーの宝物を守る役目だけは忘れていなかった。

 どんなことがあってもハニーの身から離れなかったそれを取り出し、自分の目の前に掲げた。


 それは大きな飾りが設えられた首飾りだった。

 飾りはハニーの拳ほどの大きさで、円の縁の中に、花十字と花十字に絡む花の紋様が緻密な意匠で施されていた。

 その花十字は他のものと違い、天辺の先のみ丸くなっており、その中に大きな紅玉が嵌め込まれている。

 その紅玉が炎に照らされ鮮やかな光沢を放ち、ハニーの瞳に映り込んだ。

 ハニーはじっとその紅玉の揺らぐ様を見つめていた。

 炎が揺れる度に形を変えるそれは、麗しい舞姫の踊る姿のようだった。


「眠れないの?」


 不意に声をかけられ、ハニーはビクリと身を竦ませた。

 あまりにも集中し過ぎており、咄嗟にどこから声がしたのか分からなかった。

 慌てて声のした方に目をやる。

 いつの間に起き出したか、エルがマントの縁から愛らしい瞳だけを覗かせ、ハニーを見つめていた。

 ハニーを気遣う優しい声で、もう一度エルは眠れないの、と問いかけた。

 その愛らしい仕草にハニーの胸がきゅんと高まる。

 その高鳴りを気付かせないように、ハニーは無理やり笑顔を浮かべた。


「ご、ごめんね!起しちゃった?」


「ううん、大丈夫。それよりもハニーは少し寝た方がいいよ。疲れているでしょ?」


 もぞもぞとマントの中で身じろぎしたエルは、そのマントにハニーだけを残して立ち上がった。

 ハニーと向かい合うように焚き火に背を向ける。

 そして小さな手を伸ばして、その頭を優しく撫でた。

 大きな青の瞳がじっとハニーを見つめる。

 どれだけ深い森にいても色褪せることないその瞳の深さにハニーは吸い込まれていくような気がした。


「寝むれないなら、僕がずっとこうして撫でていてあげる。他にしてほしいことはない?貴女が望むことは何だって僕がしてあげる」


 そう言ってエルは優美に微笑む。まるで聞き分けのない子どもを寝かしつけるかのような仕種だ。

 いつも軽やかに跳ねる鈴のような声が、今は柔らかでしっとりした響きでもってハニーを優しく包んで穏やかなまどろみへと誘う。


「まるで立場が反対ね」


 自分よりも大人っぽいエルの余裕にハニーは僻むように唇を尖らせた。

 むぅと顔を顰めているのは、けしてエルの優しさが嫌だからではない。

 本当は泣き出したいほど嬉しいのだが、上手に顔と声が出ないのだ。

 複雑な乙女心は自分でも理解しがたい。

 素直に甘えたいが気恥しさが先立つ。

 きっとここにいるのがエルだけでないからだろう。

 寝ているとはいえラフィにこんな姿を見られたくないと思ってしまう。

 だが、そんな複雑怪奇な心模様をエルが分かる訳がない。

 彼は心配げに眉を寄せ、熱の籠った青い瞳をずいっとハニーに近付けた。

 小さな手がハニーの頬にあてがわれる。


「ちょ……エル?」


「僕はハニーが誰よりも大事なんだ。立場なんか関係ない。それでもハニーが僕との関係に何かしらの言葉を求めるなら、僕はその役目に甘んじよう。それが僕の生きる意味だから………」


 いつもの愛らしい少年とは違い、夜気を含んだエルは大人の色気に満ちているように見えた。

 それは初なハニーの心にあっという間に火を付ける。

 バクバクと高鳴る心臓の音で思考が邪魔される。

 しかしそれでいいとハニーは思った。

 クリアーな思考が導き出す答えなど知りたくなかった。

 大人以上に落ち着いていて、洗練された少年はハニーの全てを見透かすようにじっと見つめてくる。


「言って?どう振る舞えばハニーは納得するの?」


「もうっ!エルはなんでも真剣にとらえ過ぎよ。わたしとあなたは友達なの!友達に上下はない。横に広い関係なんだから!!でもね、わたしの方が年上だから、わたしはあなたを守らなくちゃいけないの!分かる?」


 顔を背け、早口で捲し立てたハニーははぁはぁと息を吐いた。

 一気にしゃべらないと勢いが持たない。

 ちょっとでも隙を見せると、エルの曇りなき瞳で真実を引き出されるような気がした。

 言うだけ言って、エルの反応を窺うようにちらりと視線を漂わす。

 金色の瞳に映ったエルは何か言いたげな顔をしている。

 ハニーは焦ったように頭を巡らせた。

 もう自分が何を話しているのか、自分でも分からない。

 指揮者のタクトを外れた音が不協和音の波となって押し寄せていく。


「あ~えっと……いいえ、違うわ!今のは訂正ね。あなたを守るという使命を持っていないと、わたしはこの森を駆け抜けることができなかった。友達なんだけど、でもちょっと違うっていうか……つまりね、その~わたしがいうところの立場っていうのは、そういうことで、別に役目を追わないといけないとかじゃなくて、何か名前をつけなきゃわたしがやってこれなかったというか……そうよ!これはわたしだけの問題なのよ!ね、分かるでしょう?」


 きっと誰にも分かるはずがない。

 自己満足の言い訳を押し売りの如く、語気を強めて言い含めた。

 それでもエルは変わらず物言いたげな目でじっとハニーを上目使いに見つめてくる。

 こうなると、もうお手上げである。どんな天の邪鬼も純粋の塊には勝てない。

 ハニーは根負けして、白状した。


「………その、つまり……あ~もうっ!ホントはエルが時々びっくりするほど大人っぽいから、自分が負けた気になるのよ!だからちょっと拗ねただけ!それだけよ!」


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