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約束の証1

「それで、まだ女王は見つからないのですか?」


 余裕のない、焦燥に駆られた顔でハールート・マールート大司教は目の前に控えるエクロ=カナンの騎士を見つめた。

 ゼル離宮の一室、先ほどイオフィエーラらを通したのとは違う大司教用に用意されたそこには、先ほどと違って豪奢な調度が数多く置かれていた。

 先ほどの部屋が大司教としてのフォーマルな部屋ならば、こちらはハールート個人のプライベートな部屋と言えるだろう。

 その部屋の中心に置かれた大ぶりの椅子に踏ん反り返り、ハールートは自分の前に膝をつく騎士をじろりと見つめた。 

 無表情のまま、卒なく控える彼の顔からは何の展開も読めず、より一層ハールートは焦燥感に駆られた。

 この、傲慢な彼らしさをそのまま体現したような室内に人を通すのは初めてである。

 多少の抵抗はあるが、先ほどの部屋で騎士達から報告を受ける訳にもいかなかった。

 ハールートは意気消沈したような顔でサリエらに協力を求めつつも、肝心な部分には触れなかった。

 出来れば彼らと女王が接触する前に女王を捕え、その息の根を止めなければと考えていた。

 彼らと女王を接触させることは極めて危険である。

 聡明な彼らがどのタイミングで、ハールートの隠す真実に気付くか分からない。

 噂の真実も、彼の意図も、全てハールートの胸の中で静かに朽ちさせなければならない。

 ハールートは知っていた。真実はすり替えることができると。

 それも驚くほどにあっさりと。


 彼が行ったことは、全ての現象から見ればほんの些細なことだ。

 不可思議な現象に名前を与え、そこにある人の不安を操る。

 彼が行ったのは、それぐらいだ。

 時には事実を僅かに湾曲させたり、誇張もしたが、そんなことは誰もがやっていることで、責められる言われはない。

 彼とその他の者の違いは、他意があるか、ないか。

 そして、その言葉の先に何があるか明確に理解しているかだけだ。

 そうやってハールートは、始めそこにあった事実とはまったく異なる世界を自分の都合のいいように再構築した。


「エクロ=カナンの女王は、聖域が極秘に探しているアレを手に入れた」


 彼が何かの折に耳に挟んだのは、そんな根も葉もない噂だった。

 その前から「悪魔崇拝」やら、「レモリーは魔女だ」やら、年若い女王についての噂は引きも切らなかった。

 どれもがやっかみや、好奇心ばかりが先走ったもので、相手にするのも馬鹿らしいものだった。

 その噂を聞いた時も、始めハールートは鼻で笑ったものだ。

 極秘で手に入れたと噂になっている時点で、それは極秘ではなく、公然の出来事だ。

 だが彼の思いもよらぬところで、その噂は聖域にいる高位の司教たちの間で広まり、そして皆虎視眈々とこの国にある、アレを狙いだしたのだ。

 その時、この機会を逃してはならないとハールートは咄嗟に感じた。

 何の価値もないエクロ=カナンという土地が俄かに価値を帯びたのだ。

 今まで辺境の司教という立場に甘んじていた自分にもようやっと権力の鉢が回ってきた。

 聖域の欲しがるアレというのが、ハールートには皆目検討もつかなかった。

 だが枢機卿という輩は自分の権威しか頭になく、それをより強固にするために聖遺物や福音書などのたぐいを集めたがる。

 そんなものハールートは毛ほども興味はないが、利用できるものならば全てを利用してやろうと穏やかな笑みの下で、突如目の前に現れた聖域での利権というご馳走を前に舌舐めずりをしていた。

 元からあったレモリーが悪魔を召喚しているという荒唐無稽な噂に、更にありもしない事実を紛れこませ国中に流布させた。

 そして、その噂により距離を広めた女王と弟王子の間に入り、彼を唆した。

 より噂を強固なものにし、女王を孤立させんと、ミルトレ公の娘に近付き言葉巧みに騙して、ミルトレ公を殺害し、ミルトレの民を根絶やしにした。

 こうやってレモリーは哀れな女王から悪魔の女王に変わり、そして、実の弟によって幽閉されるまでの事態になったのだ。

 ハールートは面前の騎士に悟られるよう、ほくそ笑んだ。

 誰も気付きはしないだろう。いつからか世界が違う色に変わっていたなど。

 人は徐々に変わる変化に疎いのだ。

 だから、このまま誰にも気付かせぬように消し去らなければならない。

 沈黙を課せられた旧世界を。そして、そこにある女王の生の声を。

 サリエらにはこのまま表にある薄っぺらい現実だけを見つめたまま、聖域に帰ってもらわねばならない。

 故に情報は必要最小限しか与えるつもりはなかった。

 もしあの部屋で報告を受けて、小賢しい顔をしたサリエに何かを悟られるのは、彼の本意ではない。

 ハールートが顎をしゃくってみせると、恐縮した面持ちの騎士が恭しく目を伏せた。

 彼は問われるままに自身の知り得た情報を澱みなく伝える。


「先ほど入った情報によりますとアンダルシアの騎士団を打ち破り、何処かへ逃走したとのことです。これは捜索中のシーリエントの騎士団が倒れているアンダルシアの騎士団を発見し、介護した際に聞き出したもので、確かなことのようです。このシーリエントの騎士団長によれば、女王はその前に森の中にある朽ちた神殿で………」


「アンダルシアの騎士団を打ち破った?」


 思いもしない言葉にハールートは身を預けていた椅子から身を起こした。

 突如言葉を切られ、その騎士は驚いたように視線を上げた。

 その先にあるのは常に柔和なはずの大司教ではなかった。

 自分を繕うのも忘れ、ギラギラした本性を曝け出した、醜悪な男がそこにいた。

 その威圧感に言葉が出ず、騎士は戸惑いに言葉を詰まらせる。

 だが偉大な大司教という遠眼鏡で彼を見つめる騎士には、目の前にいる男は変わらず神聖な大司教で、その劇的な変化にすら気付かなかった。

 慣れとは怖いもので、思いこみが彼を鈍化する。

 騎士は慇懃な姿勢を崩さず、大司教に絶対の忠誠を誓わんと更に頭を垂れた。


「はっ!何でも女王の眼力に騎士達は体を竦ませ、見る間にばたばたと倒れていったとのことです。助けに行ったカイリ隊長曰く、アンダルシアの騎士は「悪魔の瞳が……噂の異端が……」と口ぐちに呻いていたそうです。「おそらく女王の邪眼にやられたんでしょうな」と隊長は自信を持っておっしゃっておりました。やはり女王は悪魔憑きなのですね。邪眼で人を射殺すことができるなんて!」


 異国の、思いこみの激しい一騎士の言葉を真実と受け止めたらしい騎士は顔を強張らせている。

 他人から聞く女王は本当に悪魔のようだ。

 騎士の知っている、慈愛に満ちた女王はもうどこにいない。

 森を彷徨い、今にもこの城に襲いかからんとしているのは、髪も瞳もその姿さえも変わってしまった悪魔の女王だ。

 エクロ=カナン王国に仕える騎士として、どうか元の美しい姿に戻り、またこの国を導いてほしいと願わずにはいられない。

 それが叶わぬなら、せめて更に罪を重ねる前にそっと死を選んでほしい。

 それが複雑な騎士達の胸中だ。

 噂を受け入れても、僅かに残る『もしも……』にかけずにいられない。

 だが、そんな篤き騎士の心など、所詮異国出のハールートが分かるはずもない。

 彼は何も言わず、騎士から背を背けた。

 騎士には見えないように本音を曝け出した顔を歪め、唇を噛みしめた。怒りを堪えるように拳を握る。

 だが、どれだけ握りしめても震えるその片腕だけでは、煮えかえる感情を抑えることはできなかった。


(……ふざけるな!思い込みばかり先走りして役に立たぬ筋肉馬鹿がっ!何を偉そうに邪眼だなど!所詮、自分の知恵が回らなかった言い訳だ!!金色の王冠がなければ、あれはただの女。ちっぽけで、貧弱で、騎士達を撃退する力などあるはずないんだ……)


 ぎりりと噛みしめた歯が擦れる音がした。

 憤怒に歪んだ顔は、欲に塗れた悪魔のようだ。

 焦燥に駆られ、彼はもう温厚な大司教の仮面も被れていなかった。

 策を弄し、あまりにもうまく事が進むことにうぬぼれながら、彼はたった一つうまく運ばなかった現実に戦々恐々としていた。

 女王が生きて、あの惨劇の場からいなくなったこと。

 それが彼の余裕を全て打ち砕いた。

 時間が経てば経つほど、女王が生きている現実が重く彼に圧し掛かり、彼の神経を殺いでいくのだ。


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