優しい詩18
「そもそもね~うわさじたいがぁ、ぜんぶっっっ!うそなのよぉぉぉぉぉ!……じょおうをおーざからひきおろしたいやからがかってにいいふらしているねもはもないもの!うわさってかたちでじょおうにおめいをきせ、くにをおぉーとしているの!これはりっぱなむほんよ!むほん!わかるぅぅぅぅ?」
酒に酔って顔を真っ赤にしたハニーは大きな声で叫んだ。
疲れの為か少しの量でも酒は一気にその体を駆け巡り、彼女を飲み込んでいた。
薄暗かった森はさらにその闇を深くしていた。
空を見上げても同じ闇が続くばかり。
ハニーの世界はラフィによって灯された焚き火が照らす範囲だけだった。
明るい炎影に、ハニーの影が揺れる。
時折風もないのに、森の木々がガサリと音を立てる。
何かが潜んでいるのか、それとも気の所為なのか、始めは聞こえる度にビクリと身を震わせていたハニーだが、酒が進むにつれ、そんなことは一切気にならなくなった。
あの神殿を離れてどれだけの時間が経っただろうか。
一日も経っていないのにひどく昔のことに感じる。
それだけ濃い時間を乗り越えてここに至ったのだ。
あの塔から抜け出した時はたった一人だった。
何人もの騎士に出会ったが、皆兇器を手にハニーを追ってきた。
焦燥に駆られた瞳では自らの孤独を見つめる余裕もなかった。
ここに来て、やっと自分の歩んだ道を冷静に振り返ることができた。
それはハニーの知っている険しい茨の道だ。
だが、たった一人で歩んできたはずなのに、その道にある足跡は自分だけではなかった。
隣を見れば、エルが気持ちよさそうに寝息を立てている。
前を見れば、興味深々とばかりに目を輝かせるラフィがいる。
たった一人だと思っていた。
だけど今、ハニーの側には二人も自分を信じてくれる人がいる。
それが泣きそうなほど嬉しくて、でも素直に表現するのが恥ずかしくて、結局何も言いだせない。
そんなちっぽけな自分に傷ついたり、でもそれ以上に与えられる温かさが大きくて、はにかむように喜びを噛みしめた。
(なんか、むずがゆいよ……どう表現したらいいのかしら?この相反しているのに、同じようにわたしを揺さぶる感情を………)
言葉が出ずに、複雑に眉を寄せるハニーをラフィが黙って見つめてくる。
その心の中を見透かしたような笑いに、ハニーは思わずぐいっと小瓶を呷った。
情けない自分を酒と一緒に飲み込んでしまおうと思ったのだ。
だがそれが全ての間違えだったのかもしれない。
結局ハニーはそのまま酒に飲まれ、今に至るのだ。
ハニエルはいつも以上に上がったテンションのまま、大声で喚いた。
何故だろう。
普段以上に自分の感情が剥き出しになって表に出てくる。
バクバクと高鳴る鼓動が耳全体に響く。
視線の定まらない、熱に潤んだ瞳でじっとラフィを見つめるが、先ほどからラフィが何故か三人も見える。
こんなにも賑やかな集まりだったかしらと、首をかしげながら、まぁいっかと自分を納得させ、三人のうちの一人の鼻先に指を突きつけた。
「らふぃぃ~!きいてるぅぅぅ?」
そんなハニーにラフィは焚き木の番をしながら、はいはいと相槌を打った。
少々減なりした顔になるが、これも愛嬌だ。
ハニーはため息を吐くラフィを不満そうに見つめた。
だが先ほどの科白を3度も聞かされ、その都度大声で喚かれ、最後にさめざめと泣きながらエル、待っててと言われれば、聞く方が投げ出したくなるのも当然だ。
ラフィがハニーの口を軽くするために酒を勧めたのだが、まさか絡み酒を発揮されるとは思いもしなかった。
すぐに自分の行いを後悔せざるを得ない状況になってしまった。
「だいたいねぇ~あくますーはいとかさぁっ、ありきたりなのぉぉよ!」
絡み酒の女王陛下はもう数度目になる叫びを上げた。
愛らしい金色の瞳は完全に据わっている。
酔いの所為で真っ赤に染まった頬が愛らしいが一度でもそんなことを口にすれば、数倍の罵詈雑言になって返ってくる。
つい先ほど身を以て知ったラフィはただ諾々とハニーに相槌を打つしかない。
あっという間に寝息を立ててハニーの相手を放棄した少年エルを心の中で責める。
だが、寝た子を起こすなどラフィにはできない。
その優しさに甘えるようにハニーは声を大きくする。
「あくまをよんでせかいをこんとんにきすなんて、バッカみたい!ねぇ、そうおもうでしょっ!」
「はいはい、思う思う。……ははっ、この女王様は大トラだな」
「ちょっと~……なんかいった?」
ひっくとしゃっくりをし、据わった眼で睨みつけてくるハニーにラフィは怯えるように肩を竦めた。
まさか自分の言葉に反応するなど思ってもみなかった。
自分をじっと見つめるハニーの金色の瞳は炎の色を映しこんで、先ほどよりずいぶん柔らかく見えた。
もしかしたら今見ている色が本来の彼女なのかもしれない。
今までの彼女は、そのか細い身と自分よりも小さな存在を守る為に常の温かさを消し、似合わぬ厳しさを纏っていた。
ならば今の彼女はラフィを認めて、心を開いてくれているのだろう。
ふとそう思うと、ラフィは言葉に詰まった。
素直に自分に甘えてくる少女の、真っ直ぐな瞳に思わず気恥しさを感じる。
自分に全幅の信頼を置いている彼女の素直さに当てられ、自分はそんな出来た人間じゃないと思いつつも、どうか今だけはそう信じていてほしいと、温かな金色の瞳に願った。
頭を掻きながら、ラフィはワガママな女王陛下の期待に添えるよう、彼女がお気に召す言葉を探した。 焚き火に照らされたラフィの影も困惑に身を小さくしている。
それをハニーの影がじとりと見つめている。
「はは……大トラとは言えないな。もっと暴れ出しそう。……えっと、偉いなって言ったんだよ」
「えらい?」
ラフィの言葉を聞き咎め、ハニー眉を寄せた。
まさか自分の言葉にハニーが反応を示してくるなど想像もしていなかったラフィは焦った。
さっきまではラフィが何を言おうが構わず自分のことばかり話していたくせに、何故言葉を窮した時に咄嗟に出た言葉にこんなにも食いついてくるのだろうか。
だが後の祭りである。
我がまま気ままな女王陛下は、じっとラフィを見つめ、家臣の言葉を待っていた。
「そう!えらい!一人ででも頑張って国を守ろうとして偉いな~って言ったんだ。何か、お気に触りましたか?女王様」
ラフィはおどけるように目を剥いてみせた。
ハニーは何も言わない。代わりに穴が開くほどに真っ直ぐ、ラフィを見つめてくる。
その金色の瞳には驚愕の色が浮かんでいた。
何か彼女の気に障ることを言ったのだろうかと、ラフィは先ほどまでの3度のやり取りを思い出し、戦々恐々とした。
だが噛みつかんばかりの大トラは今や口を開けたまま、何も声を発さない。
ただ息を飲んで、じっとラフィを見つめるのみ。
その真っ直ぐに自分に向かってくる眼力に負けて、ラフィは気まずげにそっと視線を外した。
「おいおい、世間に薄汚れたおっさんにその目は反則だぞ?」
困ったように片眉を上げ、言い訳がましく口をもごもごさせた。
だが何を言ってもハニーの態度は変わらずだ。
その真っ直ぐな視線がラフィには今は耐えられなかった。
口から咄嗟に出た言葉だと悟られたくなかったのかもしれない。
常に全力で生きている彼女に、適当に言った言葉はそぐわない。
自分を誤魔化す為に、咄嗟に出たふざけた言葉が今は恨めしい。
もう一度ちゃんと言い直そうと、ラフィは頭を巡らせた。
ハニーはそんなラフィに構うことなく、食い入るように彼を見つめていた。
金色の瞳を大きく見開く。
あまりに見開くものだがら今にも零れ落ちて、この闇を照らす新たな太陽として、生まれ落ちていくかのようだ。
「……もっかい、いって」