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優しい詩17

 サリエは何も言わず、乱暴な手つきでイオフィエーラの体を床に押しけた。

 熱っぽい指先がもどかしいほど繊細にイオフィエーラの肌を滑って行く。

 そのじれったい指の動きにイオフィエーラは更に欲を引き立てられた。

 彼は女性がどこを触れられれば欲情するのか知っていて、それをあえて外した場所を触れてくる。

 そうやってイオフィエーラがサリエにもっと欲情するように仕向けているようだった。


(なんて底意地の悪い男なの。でも、こんな高揚感は初めて……) 


 思わず目を細め、自分に圧し掛かる男を見つめた。

 ただ美しいだけではない、妖艶なまでに魅力的な男は常の無表情を改めない。

 利用してやると思った心が、別の感情に支配されていく。

 この男に身も心も溺れてしまいたい。そう昂ぶる本能を何とか押しやり、イオフィエーラは怜悧で酷薄な理性を総動員した。

 体の奥から溢れる官能の泉に蕩けきった眼差しをそのままに、理性で彼の欲に引き立ててやろうと身を捩る。

 サリエは言葉の代わりに項から耳元までをゆっくりとなぞって応えた。

 耳元を離れた指が、イオフィエーラの頬に咲く赤い花を踊るように撫で、ふっくらと厚い真っ赤な唇にまでいきつく。

 そのまま指先がじっとり湿った唇に添わされる。

 白い指先が真っ赤に染まっていく。

 その指を一旦離すと、サリエは自分の目の前に掲げた。


「これが快楽の果実?」


 そう言って自分の赤い舌でねっとりとその赤い口紅を舐め上げる。

 快楽に犯されたイオフィエーラは熱の籠った眼差しでその一挙手を見つめた。

 彼女の中で本能と理性が鬩ぎ合っていた。

 湧き上がる劣情に身悶え、思わず足の付け根を擦り合せてしまう。


「確かに……なんて甘い………」


 いつも精悍な声が今は掠れたような、苦くも甘く響きを持っている。

 冷たくも熱い魅惑の黒曜石がキラリと輝き、イオフィエーラを見下ろしていた。

 その上から意地悪く見下ろす顔がまた扇情的だ。

 その視線に晒されて、イオフィエーラは目で犯されているような錯覚を抱いた。

 サリエは自分の舌で濡れた指でもう一度イオフィエーラの唇紅を拭うと、無理やり口腔内に指をねじ込んだ。

 そのまま指で赤い口を蹂躙する。

 ぁんっと快感の吐息と共に、口の端から唾液が流れていく。

 もっと、と強請りながら、イオフィエーラはその身をサリエに絡ませていく。

 快感に耐えるように黒衣の中に差し込まれた細い指でサリエの広い背に爪を立てながら、欲に濡れた声を上げる。


「嗚呼……おかしくなってしまいそうよ?ねぇ、どうか真実の貴方を見せて。じゃないとワタクシ、怖いわ。貴方が恐ろしいの。貴方がここにいる理由がワタクシには分からない……ねぇワタクシを安心させてぇ………」


「ゾフィー………」


 甘くも切ない、その吐息のような声にイオフィエーラは勝ち誇ったように口元を押し上げた。

 サリエが自分に陥落した。

 今彼はただの雄で、イオフィエーラの言いなりだ。

 その事実に女の矜持を満たされ、イオフィエーラは恍惚としていた。

 彼に命を下したのは教皇である。

 サリエの派遣の裏側には教皇が枢機卿らに見せない機密情報があると見て間違えない。

 わざわざこんな辺境までやってきたのだ。

 あの小猫以外にも有益な情報を得なければ、無駄足になる。

 あの小猫の反応から、自分が根も葉もない噂に翻弄されて、何者かに踊らされていることは簡単に推察できた。

 聖域の魔女ともあろう自分が、『禁忌の書』という言葉に浮足立ってしまって、真実も見極めずにこんな所まで来てしまったかと思うと恥ずかしくてたまらない。

 ここは何か一つ有益な結果を残さなければ、イオフィエーラの名が廃る。

 『禁忌の書』の代わりになり得るのはサリエだけ。

 彼以上に魅惑の果実はない。

 教皇から下された使命を聞き出した後は、サリエをおいしくいただくだけだ。

 そして彼を自分のものにして、ゆっくりと自分好みの男に仕立て上げるのも悪くない。


「サリエ……」


 そう、しどけない口元から官能的な囁きが零れた時だった。

 急に部屋を満たしていた濃厚で濃密な空気が凍りついた。

 ピシッと全てが絶対零度の世界に慄き、時間すらも動くことができない。

 何が起きたのか、欲情に濡れたエメラルドの瞳では事態を見極めることなどできない。 

 次の瞬間、イオフィエーラの美しい瞳に映ったのは酷薄な笑みを浮かべるサリエだった。

 突き放したような冷たい視線にイオフィエーラは我に返る。


「この俺がそんな見え見えの誘惑で我を忘れると、本気で思ったのか?残念な女だ。そんな薄っぺらな色仕掛けじゃ、勃つものも勃たない」


 イオフィエーラの美しい肢体は痺れたように動かない。

 さっきまでの熱いやり取りが嘘のよう。

 快楽の波が引いた後に残ったのは、無残なほど冷え切った情事の余韻だった。

 侮蔑の込められた氷の瞳が冷やかにイオフィエーラを見つめていた。

 大きく見開かれたエメラルドの瞳が現実を見つけられず、困惑に揺れ動いていた。

 そんなはずはないと、自信に満ちた色合いが瞬間にくすんで、パキリとひび割れてく。

 全てを曝け出させられた女には、常に纏っていた毒気もない。

 夜の帳の中で覗かす、女の本能を無理やり日の下に晒されたような羞恥心が一気に込みあがり、頬が真っ赤に染まった。

 その初めて見せる余裕のない、浅はかな女の顔を愉しそうに見下すとサリエはクッと喉を鳴らした。

 その黒曜石の隻眼にはあんなにも燃えがっていた欲情の炎など存在していなかった。

 常と変わらない蔑むような凍てつく瞳。冷ややかな瞳がイオフィエーラを嘲笑する。

 イオフィエーラは口を戦慄かせ恥辱に顔を歪めた。


「なっ!」


 その顔がいたくお気に召したのか、サリエは更に優美な笑みを浮かべた。

 僅かに乱れた黒髪を無造作に掻き分け、濡れたような瞳でイオフィエーラのしどけない姿を見下ろす。

 彼女の上に跨ったままの、妖艶な仮面を剥がされた哀れな女を見下ろす。

 そして、今まで以上に濡れて滴るような凄艶の眼差しを向けた。


「聖域の毒婦が聞いて呆れるな。どれほどの手腕を持っているのか、楽しみだったのに。これなら場末の娼婦の方がまだ可愛らしく誘ってくるぞ」


 その抑揚ない声にイオフィエーラは自分の身に流れる血が逆流するような怒りを感じた。

 熱に犯された身が端から一気に冷え固まっていく。

 まさかこの場において、こんな裏切りが成されるなど誰が想像できただろう。

 ありえないと、イオフィエーラは現実を受け入れられなかった。

 今までただの一度も自分の懐に落ちない男はいなかった。イオフィエーラに失敗など存在しないのだ。

 なのに……自分を床に押し付けること男は、一旦は快楽におぼれた振りをして、一番イオフィエーラの自尊心を傷つける方法で状況を一変させた。

 この底意地の悪い男なら考えそうなことだ。

 一旦なびいた振りをして裏切るのが一番効果的な結果を生む。


「……ありえない……」


 瞬時に状況を把握してもまだ、現実を受け入れられず、イオフィエーラは呻いた。

 床に押し付けられたまま、震える視線で麗しくも薄情な男を見つめる。

 そんな彼女に冷たい一瞥をくれてやると、サリエはもう自分を誘惑した女になど興味はないとばかりに立ち上がった。

 ゆっくりと出口に向かいながら自分の乱れた服を気だるげに直す。

 その姿がまた妙に艶めかしい。

 きゅっと詰襟を合わせ、バサリとマントを払う。

 そこにいるのはもう淫らな聖職者ではなく、どこまでもストイックに敵を追い詰める聖十字の騎士だった。

 その背後で自尊心を傷つけられ、唇を戦慄かせるイオフィエーラなど顧みない。

 標的を見据えた狩人の瞳が鋭利に輝く。

 そっとドアに手を掛け、サリエはふと何かを思い出したように濡れたような隻眼を背後に向けた。

 そこには未だ現状を理解できない、哀れな女が霰もない姿で座り込んでいる。

 常の微笑も、張り巡らされた知略もない、ただの女が煮えたぎるような感情を顕わにして、彼の背を憎悪に満ちた視線で睨みつけていた。

 もしかすればその背を呪っていたのかもしれない。

 その怒りに満ちた顔は、今まで見たどの彼女のよりも生き生きとしていて、愛らしいとサリエは思った。

 だがあえて口にすることではない。

 彼は誰もが惚れこむほど優美で、扇情的で、それでいて底意地の悪い笑みを浮かべるとイオフィエーラに言い放った。


「鏡を見て出直してくるんだな」

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