優しい詩16
「サリエ、噂にたがわず美しいのね。ワタクシ、一目見て貴方の虜になってしまったわ。ねぇ、ワタクシにだけ教えて下さらない?噂の異端審問官の隠された素顔を。もちろん、その左眼の秘密も含めて、ね?」
珠を転がしたような猫撫で声がサリエの耳朶を擽る。
いつの間にか席を立ったイオフィエーラがその耳元に唇を寄せていた。
じっとサリエを見つめるエメラルドの瞳には熱が宿っている。
ゆっくりとサリエの耳元から顔を上げたイオフィエーラは淫靡な頬笑みを浮かべて、サリエを見下ろした。
薄闇に沈んだ室内に僅かに灯る蝋燭の炎が妖しく揺らめく。
その炎影がイオフィエーラの姿を壁に浮かび上がらせていた。
その影すら濡れたような色を含んでいる。
イオフィエーラの持つ飾り扇がそっとサリエの顎にかけられた。
そのまま上を向くよう込められた力に抗うことなく、サリエは自分の前に立つ妖艶な美女を見つめた。
濡れたエメラルドの瞳がひどく扇情的で、体の奥に隠された欲に火を付ける。
彼女自身もそれを感じているのだろう。
余裕無げに眉を寄せ、音のない嘆息を吐くとイオフィエーラはサリエの顎にかかっていた飾り扇を床に投げ捨てた。
彼女自身熱に駆りたてられているらしい。
椅子に座ったサリエの上に跨るようにその身を寄せて、サリエを官能の海に誘う。
芳しい吐息が漏れる唇は意味ありげに開かれ、僅かに覗く赤い舌がひどく淫らだった。
サリエの目の前にはドレスの胸元からはち切れんばかりに溢れる豊満な胸がある。
弾力に富んだ白い肌は瑞々しく、肉厚にぎゅっと寄せられて真ん中に深い渓谷を作り出していた。
その魅惑の渓谷はまさに傾国の香りを燻らせている。
その渓谷にそって視線を下げれば、きゅっと引き締まった、ほっそりとした腰がある。
そのアンバランスな対比が愛欲の黄金率であるのは言うまでもない。
普段は長い裾に覆われた足が捲れ上がったドレスから大胆の晒され、サリエの太ももの上に乗っている。
むっちりとした太ももは滑らかで、仄かに朱を帯びていた。
白魚のような美しいイオフィエーラの指がサリエの頬を撫でた。
上から覗き込むように漆黒の隻眼にありったけの熱を注ぎ込む。
「イオフィエーラ枢機卿……」
特にイオフィエーラの手を拒むことなく、無表情のままサリエは自分を見下ろすイオフィエーラの妖艶な瞳を見つめた。
抑揚なく、しかし気だるげな色香を含む声は掠れていて、余計に欲をかき立てる。
男の滴るような色香がその漆黒の身から漂っていた。
「どうか、今だけはゾフィーとお呼びになって」
熱い吐息をサリエの耳元に囁き、イオフィエーラの指は更にサリエの体を下っていく。
ほっそりとした首元を撫で、そして黒い詰襟に覆われた内部へと侵食していく。
ゆるりゆるりと曝け出されるその手をサリエはされるがままに受け入れた。
詰襟を止める掛け金をいとも簡単に取ると、くっきりと浮かんだ鎖骨に指が触れた。
その指は更に熱を帯びて、サリエの引き締まった胸筋を撫でて、彼のもっと奥底へと落ちていく。
霰もなく肌蹴られた白磁の肌にそっと頬を寄せ、イオフィエーラは熱っぽく見つめ上げる。
その顔はまるで恋に恋するいたいけな少女のようだった。
エメラルドに濡れる瞳の中で、サリエは隻眼を細めてイオフィエーラに応える。
「もっと貴方が知りたいわ」
そう熱の籠った声がサリエの耳朶を濡らす。
イオフィエーラの唇がサリエの胸元を甘く噛んだ。
それが合図だった。
今までされるがままだったサリエが性急にその身を寄せた。
細い腰に腕をまわし、もう片方の手で綺麗に纏められた亜麻色の髪を掴んだ。
乱暴なほど激しくイオフィエーラを抱きかかえると、そのまま彼女のほっそりした腹に顔を埋めた。
そのままの体勢でサリエは勢いに任せ、彼女の髪を留める髪飾りを引き剥がした。
美しく波打つ亜麻色の髪が細いイオフィエーラの首元を通り胸元に流れていく。
乱れた髪の下にあるのはいつもの澄ました顔はない。
そこにあるのは聖女のそれではなく、欲情した雌の顔だ。
サリエは優しさの欠片もなく、乱雑なほど激しく彼女をその場に押し倒す。
そして細い首元に唇を添わせ、下から快感を押し上げるようにドレスの裾を上げた。
イオフィエーラの隠された美脚が冷たい外気に晒される。
「俺の…何が知りたいのですか?」
魅惑の香りが溢れる首元に顔を埋め、耳朶を擽るように囁く。
抑揚がない癖に、吐息だけは熱を帯びている。
(本当に……どこまでも計算高い男ね)
そう、乱れた息の中でサリエに悟られないよう、イオフィエーラは悔しげに唇を噛んだ。
なかなか手のうちを見せないクセに、ここぞという時に切り札を切ってくるのだ。
ずるい男だ。
不意に見せつけられるギャップに女が快感を抱くと知ってのことだろうか。
これが彼の作戦なら、完敗である。
燃え上がる肌が更に隠されたサリエを知ろうと燃え上がる。
イオフィエーラは体の奥底がぎゅっと締め付けられたような快感を覚えた。
この冷やかな男の中に流れる滾るような血潮に触れたい。
そう思うと肌の間を何かがぞくぞくと駆けあがっていった。
「……全てよ。余すことなく全て………。服の下に隠した貴方の素顔が見たいの」
冷たい床に広がる亜麻色はまるで稲穂の海のようだった。
その中に埋もれるようにしてイオフィエーラはサリエを見上げた。
甘えるように声を潜め、瞳を揺らす。絡みあった視線の先――隻眼の中に欲情の炎を見つけ、イオフィエーラは満足げに口の端を押し上げた。
いかな屈強の異端審問官といえども、サリエも男だ。
この自分に堕ちないはずがない。
イオフィエーラはこうやって男を籠絡して、自分の身を高めてきた。
時に自分の翻意でない相手とだって必要だと判断できれば誘惑してきた。
しかし今回の相手はあのサリエだ。
どんな女よりも美しく、どんな男よりも屈強な男。
一度でもいいからそんな男に熱心に見詰められたいと思うのは、女として当たり前だろう。
それが聖職につく者であっても。
それに……。
(サリエをワタクシの手の内に引きずり込みたい)
イオフィエーラはサリエの持つ全てに魅力を感じていた。
今、彼が持っている情報だけでなく、今後彼が手にする地位にも思いを馳せる。
女の身ではなかなかにうまくいかない世界だ。
どれだけイオフィエーラが神に忠誠を誓っていても高みに登ることはできない。
それならば影の黒幕となって、世界を支配するのも悪くない。
その手段の一つとしてサリエは誰よりも魅力的だった。
いや、そんなことは建前だ。
悔しいがこの冷たくも傲慢な男の魅力に当てられてしまったのだろう。
イオフィエーラは出会った時より、サリエのことをそっけない態度ばかり取っているが所詮聖域しか知らないおぼこい童貞なのだろうと小馬鹿にしていた。
ボロを出すのが怖くて、自分に近付くこともできないのだと。
君主危うきに近寄らず。
それはある意味賢い選択だ。
未経験のボーイなどイオフィエーラにかかれば、赤子も同然だ。
そういう素っ気ない態度が、逆に未経験だと宣言しているようなものだ。
それこそイオフィエーラの攻めるポイントだ。
何も知らないからこそ簡単に籠絡できる。こういう頭でっかちの男に限って、怖がって触れもしなかった世界への羨望が強いものだ。
アシュリがこの部屋を出ていった瞬間、咄嗟にイオフィエーラはサリエを自分のものにしてやろうと思いついた。
ただの思い付きだが、悪くない発想だった。
今彼に押し倒されるまで、瞬間に勝負が決まると信じていた。
それがどうだろう。
焦らすように触れるその手付きはどう考えても素人のものではない。
サリエの手が長く艶やかなイオフィエーラの髪をそっと梳くと、そっと口を添えた。
そして彼女を試すように流し目を送ってくる。
そんな彼の一挙手一動手から目が離せない。
途轍もない手管だ。
筆舌を尽くしても表せない、痺れるような感覚にイオフィエーラは溺れそうになっていた。
この男になら真の自分を見せてもいい。
そんな気さえした。
これから行われる行為に少しの不安と多大な夢を抱く少女のように頬を染め、イオフィエーラは甘い声を上げる。
「ああ、ずっと貴方にこうされたかったの。サリエ、浅ましいワタクシを笑わないで………」