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優しい詩6

 そっと伸ばされた小さな手がハニーの頬に触れた。

 その手に自分の手を重ね、エルの優しい言葉を心の中で抱き締めた。

 何故エルはこんなにもハニーの心が温まる言葉をくれるのだろうか。

 こんなにもちっぽけで、余裕がなくて、弱くて、思慮浅くて、情けない。

 格好だって泥だらけの襤褸切れだ。

 なのにエルは嫌な顔など一つも見せずに、ハニーの全てをその小さな体で抱き締めて受け止めてくれる。

 ハニーはエルの言葉に応えるように、エルの体をもう一度強く抱き締めた。

 頬を擦り合わせ、その耳元に大丈夫と囁く。

 エルはこそばゆいのか、はにかむ様に目を細めてハニーを見つめ返した。


「ありがとう、エル。わたしはあなたがいてくれるだけでいいの。あなたがいてくれるから笑うことができる………」


 そうだ。

 どれだけ寒さに凍えそうになってもエルという存在がハニーの心の生きる灯となる。

 小さくも目映い灯がこの深い森の中でずっとハニーの進むべき道を照らしてくれていた。

 ありがとう、という短いフレーズじゃぜんぜん足りない。

 感謝してもしきれない。

 エルがいなければハニーはここまで来ることができなかった。 


「ありがとう。わたしを心配してくれて……本当にありがとう」


「ハニー………」


「なんだ?訳ありかい?」


 感傷に掠れたようなエルの声を遮ったのは男の野太い声だった。

 二人のやりとりに、男は不思議そうに首を傾げた。

 ずいっと身を寄せてハニーとエルを交互に見やる。

 穏やかなその声に驚き視線を上げると、柔らかなへーゼルの瞳と目が合った。

 その瞳には彼は口に出した以外の他意は見えない。

 見た目通り人のよさげな彼は、今までのやり取りなど全てなかったように二人に手を差し出した。


「どうしたんだい?迷子の小猫ちゃん達。お家に帰れなくて身を寄せ合ってるのかい?よければ、お兄さんが力になるぜ?」


 自分の長い前髪をかき分けると、男は白い歯を零してニカリと笑った。

 そんな気障な仕草が暑苦しい顔に一層拍車をかけて、鬱陶しい。

 今日び場末の酒場でも格好付けて小猫ちゃんと呼びかける者はいないだろう。

 このベタな感じが男の気障な部分をやぼったく感じさせる。

 真面目な顔をしていればそれなりの男前なのに、その一歩余計な行動が彼を卒ある、残念な男にしているのだろう。

 だが、今この場にいるハニーやエルには的確に男に突っ込んでやる言葉を持っていなかった。

 それ以上になんと答えればいいのかも分からなかった。

 男の思いもしない言葉にハニーもエルもポカンと彼を見つめるしかできない。

 それもそのはずで、彼女らは常に誰かの冷たい視線に晒されて森を駆けてきた。

 一度だって他意もなく温かい言葉を掛けられたことがないのだ。

 彼の言葉が真の心から出たものだろうか。

 そう疑ってかかるのは仕方ないことだ。

 何も答えず、じっと訝しげに自分を見つめる四つの瞳を厭うことなく、彼は更に口角を上げる。

 彼にとってハニーは薄着の、女の魅力に乏しい、可哀想な少女で、エルはハニーの弟ぐらいに思っているのだろう。

 二人で森に出かけて迷子になってしまった姉弟が、深い森に恐怖し、出会う人全てに猜疑心を抱いても仕方ない、と。

 柔らかな彼の瞳からは子どもを前にした大人の余裕が窺えた。


「そんな警戒すんなって!お兄さんは見た目ほど悪い男じゃないぜ。それにこのまま、森にいれば、おれよりももっと怖い奴に取って食われるかもしれないぞ~」


 おどけた様に男は眉を寄せて、不敵な笑みを浮かべると、そっと視線を森の方に投げかけた。

 まるでその森にそれが潜んでいるとでも言いたげだ。


「………怖い奴?」


 ポツリと呟き、エルが小首を傾げた。その彼を抱きしめたまま、ハニーは自分を追う騎士団を思い起こし、身を震わせた。

 その二人の反応を自分の都合のいいように解釈したらしい。

 男は満足げに頷くと腕を組み、語気を熱くした。


「そうだ。とんでもなく、恐ろしい魔物さ。なぁ知ってるかい?……いや、知る訳ねーか、知っていたらけしてこの森に足を踏み込まなかったはずさ」


 思わせぶりに言葉を切り、男は自分の声のトーンを下げる。

 意味ありげに細められた瞳がじとりとハニーとエルを見つめた。

 この男が、ハニーが騎士団に追われているなど知る訳がない。

 なら男のいう魔物とは騎士団ではない。

 それにこの森は帰らずの森といわれるほどに深いのだ。

 見たこともない魔物が潜んでいてもおかしくはないだろう。

 男の言葉を待つハニーの身を凍てつく夜気が舐めていき、白い肌が粟立つ。

 それでもハニーは男から目が離せなかった。

 その魔物とはいかなるものなのか。それはハニーを追う騎士達よりも苛烈に追跡してくるのだろうか。

 それはハニーに噛みついた狼よりも獰猛なのだろうか。

 どれだけ進んでもハニーの歩む道を塞ごうと新たな刺客が現れる。

 その恐ろしい魔物もまた、どこかでハニーを待ち受けているのだろうか。

 ごくりと喉を鳴らし、男に先を促した。


「それは……何なの?」


「知りたいかい?実はこの森は忘却の森と呼ばれていて……」


「それは知ってるわ!そんなことよりも、森に潜んでいる魔物って何なの?それは狼よりも大きいの?」


 ハニーは噛みつかんばかりに声を張り上げた。意気揚々と語り出した男の言葉が途切れる。

 男はその声に出鼻を挫かれて鼻白んだが、異様なほど真剣に自分を睨みつけてくるハニーに根負けしたらしい。

 男は不承不承な面持ちで、相当長く続くはずだった話を大分と端折った。


「この森にはトンデモなく恐ろしい悪魔の女王が彷徨っているんだってさ!」


 投げやりに言い放たれた核心の言葉にハニーは全身の血が凍りついていくのを感じた。

 一瞬で全身が総毛立つ。

 鼓動までぎゅっと心臓を掴まれたようにその動きを止めた。

 感覚という感覚が爪の先からすうっと失われていく。

 その中で金色の瞳だけが大きく見開かれ、男から離せないでいる。

 悪魔の女王――その短いフレーズが俄かに存在感を放ち、ハニーを絶望の海に突き落とす。

 いや、まさか。

 そんなはずがないと自分に言い聞かせても、そんな薄っぺらな期待では覆せないことをハニーは嫌というほど知っていた。

 男はハニーのことなどお構いなしに言葉を続ける。

 その悪魔の女王がどれだけ恐ろしいのか、彼は感情込めた声と身振り手振りでハニー達に聞かせた。

 男の声がひどく遠くに聞こえた。耳の中で海なりがする。

 それは目には見えない絶望の海に半身が埋まってしまっているからなのか。

 ざぁざぁっと寄せては返す波の間に間に、微かに響く男の声は何一つ形を成さず、水面に消えていく。


「その悪魔の女王は血のような赤い髪を踏みり出し、狂気に満ちた金色の瞳で人を射殺すらしい。そう!その名も………」


 そこまで呟き、男は不意に口を閉じた。

 そしてハニーの反応を試すように意味ありげにへーゼルの瞳を細めた。

 だが返される言葉などない。

 へーゼルとハニーの蜂蜜色の瞳が交錯し、互いが互いの瞳の中にいる小さな自分を見つめていた。

 突如、へーゼル色の小さなハニーが歪んだかと思うと、あっという間にその瞳から消てしまった。

 男はこれでもかと目を見開いていた。

 自分の口元を手で押さえると、二三歩後づ去った。

 信じられないと吐息のような声が漏れる。


「金色の瞳に、血のような髪……もしかしなくとも……ブラッディー・レモリー?」

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