カナン市の観光案内
舞台は、現代―――。物語は、世界のどこかにあるかもしれない、麗らかな観光地から始まります。
みなさ~ん、長らくのバス旅行お疲れ様でした。それでは、ゆっくり私の後ろをついてきて下さい。
さあ、どうですか?この見渡すばかりの緑に、煌めく風。皆さんが過ごす都会と違って清々しいでしょう。
この町の景観は千年以上変わっていないと謂われています。その中でも特に、今から皆さんを案内します古城周辺は当時の面影をそのまま残している数少ない地区になりますね。この古城と周辺地区が世界遺産として数年前にユネスコに登録されたことは皆さんの記憶にも新しいことと思います。
それでは満を持してご紹介しましょう。皆さんの右手に見えてきた堅牢な石造りの古城がゼル離宮。
この地がかつてエクロ=カナンという王国であった当時、王達のプライベートに使われていました。
なんと!築千年の建築物になります。この重厚な姿がエクロ=カナンの象徴として捉えられていますが、堅牢な石造りの城はこの当時の特徴ですね。もっと歴史が進むと外見を重視した繊細な建築が増えますが、見て下さい。この鉄壁の守りを兼ね備えた重厚な造り。この当時は多くの列強国が領土を争い、戦を繰り広げていました。なので、城は外見よりも守備の面を重視していたのです。同時代の建築物として有名なのが、クワイン市の大聖堂ですね。あちらも石造りの物々しいシルエットが印象的です。
ここカナン市は多くの歴史的建造物が残っていることでも有名ですが、ゼル離宮ほど当時の面影を残している建築物はありません。他に有名なものとして、この離宮の側に広がりますゴモリの森内で五十年前に発見されました遺跡ですね。こちらはゼル離宮よりもさらに千年以上前の建築物だと謂われ、発見当時は大きな話題を呼びました。
今はほとんど朽ちていていくつもの石柱が横たわるばかりですが、静謐とした森の空気と相まってとても神聖な印象を受けます。
そんなゴモリの森は昔から『帰らずの森』と呼ばれて、中に迷い込んだら最後、生きて出られないと言われています。十分に気をつけて下さい。こういうバス旅行で帰りにお一人見当たらないということもままあるんですよって……ああ、そんな驚かないで。冗談ですよ。
でもゴモリの森が深いのは本当です。磁場も不安的で磁石もききません。なので不用意に道を外れると本当に迷ってしまいますからね。しっかり私の後を付いてきて下さいよ~!
ああ、そうだ。皆さん、このカナンではゴモリの森だけを気をつければいい訳ではありません。
これから入りますゼル離宮も十二分に注意して下さいね。もしかしたらこちらの方は危険かもしれませんよ。
そう、皆さんもご存じのとおり。この離宮には恐ろし~いゴーストが出るんです。
その名もブラッディー・クイーン。
十七代のエクロ=カナンの女王、レモリー・カナンの幽霊です。
彼女についてはあまり研究が進んでおらず、十四の若さで王位に就いたことは確かのようですが、残された文献が少な過ぎてそれ以上は分かっていません。しかし他国の文献にはこのレモリー・カナンを稀代の悪女と称したものが数多くあり、その中には彼女は悪魔崇拝者であったと記したものもあります。非情で残酷――これが当時の彼女に対する一般認識であったようです。若い女性を誘拐してはその生き血を浴び、悪魔を崇拝し、国を傾かせたというのは有名な伝承です。また彼女の生きた時代は歴史の暗黒時代とも謂われ、魔女信仰の全盛期であったため彼女はその筆頭に数えられています。
事実彼女の在位中にエクロ=カナン王国には奇妙怪奇な事件が多くありました。その一つがミルトレの消失です。ミルトレというのはカナン市東部、今はゴモリの森に飲み込まれてしまい、街であった時の面影も一切残っていない地区になります。ここは当時、この区域はミルトレ公によって治めていました。
ある夜、このミルトレから家を残して人だけが一夜のうちに消え失せてしまったというのです。もちろんミルトレ公やその家族、領民たちの消息は今も掴めていません。まるでおとぎ話のような話ですね。よく、人影がまったくない街や家に入ることを『ミルトレに迷い込んだ』と言いますね。もちろんこのミルトレこそがこのカナンで千年前に消えた街なのです。
長い間、ただの伝承だと思われていましたが、近年このミルトレの端で千を超える人骨が発見されました。消えたミルトレの民なのでしょうか?まだ研究は始まったばかりです。
何故ミルトレは消える運命になったのか――――一つにミルトレ公が女王の不興を買った為とも、また女王がミルトレ公令嬢の美しさを妬んだ為とも伝えられています。もしこれが事実ならブラッディー・クイーンとはなんと恐ろしい女性なのでしょうか。
非道の限りを尽くした彼女は、在位僅か四年で凄惨な最期を迎えます。
ユーティリア歴1001年霜の月、ブラッディー・クイーン――レモリー・カナンは最愛の弟の手によって、ここゼル離宮で惨殺されました。
理由は分かりません。その時女王は十八、弟は十六。とても仲のよい姉弟だったといいます。この二人に、そしてこの国に何があったのか。弟はどんな気持ちで姉を殺めたのか、姉はどんな顔で弟を見つめて亡くなったのか………それを知るのは今やこの離宮だけ。
外見は牧歌的な風景ですが、中は一転。薄ら寂しい古城のどこからか、おどろおどろしい女性の声が聞こえるといいます。その声は若い女性の血を求めているとも、自分を殺した弟を呪っているとも………。
中に入ったら、私以外の女性の声に引かれて迷ったりしませんように。彼女の執念は千年経った今も失われていません……なんて入る前から脅えさせ過ぎましたか?
血生臭い噂ばかりが目立つ国ですが今はこの通り。歴史的な面影を残しつつとても平穏でのどかな観光地です。ほら、離宮の側で子どもたちが遊んでいますよ。この辺りの子どもたちはけして離宮を恐れてはいません。だから怖がらずに千年前の空気に触れてみて下さい。
きっと今まで知らなかったゼル離宮の真実を知ることができますよ