9,心のまま喜びを乗せて
ミュシュは袋から瓶を取り出し、そっと光に透かせた。色とりどりの玉がキラキラと光る。
「きれい……。ごれば……?」
「この街で人気の菓子店の飴だ。喉にいいらしく、ミュシュ嬢の喉の治癒も早くなるんじゃないかと思って」
ズジェイの言葉に、ピクッとミュシュの体が震えた。それにいち早く気付いたのはスティで。
「……悪いけれど、それは受け取れないな。ミュシュ、気にしなくていいから返していいよ」
ミュシュの代わりにキツい物言いでそう伝える。その声はいつになく冷たく、ズジェイは顔を強ばらせた。
スティの伝え方に、エウテが眉を寄せた。
「ちょっと、スティさん。僕、ミュシュお姉ちゃんに酷いことをしたズジェイさんに助け舟を出すつもりはないけど、それはあんまりな言い方じゃない?」
「はぁ……、仕方ないな。ミュシュはね、自分のみていないところで他人が作った食べ物や飲み物を、口に出来ないの。毒を飲まされた時からね」
それを聞いて、エウテやズジェイは「あっ」と声を漏らした。カリオルは「そんなことじゃろうと思ったわい……」と深く息を吐いている。
「……え?でも、それならあの日……」
「ミュシュから聞いたよ。エウテが出してくれたお茶を飲んだ時も、凄くドキドキしながら飲んだって」
「嘘っ!?ミュシュお姉ちゃん、ごめんねっ」
スティの放った事実に、エウテはくしゃりと顔を歪めた。ミュシュは慌てて首をぶんぶんと横に振り、キッとスティを睨む。
(わざわざそんな言い方しなくたって!)
抗議の視線に、スティは肩を竦めて苦笑した。
「……すまない、俺の配慮が足りなかった。ミュシュ嬢、それのことは忘れてくれ」
そうして差し出された手を見たミュシュは、ぎゅっと瓶を抱え込む。
「や゙っ」
「……えっ、ミュシュ?」
「せっがぐ、わ゙だしの゙だめに、ズジェイざんがぐれだんだも゙ん。ぞれに、みて。ずごぐ、きれい……」
ミュシュは手の中で瓶をくるりと回す。光を受けて煌めく飴玉一つ一つに、ここに至るまでの出会いや、人々の温かさの欠片が詰まっているように見えた。
飴を舐めるのが怖いなら飾ればいい。人から送られたものが怖くなくなったら、その時に舐めればいい。この優しさを手放したくなかった。
「あ゙りがどゔ、ズジェイざん」
「いや、無理に受け取る必要はないんだぞ?」
「ゔゔん。わ゙だしがぼしいの゙」
ミュシュが嬉しそうに笑うのを見て、ズジェイは唇を引き結んだ。
「……ミュシュがそう言うなら、止めないけど」
心配そうな声を上げるスティに近付き、大丈夫と頷いてみせる。するとスティは、ムスッとした表情で大きな溜息を吐き、少し背中を丸めた。
(えっと……どうして口を尖らせるの……?)
「ズジェイさん、用事はそれだけ?僕、ミュシュお姉ちゃんに歌ってもらいたいんだけど」
「俺の用事はこれだけだ。……ただ」
ズジェイは、どこか気まずそうに視線を泳がせる。
「もしまた二人が演奏するなら、一曲だけ聞いて帰りたいんだが……」
「うわぁ、厚かまし!」
「……エウテがそれを言う?散々ミュシュに歌ってって強請っておいてさぁ」
「スティさんが一番ズルいんだから黙ってて!ミュシュお姉ちゃん、どの曲がいいか選んで!」
嬉々とした表情で、エウテは楽譜をテーブルに並べていく。
帝国で名の知れた曲の数々なのだろう。スティに沢山聞かせてもらったけれど、未だ知らないものも多い。
その中でつい先日、スティが演奏してくれた曲が目に留まった。その時は聞いているだけだったが、メロディーは記憶に残っている。
(この曲なら、今なら歌えるかしら……)
そう思ってその楽譜を手に取る。気付いたスティが少し目を細めて笑う。
「これだね!すぐに準備するよ」
「エウテ。私の分も用意してくれる?」
「…………えっ」
奥へと駆け出そうとしていたエウテは、ぐるんと勢いよく振り返った。また喧嘩になるんじゃないかとハラハラしたが、エウテは信じられないものを見るような目でスティを見つめている。
「スティさんも、弾くの?ほんとに?ほんとに!?」
「あぁ。楽器は……エウテが笛だから、弦楽器ならなんでもいいよ」
「ううっ!僕とミュシュお姉ちゃんだけの演奏だったのに……!でも、スティさんも一緒に……?くぅっ」
エウテはぶつぶつと呟きながらも、軽い足取りで準備を始めた。それを見てカリオルは面白そうに笑う。
「エウテはあんなんじゃが、スティをよう慕っておってな。実力も認めておる。一緒に演奏出来るのが嬉しいんじゃろう」
「もうっ!お師様、ミュシュお姉ちゃんに余計なこと言わないで!」
ぷりぷりと怒りながらも、エウテはせっせと用意を続ける。どうやら本当に嬉しいらしい。柔らかそうな髪の毛がぴょんぴょんと跳ねている。
三つの譜面台が、それぞれの身長に合わされて並べられていく。
スティは、エウテから渡されたブズーキと呼ばれる弦楽器を抱え、譜面台の前に立った。確認程度に楽譜を流し見してからスッと構える。
いつもは明るくどこか飄々としているのに、楽器を手にした時の真剣な目に引き込まれる。
「それじゃあ、入りだけ指揮をしようかの」
カリオルが片手を上げる。その手に、三人の視線が吸い寄せられた。
合図に合わせて二人の演奏が始まる。軽やかな笛と、低音で支える弦が音色が混ざり合う。
鳥肌が立つような、心の底から震えるような感覚を抱きながら、ミュシュは目を瞑って大きく息を吸った。
「ラーーラララーー」
二つの音の、ピタリと嵌るところに歌を乗せる。即興のため歌詞はなく、ラララ……ルルル……と溢れてくる声は、丁度笛と弦が奏でる音の間で気持ちよさそうに揺れている。
(苦しくない。痛くない。嬉しい。楽しい。もっと……もっと出したい。みんなに、私の声を聞いてほしい。ありがとうと伝えたいの。どこまでも届けられそうなくらい伸びやかに歌えた、あの頃のように――)
ふと目を開けると、スティがミュシュを見て嬉しそうに微笑む。好きなように歌ってごらんと言われているような、その先へと誘われているような……金の瞳に導かれて。
曲が転調するタイミングに合わせて、再びミュシュは目を閉じる。在りし日の声を思い描き、胸いっぱいに息を吸い込む。
「ラーーーーー!」
空を突き抜けるような、高く澄んだ声。そこに居る全員が呼吸を忘れて聞き入った。
人の声の域を超えているのではと思わせるほどの高音。低音で歌っていた時とはまた違う、頭の先から抜けるような芯のある力強さで。
そこからフッと力が抜けたような柔らかな声にコロリと変え、また曲に交ざって広い音域で跳ねるように歌う。そんな歌声に、スティはぞくりと震えが走った。
「これが、ミュシュの本当の歌声……?本当に凄いな。ねぇ、私も一緒に遊ばせて」
そう呟いて、今度はスティがアレンジを始めた。エウテが譜面通りに弾いてくれるだろうと信じて、ミュシュと遊ぶように自由に音を奏でる。
最早即興とは思えない完成度に、素人のズジェイは恐怖すら抱く。長年音楽に携わっているカリオルでさえ、肌が粟立つのを止められずにいた。
(楽しい……楽しい……!もっと、もっといけるわ)
(もっと遊ぼう。次はどうしたい?どこに行こうか?)
二人は声と楽器を使って、まるで対話するように音を紡いでいく。そうして二人の想いが重なった時、ふわりとミュシュから光が溢れた。
「な、なんだっ!?」
「これは……!まさか、文献に記されていた……」
ズジェイとカリオルは、その神々しい光景に息を呑む。
エウテは笛を下ろし、呆然と二人を見つめる。草原を駆けるように戯れている当人達だけは、音を頼りに、いつまでも喜びを奏で続けていた。




