6,策に溺れて辿り着いた先
「爺、本当にありがとう!君、声をかけたのに逃げちゃうんだもん。昨日の歌声が忘れられなくて、どうしても形に残しておきたくてね。譜面にしてって爺に頼んでいたんだ。今日受け取る約束をしていたんだけど……まさか本人が書いてくれて、しかも店に居るなんて手紙を見たら、居ても立ってもいられなくて走ってきちゃった!」
目を輝かせて捲し立てる青年の手が、ミュシュの手をぎゅっと包む。太陽の光を閉じ込めたような金色の瞳に真正面から見つめられ、ミュシュは思わず視線を逸らした。
「おなごに無闇矢鱈と触るでないわ!」
カリオルの小言に、スティは「あっ、ごめん!」と慌てて手を離す。首を振って見上げると、青年は少し頬を染めて照れくさそうに笑った。
「まったく……。おぬしがそうやっておなごと接することを喜べばいいのか、叱ればいいのか。そもそもおぬし、まだ名も名乗っておらんじゃろう」
「うわぁ、本当だね。私はスティ。スティって呼んで。ただのしがない楽師だから、丁寧な話し方は不要だよ。君の名前は?」
(しがない楽師、なんて。そんなはずは……)
髪色こそよくある薄茶色だが、こんなにも整った顔立ちと金の瞳を持つ人間が、ただの楽師のはずがない。
訝しみながらも声の出せないミュシュは、返答に困って『ミュシュ』と名前だけ紙に書いた。
「……どうして紙に名前を?」
スティが不思議そうに首を傾げた、その時だった。再び扉の鐘が来訪を告げた。
「もうっ!置いて、いかないで!僕も、ミュシュお姉ちゃんと、お話ししたいのに!というか、ミュシュお姉ちゃんは、喋れないのっ!」
どうやらスティに置いていかれたらしいエウテが、息を切らせて戻ってきた。その後ろからのそりとズジェイも顔を覗かせる。その表情が少し強ばっているように見えるのは気のせいだろうか。
「えっ?でも昨日、歌を……」
「これを見るんじゃ」
カリオルが差し出したのは、さっきミュシュが書いた紙だ。それを見たスティは「は!?」と絶句する。エウテやズジェイも「なに?」と覗き込んで、ぎょっとした表情で息を呑んだ。
「ミュシュお姉ちゃん、毒って……体は大丈夫なの!?」
『体はもう平気。でも喉だけは治らなかったの』
「昨日と今日、お嬢ちゃんが歌えたのは、エウテやスティの演奏のおかげじゃろうと、さっき伝えたところじゃ」
「……なるほど、そういうことか」
スティは真剣な顔で頷く。
その言葉を聞きながら、ミュシュの胸には小さな希望が灯っていた。なにせ、彼らの演奏頼りになってしまうが、再び歌が歌えるかもしれないのだから。
(でも、あの頃の高く澄んだ声には……戻れないのでしょうけれど)
王宮では肩身の狭い思いばかりしていた。それでも自由に歌えていたあの頃、声はミュシュにとって体の一部のようなもので。手足よりも上手に扱えている気さえしていた。
また歌えるようになるのかという期待と不安が、グルグルと頭を巡っていく。ミュシュが俯いたのを見て、エウテが駆け寄る。
「僕の笛でミュシュお姉ちゃんが歌えるなら、僕、何度でも吹くよ!だから――」
「いや、彼女は私が預かる。ミュシュには私の手伝いをしてもらいたいと、昨日爺に散々話していたからね」
スティの言葉に顔を上げると、彼は肩を竦めて「君に逃げられちゃって、ここでうじうじしていたんだ」と苦笑した。
「ずるいよ!ミュシュお姉ちゃんと先に会ったのは僕なのに!」
「いいや、ミュシュと先に会ったのは私だよ。なにせ、この曲は私と彼女との合作だからね」
「……何を子供と張り合っておるんじゃ。まぁ、そう言うと思っておったがのぅ」
カリオルは呆れ顔をしつつ、ミュシュにウィンクを飛ばした。なるほど、「行き先がほぼ決まっている」と言っていたのはこういう意味だったのかと頷く。
『スティのお手伝いって、何をしたらいいの?』
ミュシュがそんな疑問を綴ると、スティは嬉しそうに目を細めた。
「私は楽師なんだけれど、最近ずっとスランプでね。思うように楽器も弾けなければ、曲も思い付かなくて。でも昨日、ミュシュの歌を聞いて、霧が晴れるように世界が開けたんだ。今も音色が思い浮かんで止まらなくてね」
スティはとても嬉しそうにはにかむ。驚いたミュシュは目をパチパチと瞬いた。
(昨日のあの美しい演奏がスランプだったなんて。本当に……?)
「それなりに技量はあるから、小手先で弾くくらいなら出来るよ。でも、満足のいく音や曲にならなくてね。もしミュシュが居てくれたら、とてもいい音色が弾ける気がするんだ。採譜も出来るんでしょう?昨日みたいに、一緒に曲を作って歌ってみたくない?」
その誘いに、胸がドクンと大きく鳴った。
歌いたい。歌いたい。
それが出来るなら、もしも許されるなら。
……でも。
『今の声は、前とは全然違うの。こんな声でも、歌っていいの?』
「こんな声?とても力強くて素敵な声だったけれど……。元がどんな声だったかも気になるなぁ。じゃあ、ミュシュに一つ、いいことを教えてあげよう」
スティはそう言って、ミュシュの前にピッと人差し指を立てる。
「私は、かなり強い加護を賜っていてね。私の側に居れば、ミュシュの喉は少しずつ癒えて、いずれは演奏がなくても歌えるようになるはずだよ」
『!?』
「人が生み出した毒なら、神の加護が負けるはずないからね。時間はかかるかもしれないし、完全に元通りになるかは断言出来ないけれど……間違いなく、今の状況よりはよくなるよ」
スティの言葉を信じたいのに信じきれなくて。ミュシュは唇をきつく閉じる。ふるふると瞼が震え、自分の顔が歪んでいくのが分かった。
「昨日、心を曝け出すように歌っていたミュシュの声に、とても惹かれたんだ。でも、呼びかけた時、今にも泣きそうな顔をしたよね。どうしてだろう、何か悪いことをしてしまったかなって、ずっと考えていたんだ」
そっと、スティがハンカチで目元を拭う。その手を、ミュシュは縋るようにぎゅっと掴んだ。
声を上げて泣けば、喉が焼けるように痛む。それに、醜くひしゃげた声がとても耳障りで、それが自分の声だなんて認めたくなかった。
けれど、もうどうしようもないのだと、ずっとこの声のままで一生歌えないのだろうと……ずっと絶望していた。
「君の声は、まだ終わってなんかいないよ。大丈夫。私がミュシュの声を取り戻してあげるから」
「ゔ……っ、あ゙ぁ゙……あ゙ぁ゙あ゙ぁ゙ぁ゙……っ!」
ミュシュはスティの腕にしがみつき、堰を切ったように泣いた。
相変わらず喉は焼けるように痛い。それでも、長くじくじくと膿んでいた心は、泣き終える頃にはとても軽くなっていた。
そして、スティに連れられて辿り着いた先――。
その建物を、ミュシュは真っ青な顔で見上げた。石造りの高い城壁、その奥に連なる、真っ白な美しい塔の数々。
――帝宮。
ディーロス帝国の中心、皇帝が暮らす場所。
歌姫として王宮で暮らしていたミュシュにとっては、トラウマに近しい場所。胸の奥がひやりと凍り、恐怖が押し寄せる。
なんでこんな所に……?という疑問が顔に出てしまっていたようで。
「私は帝宮楽師なんだ。しがない……なんて言ったけど、実はそれなりの地位もあるんだ。でもそう言うと気を遣うでしょ?これまで通りの話し方でいいからね」
と笑顔で言われてしまう。
只者ではないと思ってはいた。けれど、まさか帝宮楽師だとは。
(これまで通りなんて、無礼極まりないのでは?私、どうしたらいいの……?)
カリオルの店でスティは、「私なら衣食住も面倒が見てあげられるし、好きな時間にミュシュの歌や曲に触れられるならいくらでも払うよ」なんて大袈裟なことを言っていて、冗談だと思っていたミュシュ。
(まさか、本気だった……?嘘でしょう……?)
スティは目を細めて微笑む。策に溺れ、もはや引き返せなくなったミュシュは、馬車の中で戦々恐々と震えていた。
ミ「カタカタカタカタ……」
ス「ふふふっ」
という光景が目に浮かびますね……(苦笑)
ミュシュは声を取り戻せるの?
そもそもスティって何者なの!?
そんな疑問をお持ちくださった方、来週もお楽しみに!
毎週土日・12:30と20:30、週4本更新しておりますので、是非またご覧いただけますと幸いです( .ˬ.)"




