5,加護による癒しと再会
ミュシュは、エウテの身に起きたことと、滲んで読めなくなった楽譜についてを説明した。
エウテが少年達に水をかけられていたこと。そのせいで楽譜が駄目になってしまったこと。自分なら、そのメロディーの一部を再現出来ること。
ズジェイが居る理由は、本人が話してくれた。その間だけはペンを置いて手を休め、静かに耳を傾ける。
「そうか……。エウテ、これまでも同じようなことがあったろうに、さては黙っておったな?」
服を着替え、お茶を運んできたエウテに、カリオルはじとりと目を向けた。「うっ」と短く声を漏らした彼は、しょんぼりと俯く。
「……お師様、ごめんなさい」
しゅんと肩を落として謝るエウテに、カリオルは「儂のせいでもあるんじゃろうなぁ……」と小さく呟いた。
「それにしても、この曲の採譜が出来るとは……本当に助かるわい。これの依頼主とは古い付き合いでなぁ。譜面が駄目になったと知れば、かなり凹ませることになったじゃろうからのぅ」
カリオルと古い付き合いだと聞いて、ミュシュは同じ年頃のご老人を想像した。依頼主は、昨日の楽師とは違うの?と首を傾げる。
(もし誰かがあの曲を盗もうとしているなら、あまりいい気分ではないけれど……)
けれど、エウテに出来ると言ってしまった手前、今更断るのは難しい。カリオルから五線紙を受け取ると、ミュシュは昨日のメロディーを思い出しながら旋律をなぞっていく。
(確かここは柔らかく、ここは音を速めて……。あぁ、本当に美しい曲だわ)
頭に思い浮かべるだけで、ミュシュの顔には自然と笑みが零れる。覗き込んでいたカリオルやエウテは、その細かく丁寧な譜面に目を丸くした。
「……ほぅ、見事なもんじゃな。昨日、あやつが口ずさんでおった曲と確かに同じじゃ。エウテ、笛を取っておいで」
「えっ?わ、分かった!」
奥の部屋から笛を取ってきたエウテは、「いいの?」とカリオルに確認している。何故かその瞳はキラキラと輝いている。
エウテは譜面台に、ミュシュが書いたばかりの譜面を立てて、深呼吸をする。そして、スッと笛を構え、演奏を始めた。
エウテの演奏は、驚くほどに上手だった。昨日聞いた弦楽器よりも高く細い音色。秋の夜空に瞬く星のように、ひとつひとつの音が煌めいては消えていく。
その旋律に、ミュシュの胸が熱くなる。
(この曲を聴くと、やっぱり喉が痛くない……?自然と口ずさんでしまいたくなる……。これは、何なの?)
気付けばミュシュは椅子から立ち上がり、そのメロディーに声を委ねていた。
以前よりも低く、繊細な美しさを失ってしまった声なのに。笛の高く美しい音色と噛み合うように、低く絡めるようなハーモニーを歌う。
「なん……と……」
「美しい……」
置いていた譜面はたったの二枚で、すぐに終わりを迎えてしまった。ふぅ……と息を吐いた瞬間、エウテが勢いよく飛び付いてきた。
「ミュシュお姉ちゃん、凄い!凄く綺麗な歌声だった!ねぇ、声が出ないんじゃなかったの!?」
「ゔぁ゙……っ、げほっ、ごほっ……!」
「えっ!?だ、大丈夫!?ほら、お茶飲んでっ!」
急に戻ってきた痛みに、喉を押さえて咳き込むミュシュ。エウテが慌ててお茶を差し出す。ミュシュは震える手でそれを受け取り、喉の痛みに負けてコクリと飲み込んだ。
「いやぁ、これはたまげたのぅ……。お嬢ちゃん、とてもよい歌声じゃったよ」
「あぁ、本当に。……驚いた」
カリオルとズジェイが、素直な称賛を口にする。エウテは未だ興奮冷めやらぬ様子ではしゃいでいる。
「お嬢ちゃん、もしかして……この曲を歌っておったという娘っ子か?」
カリオルから問われ、ミュシュの肩はビクリと跳ねる。この曲を採譜してほしいと頼みに来た人は、どうやらミュシュの歌を聞いていたらしい。
「ほっほっほ!なんじゃ、そうか!これを歌った娘っ子は、お嬢ちゃんのことだったんじゃなぁ!エウテ、また何か悪さをされるやもしれんから、そこの警備隊を連れてこれを届けておくれ。忙しいくせに、どうせまだ待っておるに違いないわい」
そう言ってカリオルは、サラサラと短い手紙を書くと、エウテに手渡した。「えぇ……。もっとミュシュお姉ちゃんと居たいのにぃ」と文句を言いながら、エウテはズジェイを伴って店から出ていく。
残されたのは、カリオルとミュシュの二人。ミュシュは居心地悪く椅子に座り直した。
「ミュシュや。お前さん、東側の人間じゃな?」
「……っ!」
ヒュッと息を呑む。そんなミュシュを見て、カリオルは穏やかに笑い、首を振った。
「あぁ、警戒しなさんな。儂は悪いようにはせんよ。こんな丁寧な仕事が出来るもんを、身分証がないなんて理由で追い返すなど、みな勿体ないことをしたもんじゃ」
カリオルはそう言って、ミュシュが書いた譜面を優しくなぞる。
「もし行き場がなければ、ここで雇ってやろう。儂は、少しばかり名の知れた楽師での。仕事ならいくらでもある」
その言葉に、ミュシュの瞳がぱっと明るくなる。しかし、カリオルは制するように手を前に出す。
「もし行き場がなければ、の話じゃ。お前さんの行き場はもうほぼ決まっておるようなもんじゃからのぅ」
「……?」
「ところで、その声はどうしたんじゃ?……あぁ、いや……言いたくなければ言わんでもよいが……」
カリオルの気遣わしげな声色に、ミュシュは眉を下げる。ただ一行だけ、『毒を盛られて、声を失ってしまったんです』と書いた。
それを読んだカリオルの表情が、ぐっと曇る。
「……そうか、可哀想にのぅ。儂も、儂から楽器や手を奪われたら……。そうか、そうか……」
指で目頭を押さえながら、何度も頷きを繰り返し、カリオルは小さく息を吐いた。
「恐らくじゃが、お嬢ちゃんが昨日やさっき歌えたのは加護のおかげじゃろうなぁ」
『加護?』
「うむ。エウテはまだ幼いが、笛が上手かったじゃろう?あの子は、男神オリュロンから音の加護を授かっておってな。だから儂が目をかけておるんじゃ。……そのせいでやっかみを受けておるようじゃがな。その加護の影響で、喉に癒しが働いておるのじゃろうて」
そこでミュシュは思い出した。自分の歌で、怪我や病気が楽になったと言ってくれた人達の顔を。
(だから昨日も今日も、歌えたのね。……それってもしかして、加護を持つ人の演奏さえあれば、私はまた歌えるかもしれないの……?)
僅かな希望に、ミュシュの目に光が宿る。
「それなら尚のこと、あやつに」
「爺!あの子が居たって本当!?」
バァンッ!!と勢いよく開かれた扉と共に、吊り下げられた鐘が、今度はガランガランと派手な音を立てて激しく鳴り響く。
「うるっさいわ!もっと静かに開けんか、馬鹿もんが!扉を壊す気か!!」
「あぁ、ごめんよ。つい……。って、あっ!」
謝りながらも遠慮なく店に入ってきたその人は、バサリとフードを取る。
そこに立っていたのは、紛れもなく昨日演奏していた青年だった。驚きと喜びを入り混ぜた笑みを浮かべながら、まっすぐにミュシュを見つめていた。




