45,二人で分かつ願いの代価
月日はあっという間に流れ――半年が経過していた。
王国では変わらずマルスミールが手腕を振るっているらしいが、更に半年が経った頃――丁度一年を区切りとして、帝国へ戻ってくるらしい。
そしてその代わりに、スティとミュシュが王国へと向かうことが決まった。
なんとスティが王国の新国王に、ミュシュが王妃になるのだ。話を聞いた時は、「なんでそんなことに……?」と、ミュシュだけでなく、珍しくスティも唖然としていた。
それはひと月前に遡る。
マルスミールは王国の膿を洗い出し、王族は勿論、大神殿の聖職者達も徹底的に調査をしたそうだ。レルムクワ公爵率いる王国騎士達の協力もあり、多くの者達が粛清された。
ミュシュは詳しく聞かされなかったが、王族、そして大神殿でも神具や聖杯について知りながら隠蔽を続けてきた枢機卿や大司教といった一部の者達は、既に全員処刑されたようだ。
その他、権力を笠に着た行いをしていた貴族や、歌姫達の家柄で待遇を変え、賄賂を受け取り不正をしていた聖職者もまた、降爵されたり左遷されたりと罰を与えられた。
そこでマルスミールは、レルムクワ公爵に国の統治を任せたいと伝えたそうだが……。
「この地で生まれ育った者達には、多かれ少なかれ反逆者達の血が混じっています。新たな門出に、この国の者が統べるのは宜しくないでしょう」
そう断られてしまったらしい。
マルスミールは後々帝国の皇帝となるため、王国の国王になることは出来ない。しかし、レルムクワ公爵の言い分だと、この国の貴族から王を選ぶこと自体が否定されてしまっている。
そこで、スティを王に、元々予定されていたミュシュを王妃に……という案が出たらしい。
「確かに、帝王学は学ばされたけれど……」
と、スティは珍しく渋顔で眉間を揉んでいた。
ただでさえ結婚式の準備で慌ただしい最中にそんな話が降って湧いたものだから、二人揃って困り果てたのをよく覚えている。
考えるための時間を少し置いて、ラダとユンさえも部屋から遠ざけ、二人でしっかりと話し合おうと決めた。
何よりスティは、ミュシュがとても気がかりだった。帝国を気に入り、帰ってくる時にあれほど喜んでいたのに、再び王国に戻れと言うのは酷すぎないか……と。
しかし話し合いの日、ミュシュはレルムクワ公爵の思いを汲み取り、その話を受けたいと言った。
「決して王妃になりたいと思っていたわけではないのよ。私は権力や地位に興味はないもの」
「そうだよね。私だってそうだから。それなのに、いいの?この話を受けてしまえば、多くの重圧と責任から逃れられなくなるよ。楽しく音楽に興じていられる生活ではなくなってしまうけれど……」
スティはそっとミュシュの頬を撫でる。どこまでもミュシュを労る言葉に、ミュシュは心も体も寄りかかるようにその身を預けた。
「きっと、あの方がかつて味わったように、私を元男爵令嬢だと軽んじて蔑む人もいると思うの。支持の得られない人達の中で、国を背負い立たなければいけない。立場や役目に押し潰されそうになる日が来るかもしれないわ。それはとても怖くて、恐ろしい……。分かっているのよ」
元王妃の最後を思い出す。昔、美しく気高く見えたそれは、ずっと張りぼてだったのだ。長らく心に闇を飼い、結局は干からびるように老いた容姿に変貌してしまった。
あれは、元王妃がこれまでに感じてきた憎悪や焦燥、嫉恨が表面化されたように見えた。
恐怖を拒むようにきゅっと目を閉じるミュシュに、スティは縋るように「それなら……」と零す。
断ってしまおう――それは声にならなかった。スティが言い切る前に、ミュシュが静かに首を横に振ったから。
「私は望んでしまったの。あの国に変わってほしいって。『身分や権力に守られた悪が正しく裁かれ、私のように嘆き悲しむ歌姫や民が生まれない国になってほしい』と……そう祈った。だから、そう望んだ者として、私自身がその責任を負うべきだと思うの」
ミュシュには唯一、これまで誰にも――スティにさえ言っていないことがあった。
それは、『加護の力が強いが故に、願った望みがいずれ叶う』というもの。
これはあくまでミュシュの推測ではある。けれど、初めてその力を行使したのは、生家である男爵家が滅んだことだろうと考えている。
ミュシュは両親に売られた悲しみから、自室で度々泣きながら歌っていた。
愛してくれなかったあの家の人達が、私を売ったお金で幸せになるなんて許せない――と。
そんな思いを込めて歌ったからか、散財を続けた元男爵家はじわじわと衰退し、最終的には貴族としての立場を失った。
他人に対して攻撃的な感情をあまり抱くことのないミュシュは、自分がそう願ったからだとはまだ思っていなかった。彼らの自業自得なのだろうと、そう哀れんでいた。
しかし、歌姫としての役目をこなす回数が増えれば増えるほど、どうやら自分の気持ちに加護の力が左右されると気付き始めることになる。
家格によって待遇を変え、失礼な態度を取る者への治癒や祈祷。
そういった時に、普段よりも力が出ない、加護の効果が薄いといった差を感じたのだ。
――女神エディオラに、胸の内を見透かされている。
ミュシュはそう気付いた時、真っ先に己を恥じた。女神から力を賜っているにも関わらず、自身の感情に左右され、加護を望む者に優劣を付けてしまうなんて……と。
そこでふと、家族の顔が脳裏を過ぎった。
(もしかして、私が望んでしまったから?私を捨てたのに幸せになるなんてと、そう願ってしまったから……?)
――自分の願いのせいで、家を滅ぼしてしまった。
それはミュシュの心に消えない傷を作り、そのせいで自責の念に駆られ続けることになる。
それからミュシュは、必死で自身の心を律するよう努めた。自分ごときが、女神の力を揺るがせてはならない。与えていただいているこの力を、等しく、そして正しく使えなければならないと。
どれだけ王宮で理不尽な扱いを受けても、歌姫でありながら軽んじられても、真摯なミュシュは自身を追い込んでいく。心を乱してはならないと自分に言い聞かせ、いつしかミュシュは己の境遇を受け入れるのが当然のようになっていた。
だから――声を奪われ、王宮を追放されたあの日。
押し殺してきたミュシュの心が、ついに悲鳴を上げた。ロドの荷馬車に乗り帝国へと向かった夜、何度も噎せながら、心の嘆きをそのまま歌ってしまったのだ。
『私から声を、歌を奪った、あの国が、あの人達が許せない。身分や権力に守られた悪が正しく裁かれ、私のように嘆き悲しむ歌姫や民が生まれない国になってほしい』
そんな、悲鳴にも似た歌を……。
朝になり、自己嫌悪に陥ったミュシュの心は憔悴しきっていた。あんなひび割れた歌声でも、女神の元に届いてしまったのではないか、と。
他人が聞けば、決して間違った感情ではないと言ってくれるだろう願いだ。だが、平等であるべきと己に言い聞かせてきたミュシュにとってはあるまじき行いだった。
ロドに『撤退するなら早い方がいい』と伝えたのも、ただの善意ではない。いずれ女神がミュシュの願いを汲み取り、王国にかつてない波紋を生む気がしたからだ。
「ミュシュはそれでいいの?これまで蔑ろにしてきた王国のことなんて気にせず、ミュシュの行きたいように生きていいんだよ?」
「……ありがとう。でも、私は思うの。どこで生きていたって、歌姫としての責任は付き纏う。有事の際には国のために、民のために歌う。それはきっと変わらないし、私も望んで歌を捧げるはずだもの」
たとえこの話を断り、このままスティと帝国で暮らしたとしても、王国の立場が著しく弱くなり、歌姫や民の疲弊した声が耳に入れば……きっとミュシュは王国へと向かってしまうだろう。
「それに、女神エディオラにも知ってもらいたいの。王国が美しくなっていくところを。王国に対して怨嗟を抱いたままなんて、悲しすぎる。だから私が、その役目を担いたい」
「ミュシュ……」
「けれど、私のわがままで、スティまで巻き込んでしまうのは……。私、スティが嫌がることは、したくないの。スティは、やっぱり嫌……よね?」
ミュシュは胸を押さえ、俯きながら問いかけた。
皇帝の座を望まず、マルスミールと争わないよう振舞ってきたスティ。王国とはいえ、玉座に就くなど青天の霹靂だろう。
ミュシュの願いのせいで、スティにまで国の命運を背負わせてしまうことになる。ただ好きなように楽器を奏でる日々では居られなくなってしまう。
スティは嫌そうな、苦しげな表情はしていないだろうか。そんな不安を抱きながら顔を上げて――。
そのあまりにも優しい表情に、ミュシュの顔がくしゃりと歪んだ。
「どこまでも人に優しくて、まっすぐで……。そんな君だから、私はミュシュを好きになったんだよ」
「……っ」
「ミュシュが私に、『これから先もずっとスティと一緒』って言ってくれたんだよ?私を、好きな人の願いも叶えられない男にしないでくれないかな?」
「スティ……っ」
「ミュシュが帝国に居ても心から幸せになれないなら、私もここに居る意味はないよ。私はミュシュに、誰よりも幸せになってもらいたいし、幸せにしてあげたいんだから。そのためなら、王冠だって望んで被るよ」
どこまでもミュシュの心を甘やかし、慈しんでくれる柔らかな声に、涙が止まらなかった。子供のように泣きじゃくり、その胸を濡らしていく。
スティが「泣かせたかったんじゃないのになぁ」なんて苦笑しながら優しく背中を摩っていると、ドンドンと荒々しく扉を叩く音が響いた。




