44,得たものを噛み締めて
ミュシュは馬車に揺られながら、落ち着きなく窓へと視線をやる。もうそろそろ帝都が見えてくるはず――その期待を表すように、同じ景色を何度でも覗き込んでしまう。
帝国の関門をくぐった時、多くの民達が出迎えてくれた。どうやらスティやミュシュが帰国することが帝国中に伝わっていたらしい。
もしかしたら見送りの時のように民が集まってくれているかもしれないと考え、ミュシュはそわそわとしていた。スティは、そんなミュシュを愛おしそうに目で追いながらくすくすと笑う。
「そんなに頻繁に見ても変わらないよ。まったく……可愛いんだから」
「……っ!だって、また帰ってこられたのが嬉しくて」
「帝国を気に入ってもらえて嬉しいな。でもきっとミュシュの故郷だって、これから素敵な国になるはずだよ。これからが楽しみだね」
「ふふっ、そうね。それは心から楽しみだわ」
ミュシュの心からの笑顔に、ラダも僅かに口の端を上げる。ユンが例の話を伝えてから、ラダの機嫌がすこぶるいい。決してこれまでの対応が疎かだったわけではないが、いつにも増して仕事への意欲が高く、ミュシュへの表情が柔らかくなったように見える。
二人が和やかに話していると、帝都を囲んでいる外壁が見えてきた。
「皇族の馬車だ!第二皇子殿下が戻られたぞ!」
「「「おおぉっ!」」」
門で監視をしていた騎士が高らかに叫ぶと、雄叫びのような歓声がどっと湧いた。護衛の騎士が先行し、戻ったのがスティやミュシュであると伝えに向かってくれたようだ。
「帝都は変わらず平和なようだね」
「本当ね」
スティやミュシュが窓から騎士達に手を振ると、全員が騎士の礼をして出迎えてくれた。
そうして門がゆっくりと開かれていき――ミュシュは口を手で覆った。
「アポスティル殿下ーーっ!」「ミュシュ様ーーっ!」
街道の両脇には民が列を成し、ずらりと続いている。それは途切れることなく、まるで帝宮にまで続いているように見えた。
建物の上階から手を振る者達が、ひらひらと紙吹雪を散らす。春の青空と白い外壁の間を、色とりどりの紙片が五線譜の上を踊る音符のように舞う光景は――ただただ息を飲むほど美しかった。
「スティ……!」
「……やられた。これは私も聞いていなかったよ。ここまで根回しをしているとなれば、兄上かな」
これを計画したのはマルスミールだろうと推察したスティは「王国に向かってくる道中、民に頼んだのかもね」と苦笑する。
その粋な計らいはまだまだ続く。
「あら?馬車が……」
帝宮はまだ先。それなのに、馬車がゆっくりと速度を落とし始め、道の中央で止まってしまったのだ。スティはその思惑に気付いたようで、ミュシュに「窓の外を見ておいて」と言う。
大聖堂とはまた違った、可愛らしい聖堂。その階段に、ちょこちょこと小さな子供達が並んでいく。その手には楽器が握られ、その中にエウテの姿も確認出来た。
「これは……?」
ミュシュが目を瞬いていると、更に脇から登場したのはカリオルだった。中央に立ち、スッと手を上げる。子供達は、各々手にしていた楽器を構えた。
振り下ろされた手を真剣に見つめ、小さな少年達は懸命に楽器を演奏し始めた。それは――ミュシュとエウテ、そしてスティの三人で演奏した、あの時の曲。
ミュシュは、ラダに確認して馬車の扉を開けさせた。すかさずスティが飛び出し、ミュシュに手を差し出す。
馬車の外に降り立ったミュシュは、再び思うままに歌えるようになったその声で、可愛らしい演奏者達に混ざり歌声を乗せる。
「ラーーラララーー」
スティも馬車に積んでいた小さなハープで参加を始め、少しでも近くで演奏を聞こうと、馬車と聖堂を取り囲むように人が集まった。
まるで祝福してくれているような日差しがぽかぽかと降り注ぎ、彼らの奏でる楽器が煌めいている。
そんな楽器隊に一人、ミュシュは負けないように自身の声を震わせて奏でる。
(こんなふうに歌える日が戻ってくるなんて、あの頃の私は思いもしなかった。こんなにも多くの人達に受け入れてもらえて、自分に自信を持てるようになるなんて……)
弟が居るからと両親に売られ、王宮の中でも立場の弱かったミュシュ。そんな環境の中、生き抜くだけで精一杯で、ミュシュに感謝をしてくれていた人達や、その身を案じてくれていた人達の声を素直に受け取れないまま、ミュシュは喉を焼かれてしまった。
そうして声を失って、初めてその重さを思い知らされた。歌えなくなったミュシュに、一体何の価値が残っているのか。答えの出ない絶望を抱えたまま、逃げ込むように帝国へと辿り着いた。
けれど、歌を失ってもなお、ミュシュ自身を評価してくれる人達の言葉に戸惑い、恥じらい……でも本当は、心の底から嬉しかった。彼らとの出会いのおかげで、自分自身と向き合えるようになっていったのだ。
(ありがとう。ここで出会った人達に、王国で大切にしてくれていた人達に。どこまでも届いて――)
「ラーーーーー!」
ミュシュが空へと両腕を広げる。あの日のように、声の域を超えているのではと思わせる高音を放つと、ふわりと吹いた風で、地面に散っていた紙吹雪が再び空へと舞い上がった。
その幻想的な光景に、わっと観客の声が湧く。子供達は誇らしそうに演奏を奏で、スティはミュシュを見守るように演奏で声を支える。
ミュシュは心のままに、一つ一つの感情を音へと変えていく。震える指先で、伸ばした腕で、張り上げた声で――全てを歌に託した。
そうして曲の終わりを迎え、その場は大歓声に包まれた。少年達は、はしゃいだり涙を流したりしている。そんな中で、エウテはミュシュに「ミュシュお姉ちゃん、おかえりなさい!」と叫んだ。
周りの少年達は「お前!」「ミュシュ様だぞ!?」と慌てふためくが、エウテは言い直さない。ミュシュは静かにエウテの側へと寄っていく。
「エウテ、沢山練習してくれたのね」
「僕、この曲が一番好きになったんだ。いつか、この曲だけは誰よりも上手いって言われるくらい、上手になってみせるよ」
「なんだい、エウテ。私に宣戦布告かな?」
後ろからミュシュを追ってきたスティが、面白そうに目を細める。その挑戦的な言葉に、エウテも挑むように言葉を返す。
「そうだよ!スティさんにだって負けないくらい、立派な楽師になるんだからねっ!」
「それは楽しみだな。――爺」
スティは、先程まで指揮をしていたカリオルに声をかけた。
「アレはもう渡したの?」
「いいや。二人が帰ってからにしようと思っておったら、マルスミール殿下からお達しが来てな」
「……やっぱり兄上だったか」
「それなら、この日に渡してやるのが一番いいかと思ってのぅ」
二人のやり取りに、ミュシュとエウテは顔を見合わせて首を傾げる。
カリオルが懐から箱を取り出した。エウテに向けて、ぱかりとそれを開いて見せる。
「……え?」
「エウテ。おめでとう。儂が課していた課題は、お主を帝宮楽師として認める課程と同じだったんじゃ。十歳という若さで、よく全てを修めたのぅ」
そこには、ミュシュも以前スティから渡してもらった身分証が収められていた。『帝宮楽師見習い エウテ』と書かれたプレートが、陽光でキラリと光っている。
「僕……帝宮楽師見習いになれるの?」
「そうだよ。これからは爺の愛弟子でもあり、私の弟子もしくは部下になるわけだ。それに……帝宮への出入りが出来るようになれば、もしかしたらミュシュとの演奏も叶うんじゃないかな」
「!!」
「爺のところから通ってもいいし、響奏棟に住み込んでもいい。色々と教えないといけないから、また遣いを送るよ」
スティはそう言って、帝宮へと視線を向けた。ボソリと「帰ったら仕事が溜まっているだろうしなぁ……」と呟いていて、ミュシュは苦笑する。いつエウテの面倒を見てやれるのか、スティ自身も見当が付いていないのだろう。
カリオルに再び箱を差し出され、エウテはおそるおそるプレートへと手を伸ばし、それを首から下げた。
「ようやったのぅ」
優しい笑顔でカリオルはエウテの頭を撫でる。エウテはポロポロと涙を流しながら「お師様っ!」とその体に抱き着いた。
「エウテが帝宮に来られるようになるなんて」
「元々エウテを帝宮楽師にするつもりで、爺と私は動いていたんだけれどね。ミュシュの歌を聞いた影響から、これまで以上に熱心に楽器に向き合うようになったって聞いて。少し課程を早めることにしたんだ」
「そうなの」
ずっとエウテのことを見守ってきた二人にとって、彼の成長は心から嬉しいものだったのだろう。カリオルの瞳にも光るものが見えた気がした。
パッと顔を上げたエウテは、今度はミュシュへと寄ってくる。
「ミュシュお姉ちゃん、僕……僕……っ!」
「こんな歳で帝宮楽師になるなんて、頑張ったのね」
「えへへ、ありがとう!」
誇らしそうに晴れやかな笑顔を浮かべるエウテ。その体を、ミュシュから抱き締める。
これまで抱き着くことはあっても、ミュシュに抱き締められたことのなかったエウテは「えっ!?」と驚きの声を上げた。周りの少年達も騒いでいる。
「エウテが来るのを楽しみにしているわ。帝宮で沢山演奏しましょうね」
「うんっ!」
「……はい、そこまで」
ミュシュではなく、エウテの襟首をスティが掴む。「わっ」と慌てて仰け反る。
「もう、スティ。危ないでしょう?」
「……ミュシュがエウテを抱き締めるからだよ」
口を尖らせて拗ねたスティが、ミュシュを腕に閉じ込める。「心狭ーい」とエウテが呆れ顔で呟く。
二人が馬車へと戻っていくと、カリオルに手を繋がれたエウテが大きく手を振っていた。
いつの間にか集まっていた民は、きちんと両脇に並び直していて、再びゆっくりと馬車は進み出した。列の誘導などをする警備隊の姿が見えるため、きっとどこかでズジェイも頑張っているに違いない。
「帰ってこられたのね、私……」
「そうだよ」
民達が名前を呼ぶ声に包まれて、二人は帝宮へと入っていった。
少しの休憩を挟んで謁見室へと向かうと、皇帝陛下や皇妃殿下、ラーンスキー公爵が二人を待っていた。
――おかえり。
そうミュシュに声をかけ、帰りを待ち望んでくれる人達がいる。それが何よりも胸に沁みて。胸の奥まで満たされた息を、そっと整えてから。
「ミュシュ・ラーンスキー。只今戻りました」
丁寧な仕草で膝を折り、そうして顔を上げたミュシュの目の端も、きらりと光るのだった。




