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43, 己の憂いさえも計略で払う


「ご、ごめんなさい。私、何か……」

「……あぁ、違う違う。ミュシュは悪くないよ。ちょっと、我慢出来そうになくて」

「え……?我慢?」


 何が……と聞く前に、掴まれた両肩をそのまま押され、ミュシュはソファへと沈み込む。ユンが「殿下!」と叫ぶも、それを無視してスティはミュシュへと覆い被さる。


「スティ……!?」

「…………。はぁ……」


 スティはぎゅっと眉を寄せたあと、深い溜息を吐いて体を起こした。ミュシュの心臓は早鐘のように脈打っていて、その場で固まってしまう。


「……ミュシュ」

「な、なにかしら」

「私も男なんだよね、これでも。その……顔に押し当てて抱き締められたら……ちょっとね」


 これでもも何も、スティを男だと理解はしている。けれど、感極まって頭を抱いた時、ミュシュの柔らかな胸がスティの顔に当たっていたらしい。


「〜〜っ!?」


 羞恥は声にならず、ミュシュは顔を真っ赤にしてぷるぷると震えた。


(わ、私は一体、なんてことを……っ!?)


 ソファの肘掛けに身を預けたミュシュに、スティは少しだけ体を寄せて、その赤くなった頬にキスをした。


「ひゃっ……!?」

「今日はこれで我慢するよ。……ユンが物凄い形相で睨んでいるしね」


 スティが顔を上げると、ユンが口を尖らせて「当然です!ラダに報告しますよ!」と腰に手を当てた。「それは嫌だな」とスティは肩を竦める。


「あの、スティ……!私……」

「そんなつもりじゃなかったんでしょう?分かっているから大丈夫だよ。ご褒美だったはずなのに、今はお預けを食らった気分だけれどね」

「お、お預け……」


 ミュシュはただ、スティに感謝を伝えたかっただけだ。スティも最初は喜んでくれていたのにと、心の中で頭を抱えた。


「まぁいいよ。こんなハプニングも、たまにはね。でも……ミュシュ、早く私の物になってくれない?……あっ、そうだ。帰ったら結婚してしまおうか」

「!?」


 目を煌めかせて提案するスティに、ミュシュはぎょっと目を見開いた。そこへ、ユンがついにズカズカと近付いてきた。

 

「殿下!皇子と公爵令嬢の結婚ですよ!?どれだけの準備と根回しが必要だと思っているんですか!しかも、ロマンティックさの欠片もないような告白をなさらないでくださいよっ!」

「だって、最低でも一年くらい?それくらい先になるんだろう?私は我慢強い方だとは思うけれど、ミュシュが愛おしくて耐えられそうにないんだけど……」

「ミュシュ様が大層お可愛らしく天使のようだとは重々理解していますよ!でも、そんなミュシュ様の晴れ舞台となるのですよ!?衣装、会場、来賓客……何から何まで徹底して準備をしなければ!」


 ミュシュはユンの“天使”発言に、ん?と首を傾げる。


「そうなんだ!普段のミュシュは天使のように可愛くて、歌っている時は女神が降臨しているかのように美しいんだよ!」

「分かりますっ!ミュシュ様の侍女になる前、ラダからそれはもう自慢げに聞かされていましたけれど、実際に正面から見た時の感動ときたら……っ!」

「だろう!?……でも、こんなにも女神に愛されているんだもん。ミュシュはいつか天界に帰ってしまうかもしれない。そうなる前に、ミュシュを私だけのものにしないと……。それに、ミュシュの力が公になった今、きっと周辺の国々がミュシュに興味を示すんだよ?」

「そ、それは……」


 ユンはその言葉にたじろぐ。結婚を前提としているとはいえ、婚約者は婚約者。その座を狙う不届き者は必ず出てくるだろう。


 けれど、そんなことはさておき、熱弁する二人からの絶賛に、ミュシュは頭がパンク寸前だった。心の中では、


(私はただの人間よ!天使や女神だなんて、なんて恐れ多い……っ!それに、天界に帰ったりしないわ!)


と悲鳴を上げていたのだが、二人はそんなミュシュに気付くことなく、議論に白熱していた。

 

「他国の王子や令息が、ミュシュに愛の言葉を囁くなんて……絶対に許せない」

「あっ、それは同意です。絶対に許せませんねぇ。そんなものを見たら、思わずナイフを投げちゃうかもしれません」


(ユンっ!?他国の王子様やご令息に、ナイフなんか投げちゃ駄目よっ!?)

 

「それに考えてもみてよ。ミュシュが私と結婚したら、全員幸せになれるんだよ?」

「それは、どういう……?」


 ユンの疑問に、はらはらとしていたミュシュも同様に頷く。幸せには違いないが、“全員”とは一体誰を含んでいるのかと気になった。

 

「まず私は、制限なくミュシュを愛せるでしょう?こうしてお預けをされて我慢する必要もない。他の男にどれだけ牽制して見せ付けたって、やり過ぎだと怒られることもない。……あぁ、なんて幸せなんだ」

「!?」

「……いや、結婚したって、やり過ぎたらラダは怒ると思いますよぉ?」


 スティの発言に、ミュシュは再び顔が赤らんでいく。結婚した途端に歯止めが効かなくなりそうなスティへ、ユンは胡乱げな目を向けた。


「次に、ラダとユン」

「……私達ですか?」

「二人は今回の褒美で、正式にミュシュの侍女兼護衛として任命することにしたんだ。そんな二人だけに、ミュシュが結婚した暁には、“奥様”と呼ぶ権利が与えられるわけだけれど」

「「!?」」


 “奥様”という言葉に、ミュシュの顔はぼふんと音を立てたように真っ赤になる。頭から湯気でも立ち上りそうなほど色付いている。


 そしてユンはというと、「奥様……、奥様……?」と目を瞬きながら復唱を繰り返していた。


「当然、屋敷の者達は“奥様”と呼ぶだろうけれど、皇族に仕えている影達からは、ミュシュは“ミュシュ様”のままだからね。そんな中で、二人だけは特別に、“奥様”と呼んで仕えることが出来るんだよ?さぁ――どう思う?」

「あ……、ぅ……っ」


 ユンが混乱した呻き声を上げた。こんなにも面食らったユンを初めて見たミュシュは、ただの呼び方だけで!?と別の意味で戸惑いを覚えた。


「ミュシュは私との結婚は……喜んでくれる?」

「へっ!?」


 ブツブツと何かを呟いているユンを置いて、スティはミュシュへと問いかけた。既に真っ赤なミュシュは、肘掛けをぎゅっと握り締めて答える。


「勿論嬉しいわ……!私は、ずっとスティの側に居たいもの」

「嬉しいっ!私もミュシュとずっと側に居たいから、早く夫の座を押さえたいんだよ」


 そう口にしながら、スティはミュシュをぎゅっと抱き寄せた。その腕の中で、「お、夫……っ!」と衝撃を受けるミュシュ。


 そんな二人を見たユンもまた、「殿下が旦那様で……、ミュシュ様が、奥様……?」と、当然のことを声に出して確認するように、呆然とした顔でそう呟く。


「そうだよ。ラダにも教えてあげてよ。影達の中でも君達二人だけの“特権”だとね」

「…………これは、すぐに知らせなければ。ミュシュ様、ラダの元に戻りたいのですが、宜しいでしょうか」

「えっ?えぇ……」


 戸惑いながらも頷くミュシュを見て、「失礼します」とユンはその体を抱き上げた。


「ユン!?私、歩けるわ!」

「すみません、少々急ぎますので!早急に、ラダと作戦を練らなければなりません」


 抗議するミュシュの声よりも早く、ユンはスタスタと扉へと向かっていく。


「殿下、その褒美、有難く頂戴いたします!必ず、私とラダにそのお役目を与えてくださると約束していただけますね!?」

「勿論だよ。その代わり――期待しているよ?」

「はっ!では、失礼いたします!」


 体裁を整えるように礼をしたユンは、ミュシュを抱えて音もなく走り去っていく。スティはヒラヒラと手を振りながら、その背中を見送った。




 そして帝国へと帰る日。


「ミュシュ、帰国して半年で結婚式を行うことに決まったから!皇帝陛下や兄上からも許可をいただいたよ!帰ったら急いで準備をしようね!」


 そうスティから告げられる。ミュシュは「は……?へ……?」と壊れた人形のように、暫くの間、口から音だけの疑問を零し続けた。


 その側で、ラダとユンが満足そうな表情を浮かべていたのだが――ミュシュにはそんな二人に気付く余裕はなかった。



 

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