42,優しき紳士は婚約者の憂いを払い、
それから更に数日後、ディーロス帝国からマルスミールが王国へとやって来た。
王国を帝国の属国にするにあたって、今の腐敗した国の内部を一掃することに決まった。そうした立て直しやテコ入れはマルスミールの得意分野だそうで、「皇帝の座を引き継ぐ前の肩慣らしに、王国を統治してみせよ」と皇帝陛下から指示を受けたそうだ。
そんなマルスミールが、ふいにスティの胸の内をなぞるような問いを投げかけた。
「本当は、奴らをお前の手で裁きたかったんじゃないか?」
「……その気持ちが少しもないわけじゃないけれど。でも兄上なら任せられるから。兄上なら、彼らに容赦なく罰を与えてくださるでしょ?」
「当然だ。アポスティルからの報告を見た父上やラーンスキー公爵から、『手加減しなくていい』と許可をもらっているからな」
「ふふっ、それなら何の心配も要らないね」
スティはくすくすと笑う。一緒に話を聞いていたミュシュは首を傾げ、ラダを見上げた。
ラダはミュシュの耳元に口を寄せて、「マルスミール殿下は、アポスティル殿下以上に酷薄で無慈悲なお方ですので」と囁いた。
「――ラダ。私にとっても可愛い義妹に、一体何の告げ口をしているんだ?」
鋭い刃のような瞳を向けられ、ラダはすぐに姿勢を正した。ひやりとした空気に、ミュシュも体を縮こめる。
「兄上、ミュシュまで怯えさせないでくださいよ」
「……おっと。悪いな、ミュシュ。つい」
「い、いえ。スティも、マルスミール様も、皇子として必要なことと理解していますから」
理解していても、突然向けられた殺気や敵意に驚いてしまうのも当然で。ミュシュが困ったように微笑むと、マルスミールもポリポリと頬を掻きながら苦笑した。
「私の側近や、レルムクワ公爵も居る。後のことは私に任せるといい」
「ありがとうございます、兄上。それじゃあ私達は、近々帝国に帰ろうか」
「はい……!」
帝国に帰る――その言葉に、ミュシュの顔は途端に綻ぶ。まだ肌寒いはずの季節が、一瞬で春に塗り替えられたような、柔らかな笑顔だった。
これまでの調査で発覚した内容や王国の内情などをスティがマルスミールに説明し、引き継ぎを行っている間。ミュシュは静かに王宮で過ごしていた。
そんな時、部屋を訪ねてきたのは、スティの側近兼護衛のルオだった。彼から話を聞いたユンが、ミュシュを呼びに来る。
「ミュシュ様、どうやらお茶会の準備がされているようで……お呼びのようですが」
「……?スティかしら」
どうやらルオは「ミュシュに声をかけて、ここに連れてきて」とスティに頼まれただけらしい。ルオは非常に寡黙なのだが、チラチラと彷徨っている視線から、彼自身も困っていると伺えた。
「スティが呼んでいるのよね?ありがとう」
「!」
ミュシュが感謝を示すと、ルオは目を丸くし、それからぷるぷると首を横に振った。背は高いのに、その仕草がなんだか子供っぽくて可愛らしい。
ルオの案内に従って王宮内を進む。ユンも付き添ってくれ、歩いた道は……。
「なんだか、懐かしいわ」
「懐かしい……ですか?」
「えぇ。こちら側は少し日当たりが悪いでしょう?」
今三人の居るそこは、王宮でも日の当たらない日陰になる場所だった。この時期の日陰はまだひやりと冷える。それすらも懐かしい気がした。
「私は身分の低い歌姫だったから、高位貴族の歌姫達のお茶会には交ぜてもらえなくて。夏場くらいしか使われないガゼボで、仲のいい歌姫達とよくお茶をしていたの」
「そうでしたか……」
「よく、寒い寒いと言いながら、温かい紅茶を飲んでいた気がするわ」
話しているうちに、そのガゼボが見えてくる。表に植えられたバラやユリのような美しい花壇はなく、しかし綺麗に花開いたミモザが揺れていた。
風にそよぐ黄色い花から視線を落とし、ミュシュはハッと息を飲んだ。後ろで「ミュシュ様?」とユンが問う声にも答えず、ミュシュは駆け出していた。
「「ミュシュ!」」「ミュシュ様!」
あの頃と同じように、ガゼボで待っていたのは三人の歌姫達。ミュシュが追放される時に、身を案じてくれた……心優しい友人達だった。
ミュシュはその輪に飛び込んでいく。三人へと両腕を伸ばし、その温もりごと抱き締めた。
「どうしてここに……?確かビェラさんとリブシェさんは、ご領地に戻られたと。フレナは……こんな中で一人頑張ってくれたのね」
「実は、第二皇子殿下がご連絡をくださっていたの」
「王都の問題が解決したら、貴女に会いに来てあげてほしいとね」
「私は、もう少しだけ耐えてほしいと、そうお言葉をいただきました。ミュシュ様と共にこの国を救ってくださると聞いて、私……私……っ!」
そういえば、呼び出したスティは?と、三人を抱き締めながらもキョロキョロと見渡す。しかし、その姿はどこにもない。
そんなミュシュの側にルオが静かに歩み寄り、封筒を差し出した。スティからだとすぐに気付いたミュシュは、封筒から手紙を取り出して開いた。
『帝国に戻る前に、旧友と楽しいひと時を過ごしておいで』
たったその一文に、ミュシュの顔はくしゃりと歪む。その手紙を大切そうに抱き締めたあと、破顔する。
「こうして会えて、本当に嬉しい。皆さんが無事で、本当によかった……っ!」
それからはユンがお茶を用意してくれて、お茶会が始まった。やはり風が吹くと、それはもう寒くて。いろいろなことが解決したのだから部屋ですればいいのに、どうしてまたこんなところでお茶をしているのだろうと、それすらもおかしくて。
けれどそんな時、ルオが四人にとブランケットを渡してくれた。かつてないほど体も心も温まったお茶会で、王国への心残りはガゼボを抜ける春風に攫われて、どこかへ消えていった気がした。
「ミュシュ、ご令嬢達とのお茶……っ」
お茶会が終わり、スティの元へと向かったミュシュ。スティの顔を見た途端、言葉になるより先に体が動いて、その胸へと飛び込んでいた。
スティはソファの上で「おっと」と漏らしながらミュシュを抱き留める。
「これは……、随分なご褒美だね。嬉しいな」
「嬉しいのは私の方よ。王国にも、これほど手を回して動いていたのに、ご令嬢達のことまで。無理をさせてしまっていたんじゃ……」
「王国に手を回すことは、まぁ大変だったけれど。皇帝陛下の望む結果を出さないとって、久々に皇子としてのプレッシャーを感じたからね。でも」
スティは嬉しそうに頭をミュシュに擦り寄せ、安心したような声を漏らした。
「ミュシュのことを大切にしてくれた人達だ。君もずっと気にかけていたように見えたから。こうして喜んでもらえて、準備しておいてよかったよ」
「スティ……」
「あーー!本当によかった。あの頃の自分を英断だったと褒めてやりたいね」
ミュシュに不要な心配をさせないよう、茶化すようにニッと笑うスティ。その姿に、ミュシュは優しく頭を抱き込んだ。
「えっ」
「スティ。本当にありがとう。こんなにも思ってくれて、私のことを考えてくれて……私、スティと出会えて、本当に幸せよ」
心のままに想いを吐露し、スティの温かさを感じていると、そんなミュシュを剥がすようにスティはその細い両肩を掴んで体を押した。
まさか引き剥がされるとは思わず、ミュシュはヒュッと息を呑む。
「す、スティ……?」
何か不快にさせてしまっただろうかと焦るミュシュを、下から狙いを定めるような目が捉えた。




