41,燃え落ちた真実に弔いの雨を
その過去は、二十年以上の長い月日を遡る。
家柄もよく、歌姫としての力も申し分なかったレルムクワ公爵令嬢は、すぐに国王の婚約者に決まったらしい。
「でも、あの国王は、自分よりも評判のいいレルムクワ公爵令嬢のことが気に食わなかったんだって。どうせ嫌でも結ばれることになるからって、他の令嬢を誑かして遊んでいたらしいよ。……最低だよね」
「……本当に、酷いわ」
珍しく吐き捨てるような物言いをしたスティに、ミュシュも胸を押さえて同意した。
その中でも一番のお気に入りとなったのが、王妃だった。
伯爵家の令嬢として生を受けた彼女は、伯爵令嬢ならギリギリ王妃の座に就いても許されるのではと夢を見る。
ただの遊び――それがいつしか、国王の中でも、公爵令嬢を退けて彼女こそ婚約者にと考え始める。
そして二人は共謀し、歌姫としての役目のためレルムクワ公爵令嬢を地方へと送り出し……事故死に見せかけて、神殿ごと燃やしたという。
「神殿ごと……!?」
「その地方を治めていた領主や神殿と、王族の折り合いが悪かったそうでね。レルムクワ公爵令嬢と公爵家の付き人達が神殿の祭壇で祈祷をしていた時に火災が起きて、その二人と、何人かの神官が亡くなった……と。火元は燭台が倒れたからだろうと、事故扱いになったんだ」
「両親も私も、どうしてそんなことになったんだと、領主や神殿を責め立てた。しかし、『蝋燭は倒れないようしっかりと固定されたものを準備しているし、長年この地を治めてきたがこんなことは初めてです』と双方から言われてね。そう言われてしまえば、もはや“不運”としか呼べなかった。そう呼ぶしか、なかったんだ……っ!」
愛しい妹、そして公爵家に長年仕えてくれていた者の死。事故死など信じたくなかった前公爵夫妻は、その地の領主や神殿に落ち度がなかったのかと徹底的に調べたようだ。
「両親は、領主やその神殿の責任者である司祭に、細かく確認していた。だが、準備されていた燭台は確かに倒れないよう、きちんと金属の杭で固定されていた。神殿の焼け跡からもそう判明したんだ」
その上、領主や司祭は領民達からの評判もよく、理不尽な非難をぶつけられたにも関わらず、二人とも親身に対応してくれたという。
しかし、王族の婚約者が亡くなる事態を招いたとして、領主も司祭もその座を下ろされてしまう。それでも二人は「こちらに何か落ち度があったのかもしれません。本当に申し訳ございません」と、何度も謝っていたそうだ。
不運――その言葉が、公爵家の者達に重くのしかかった。
前公爵夫人は酷く落ち込み、それをきっかけに社交から遠ざかるようになってしまう。そんな夫人を支えるために、前公爵は当主の座を譲り隠居。レルムクワ公爵令嬢の兄である彼が、当主の座に就くことになった。
「でも、ミュシュから話を聞いて、絶対に裏があるって思ったんだ。気に入らなかった領主や司祭に罪を擦り付けてその座を退かせ、婚約者が居ながら遊んでいた相手を代わりの王妃として迎え入れられる……そんな都合のいい話ないでしょ?」
「……そうね。何より、あの二人なら悪事を働いていてもおかしくないと、今ならそう思うもの」
筆頭歌姫である王妃は、その座を狙っていなかったミュシュであっても、目標にすべき一つの指標のような存在だった。けれど今となっては、そんな感情は微塵も浮かんでこない。
「だから私は、今その地を治めている領主と司祭を調べることにしたんだ。きっと国王の息のかかった者が後釜に収まっているだろうと踏んでね」
すると、領主館にたった一つだけ、気になる記録を見付けたという。
「影が調べてくれた情報の中に、レルムクワ公爵令嬢がその地に到着する前、神殿の香炉の交換についての記録が見付かってね。香炉が古くなっていたにしても、普通はその地の領主や司祭が依頼するものでしょ?でも、わざわざ王都の大神殿から、レルムクワ公爵令嬢の好きな香と一緒に届けられたそうなんだ」
「筆頭歌姫候補のことを慮ってと言われれば、聞こえは言いけれど……」
言い淀むミュシュに、スティは頷く。
「違和感しかないでしょう?神殿にあった物は、証拠になるかもしれないと前公爵夫妻が保管していると調べで分かっていたから、公爵に事情を話して、影に調べさせたんだ」
「ディーロス帝国の第二皇子殿下の遣いが屋敷に来た時は、一体何事かと思いましたよ」
レルムクワ公爵はそう言って苦笑した。
前公爵夫妻も、大神殿から娘のためにと送られた新しい香炉に、まさか細工がされているとは考えなかったらしい。
そしてその香炉はというと、落下したのか真っ二つに割れていたそうだ。調べてみると、香炉には鎖で吊るすための穴がいくつか開いていた。
香炉は不燃生の素材で作られていた。いくら火事でも、吊るされていた鎖も燃え落ちるはずがない。
火事の時に、何かが当たって割れたのだろうか。その疑問から、焼け焦げた瓦礫の中を探ることに。
そして影と公爵は、香炉を吊るしていたのだろう鎖を発見する。その鎖には、フックの口が不自然な角度に広がっている箇所があった。無理な力で曲げられたのか、経年劣化では説明のつかない不自然な歪みが確認出来たという。
「父上が、儀式の部屋の見取り図ももらっていてな。それを確認して分かったんだ。恐らく、香炉の落ちた先は……妹のすぐ後ろだろうと。そこにはきっと、儀式のために着ていた、歌姫の衣装の裾があったはずだ」
「ただ吊るしているだけなら落ちなかったかもしれないけれど、祈祷中に歌姫や神官が身動きしないなんてことはないでしょう?」
「勿論よ」
用意された祭壇に向かって頭を下げ、捧げ物を並べ、歌に合わせて振り付け通りに動く。その度に、じわじわと香炉が外れていったのだとしたら――。
「香炉を落とすつもりでいたのなら、香炉の砂や歌姫の衣装にも細工をしていたっておかしくはないよね」
「あの地の領主も、司祭も、彼らは何も悪くなかった!まさか、私達が命を賭して守り続けてきた王族が、そんな非道を重ねていたなど……っ」
膝の上で組まれたレルムクワ公爵の両手は、力みすぎて真っ白になるほど強く握り締められていた。噛み殺したはずの声が、それでも滲み出るように震える。その響きが、ミュシュの胸を鋭く抉った。
「それでも、確固たる証拠までは見付からなかった。瓦礫で歪んでしまっただけかもしれないしね。だから、公爵に協力してもらったんだ。何にしたってこの国の王族は、この大陸全土の国々を敵に回すような悪事を隠匿し続けているのだから、どうしたって裁かなければならないと言ってね。その時に、尋問でも拷問でも好きにすればいいからと」
「……それで、彼らは?」
ミュシュの問いかけに、レルムクワ公爵は小さく溜息を零した。
「……あの男は、開き直ったように喚き出したよ。『あんなお高くとまった女と一生を共にするなど、うんざりだったのだ!』とな。私刑は駄目だと分かっていたのに、思わず力一杯殴り付けてしまった」
「一発で我慢したことに、私は尊敬の念を覚えたけれどね。私ならそのまま殺してしまっていたかもしれないし」
「……アポスティル殿下は、見かけによらず結構物騒なのだな」
レルムクワ公爵の言葉に、スティは「そうかな?」と笑っているが、ミュシュは否定出来ず苦笑するしか出来ない。
「王妃は気が狂った様子で、色々と話してくれたよ。もう馬鹿にされたくなかっただとか、ミュシュは自分の身代わりだったとかね」
「どういうこと?」
「優秀な公爵令嬢が亡くなった後釜として、国王があの女を選び、何の努力もせず筆頭歌姫となり王妃の座に就いた。それで幸せになれるだなんて……そんなこと、あるわけないのにね」
スティは鼻で笑って肩を竦める。その先は、何となくミュシュにも想像がついた。
「あの人が王妃となった時、多くの貴族達はあの人を軽視していたからな。よく妹と比べられ、非難され、笑われていた。私は、あの人を貶めるために妹の名を使うなと……そちらに腹を立てていたが」
「でも、自業自得だよね。そうして得た立場なんだからさ。そんな女だから、“歌の加護”も然程強くなくて、筆頭歌姫としての執務や政治を担当しても、歌姫としての役目は他の人達に行かせるよう手配していたんだって」
だから王妃はずっと王宮に居たのかと納得する。筆頭歌姫はそういう役目なのだろうと思っていたが、自身の力の弱さが明るみになるのを恐れたのだろう。
「それで、自分より家格が低く、けれど力のあるミュシュを自分の手駒にしたくて、筆頭歌姫の座を早急に譲ったんだって。そうすれば、ミュシュには儀式だけを任せて、『男爵家の娘に頼るくらいなら王妃の方がいい』と、政治的な地位が守れるだろうと考えたみたいだよ。……まさか、継承の儀をしてから毒を飲まされて、その計画が潰れるとは思わなかったみたいだけれど」
「ミュシュ嬢の追放を止めなかったのは、継承の儀の経験者である自分がこの国に居ればまだ大丈夫だろうと、高を括っていたらしい。万が一、国の加護が弱まった時に、イルジナのせいにして言い逃れるつもりだったと」
「呪われたのがイルジナじゃなくてあの女だったのも、まぁ納得かな」
ミュシュは二人から説明を受け、自分の中の疑問に答えが見えた気がした。
(真実は誰にも分からない。けれど――公爵令嬢を手にかけて筆頭歌姫の座を掠め取っただけでは飽き足らず、私を利用しようとして、使えなくなれば見放し追放した。その罪の重さを、女神が見過ごすはずがないわよね……)
スティの言った通り、少しは裏切ってほしかった。そこまで酷い行いはしていないのだと。罪は罪だったとしても、そこにどうしようもない切実な理由があったのだと……そうであってほしかった。
――けれど、彼らは最初から最後まで、自分のことしか見ていなかったのだ。
「スティ、今ここで歌ってもいい?」
「……今?」
「えぇ。悲しくて、この曲を歌うのはあまり好きではないのだけれど。心を込めて歌うから」
祈るように胸の前で手を組むミュシュを見たスティは、「いいよ」と優しく囁いてくれた。
「レルムクワ公爵。私は、レルムクワ公爵令嬢から筆頭歌姫とは何たるかを学ばせていただきたかった……心からそう思います」
「……っ!」
「今の私に出来るのは、これだけですが。レルムクワ公爵令嬢の安らかな眠りを祈って、歌わせてください」
そうしてミュシュの口から紡がれたのは、いつもよりも細い歌声で、しとしとと降る雨を感じさせた。その一音一音に、失われた歌姫への悔恨と鎮魂が溶けていく。
(熱い炎の中、どれだけ苦しかったでしょうか……。どうか、どうか安らかに……)
その祈りが音へと形を変え、どこまでも響き渡るようだった。
物悲しく、しかし失われた人影をなぞり、天へと届ける歌声に……公爵の目尻に溜まった一粒が、ほろりと膝に零れ落ちた。




