38,情報を制し、情を制すのは
わなわなと体を震わせ、顔を真っ赤にしたイルジナは扇を握り締める。さっきまでスティに向けていた顔とはまるで違う、怒りに歪んだ顔。
(私は、こんな人を侯爵家のご令嬢だからと敬っていたのね。高貴なのは家柄だけで、中身なんてまるで伴っていない。本当に高貴な方の在り方を知った今となっては、イルジナ嬢がいかに“肩書きだけのご令嬢”だったか、よく分かるわ……)
そんな彼女やその取り巻き達に、どれだけミュシュやその周りの令嬢達が居心地の悪い思いをしてきたか。そう考えると、これまでにはなかった怒りがじりじりと火種を上げ始めた。
「ミュシュ!そんなふうに言い返せるようになったんだね!嬉しいよ」
スティは、周囲の視線など一切気に留めない様子で、後ろから覆い被さるようにその体を抱き締めた。途端にミュシュの頬が色付く。
「す、スティ!?今は……っ」
「別にいいじゃない。私達の仲を見せ付けてやればいいんだ。――元婚約者も、そのパートナーもお呼びじゃないってね」
ミュシュの肩越しに、スティは二人に冷ややかな目を向ける。ミュシュと自身の行く末を勝手に決め、それがいいと言わんばかりの提案をする二人を到底容認出来るはずもない。
太陽のように眩しいはずの瞳が、底冷えするような冷徹さを放っている。ギラリと睨まれたイルジナは「ヒッ!?」と小さく悲鳴を漏らして後退る。
「くそっ!おい、連れてこい!俺に向かってこんな事をしてもいいと思っているのかっ!?お前の家族がどうなってもいいんだな!?」
そうして連れて来られたのは、ミュシュの実の両親――元男爵夫妻だった。レヴィンは勝ち誇ったような、嫌らしい笑みを浮かべる。
「ミュシュ!助けてくれ!このままでは私達は」
「煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ」
元男爵の叫びを聞いてもそちらを見ることなく、ミュシュは首を横に振った。レヴィンやイルジナはぽかんとした表情で「「は?」」と漏らす。
見たくもないと顔を背けるミュシュを優しく抱き寄せたスティは、彼らに向けて失笑する。
「まさかとは思うけれど、こちらが何の調査もせずに、ミュシュを奪おうとする敵国にのこのこやって来ると高を括っていたのかな」
「貴方達は、私を王宮に売ったお金で贅沢の限りを尽くし、結局家が立ち行かなくなった。そうして爵位を返上するまでに至って。その結果――貴方達は、弟まで……ラディムまで違法な奴隷商に売り付けたそうね」
「「!?」」
貴族達の空気が再び揺れた。元男爵夫妻に嫌悪感を顕にする者も居れば、明らかに顔色を悪くさせている者も居る。
――スティがミュシュの調査をした際、男爵家が既に破産してなくなっていることは発覚していた。しかしその際、元男爵夫妻の生存は分かったが、嫡男だった弟の存在だけが確認出来ずに居たそうだ。
唯一得た手がかりも信じられない情報で確証が持てず、ミュシュにも打ち明けられなかったと、全てが明らかになった時にスティは教えてくれた。
「ミュシュの弟は、鉱山奴隷としてボロボロになりながらも何とか生き延びていてね。けれど、身体的疲労が酷くて長時間移動させられないから、とある商家に匿ってもらっているんだ」
スティの言う商家――それは、ミュシュが帝国へと逃亡する時に助けてくれた、“ユニサス商会”のことだ。
スティから弟の状況を聞かされたミュシュは、どうかラディムを助けてほしいと願った。王都の調査とは別働隊として動いてくれていた影達により、ラディムは無事助け出された。
しかし、ミュシュの人質として何よりも利用しやすいのは、貴族令嬢である歌姫達よりも、平民に堕ちた家族だろう。
もしかすると、鉱山奴隷として働いているラディムの存在まで突き止められ、つい最近逃亡したと知られてしまうかもしれない。そうなれば捜索の手が回り、帝国まで逃げる体力のない弟の身に危険が及ぶ可能性があった。
そこで、影の一人がラディムのフリをして奴隷を続けてくれることになり、その身を匿い保護してくれる場所として協力してくれたのが、“ユニサス商会のロド”だった。
スティとミュシュで商会を訪れ、ロドに極秘だと言って頼み込んだ日。
「こんなことを頼んでしまって、ごめんなさい。でも、帝国と王国を怪しまれずに行き来出来て、ラディムの状態を教えてもらえるのが……ロドさんしか思い付かなかったんです」
そう涙混じりに訴えるミュシュに、あの時よりもずっと丁寧な口調で、けれどあの時と何も変わらない温かな声で、ロドは引き受けてくれた。
「我が国の第二皇子であり帝宮楽師長であるアポスティル殿下と、その婚約者となられたラーンスキー公爵家のミュシュ嬢とご縁が出来るのです。商人として、これ以上の喜びはありませんよ。……あの日から、貴女様が笑えているだろうかと、何度も思い出していました。こうして頼っていただけたことが、何よりの報酬です」
「ロド……っ」
その後、ミュシュが思わずロドに泣き付いてしまい、スティを前にロドが真っ青で慌てふためくことになったのだが……スティは「本当に人誑しなんだから」と苦笑していた。
「ミュシュの弟には、王国の南部の街で療養させていてね。念のために私の部下も置いていて、順調に回復していると報告をもらっているよ」
「貴方達は、自分達の欲のために私やラディムを切り捨てたの。その貴方達を、どうして今更救わなければいけないの?」
ミュシュが現実を突き付けると、夫人はヒステリックな悲鳴を上げた。
「酷いわ!私は貴女の母親なのよ!?」
「……母親?貴女は“娘を金と引き換えに手放した人”でしょう?もしラディムが望んでくれるなら、彼だけは弟として接するつもりよ。でも、貴方達を父や母と思うことはないわ」
「なんだと!?実の父に向かって!」
「私の養父母は、ラーンスキー家のご夫妻だけ。貴方達は、ただ血が繋がっているだけの他人よ!二度と家族だなんて名乗らないで」
ミュシュはかつて王宮へと売られ、二人に捨てられた時の感情をぶつけるように叫んだ。滅多に見せない、憎しみに歪んだその瞼に、スティは優しくキスを落とす。
「そういうことだから。その二人はミュシュの人質にはなり得ない。残念だったね」
煽るように細められた目に、レヴィンはギリッと歯を鳴らす。そこへ、静かに様子を見ていた国王が立ち上がった。
そして、レヴィンやイルジナを冷めた目で見下ろした。
「どうやら、こちらが聞いていた話と多くの相違があるらしいな」
「父上っ!?」
「しかし、民は困窮している。歌姫の力が弱っているのもまた事実。ミュシュ嬢もそれは望むところではないのではないか?」
国王の言葉に、ミュシュはぐっと言葉を詰まらせる。スティは、ミュシュの良心に訴えかけるような台詞を吐く国王に、鋭い目を向けた。
「それならせめて、定期的に国のために歌を捧げてはくれないだろうか?我が妻、王妃も伏せっている今、国の回復を頼めるのはそなたしか居ないのだ」
「肉親を使って脅すような卑怯な手を使う国に、どうして派遣出来ると思うの?」
「それは愚息の仕出かしたこと。それに元々は、ミュシュ嬢と再会させるべく彼らを呼んだと聞いていたのだがなぁ」
自分は知らなかったとシラを切る国王に、スティは盛大な溜息を吐き、眉間に皺を寄せた。
「愚息の仕出かしたことと言いながら、一切謝罪もないんだね。本当に不愉快だよ。それなら私達も、そちらと同じ手を使わせてもらおうかな。――真実を突き付けるには、言葉より“現物”の方が早いしね」
「は?何を……」
「お連れして」
指先が静かに上がる。その静かな合図一つで、天井から二つの影が舞い降りた。王国側の全員がぎょっと目を見開く。
「お前っ!?」「母上っ!?」
「んんーーっ!」
ドサリと物でも置くように落とされたそれは、猿轡を噛まされ、紐でぐるぐると巻かれた王妃だった。
涙で化粧の崩れたみっともない顔に、床に擦れていた豪奢なドレス。王妃は両手両足とも縛られ、一人で立ち上がることも出来ずに醜く呻いている。
「そんなに暴れたら、全員に見てもらえないでしょう?……静かに出来ないの?」
スティの声を命令と察した影の一人が、王妃の首元に短剣を突き付ける。ビクリと体を震わせ、ぽろぽろと涙を流しながら静かになった。
国王はダンッと玉座を叩き付ける。
「貴様……っ!我が国の王妃に!」
「こんなのを王妃だと崇めさせられている彼らが哀れだと思わないの?この中にだって、一握りかもしれないけれどマトモな貴族だって居るだろうに。……さぁ、よく見るがいい」
国王の怒りなどに目もくれず、スティは王妃の襟首をぐいと掴み上げ、貴族達へと向けた。
王妃の顔が顕になる。いくら涙で化粧が崩れているとはいえ、王妃は王妃。そのはずなのに、たった数ヶ月の間に老いさらばえた肌や落窪んだ目元に、しんと静まり返る。
「……あれは、本当に王妃殿下か?」
その一声が、波紋のように広がっていく。その理由に心当たりのあるレヴィンとイルジナ、そして国王は「まさか……」と顔色を悪くしていく。
スティは黄金の瞳で弧を描き、楽しそうに微笑んだ。
「――さぁ、“裁きの序曲”を始めようか」




