36,温もりを胸に、凍てつく祖国の地へ
スティとのデートを終え帝宮に戻ると、ラダやユンに「ゆっくり休めましたか?」「楽しかったですかぁ?」と聞かれた。そこで、みんなに心配をかけていたと気付くミュシュ。
「とても……とても楽しかったわ。あんなに街を見て回ったのは生まれて初めてだったから」
「それはようございました」
「沢山歩いたでしょうから、お風呂に入って、今日は早めに休みましょう!」
ミュシュの報告に、嬉しそうにする二人。まるで自分のことのように喜んでくれる人達が、今は沢山居る。
(私のことで、こんなにも心配してくれて、喜んでくれて……。決して、これまで誰にもそうされなかったわけじゃない。ただ、その温かさを受け取ろうとしてこなかったのは、私の方だったのね)
思い出すのは、共に辛い環境で過ごした歌姫達の顔。ミュシュが筆頭歌姫に選ばれてから、彼女達はいつも無理をしていないかと聞いてくれていた。
でも、ミュシュは何とか自分の地位を確保して、彼女達を守れるような場所にしなければと……その一心で役目を務めていた。彼女達の声に耳を傾けずに。
スティやみんなのおかげで、これまで見えなかったものも見えるように、感じられるようになった。ミュシュがみんなを守りたいと思っていたように、彼女達もそう思ってくれていたのなら。
(王国を何とか出来たら、その時は……みなさんに会いたい。会って、お礼を言いたいわ)
そのために、自身の祖国だろうとも許してはならない。その覚悟を胸に、ミュシュはそれからの日々を過ごした。
そうして体に気を付けながら勉強や練習に励み、時にはみんなでお茶をして過ごしていると――あっという間に王国に向かう日を迎えていた。
表には皇族専用の豪奢な馬車が用意されていた。磨き上げられた装飾が朝の光を弾き、その前には毛並みの美しい白馬が四頭、誇らしげに並んでいる。
王国に向かうのは、皇帝陛下の名代であるスティ。そして、返還の指名を受けたミュシュ。スティの影が従者として二名、ミュシュの従者としてラダとユン。
主人と共に貴族の場へ出入り出来るよう、影達は全員騎士爵を与えられている――そう聞かされたミュシュは、「ラダもユンも……騎士?え?」と目を丸くしてしまった。
襲撃を考え、馬車の中にはスティとミュシュ、そして影が二人。馬車の後方に備え付けられた補助席に、立つ形で二人配置された。ひとまず、ミュシュはラダと共に馬車へと乗り込んだ。
あとは、警護のために帝国の騎士達が騎乗で同行してくれる。前方後方しっかりと騎士達で固めるようだ。
正直、今の王国はまるで信用が出来ないため、国境や王宮外で騎士を置いていけと言われた場合は、即刻引き返すとスティは断言してくれた。
それは皇帝陛下も了承済で、王国に対して一筆認めてくれている。こちらの納得出来ない要求には、一切応じるつもりはない。
「ミュシュは優しいから、言いくるめられると踏んで声をかけてくるかもしれないけれど……」
「大丈夫よ。私だって、怒っているもの。祭壇から聖杯や古書を盗み、彼らを守ってきた王族を手にかけて。その罪を黙認し続けてきたのだから」
祖国といえども、温情なんてかけられない。目にかけてくれていた王妃も、きっと利用価値があると踏んでミュシュを後継者に選んだのだ。これ以上、あの国を増長させてはいけない。
「いい表情だね。そんな凛々しいミュシュも素敵だよ」
「……っ!もうっ、二人の前で揶揄わないで」
「揶揄ってなんかいないよ。惚れ直しているだけ」
「〜〜っ!?」
ラダはともかく、スティの従者として同行する影達は初対面だった。今馬車に乗っている方がベイ、補助席で立っているのがルオという。
ベイはスティの横に腰かけながら、ちらりとラダへと視線を向けている。そんなラダはというと、半目でスティを見据えていた。
「殿下、この間のお出かけとはわけが違うのですよ」
「分かっているって。でも、今から緊張していたら体が持たないでしょう?少しくらい気楽に行かないと」
スティの言い分にも一理ある。緊張感は必要だが、今からピリピリしていては息が詰まってしまう。
(スティのこういうところ、素敵だわ。……けれど、だからって私を揶揄う必要は……ないわよね?)
それこそスティに言いくるめられた気がして、少し口を尖らせてしまう。するとスティは目を細めて楽しそうに笑った。
(絶対にわざとだわ……!もうっ!)
今日もしてやられたと思いながら、ミュシュは赤らむ顔を背け、窓の外へと視線を移した。
帝宮の大きな門をくぐり、馬車が大通りを進み始める。すると――。
「アポスティル殿下ーーっ!」「ミュシュ様ーーっ!」
日が照っているとはいえ、春に入りたての空気はまだ冷たい。そんな中、帝都の民達が街道の両脇をぎっしりと埋め尽くしていた。みな手を振り、旅立つ一行を見送ってくれているようだ。
途中、楽器を手にした集団が帝国の国歌を奏でている。その音に負けないよう、多くの民がスティとミュシュの名を呼び、手を振っていた。
「ミュシュ。もうすぐエウテ達が居るはずだよ」
「えっ!?どこ?」
スティはこの見送りを知っていたようで、優雅に手を振りながらある方向を示した。ミュシュはスティと一緒にその方向を覗き込む。
「ミュシュお姉ちゃーーんっ!絶対帰ってきてね!また一緒に演奏してねーーっ!」
「エウテ……っ!」
顔を赤らめて、涙を浮かべながら手を振る姿は本当にいじらしい。その横でカリオルは静かに頷いている。ミュシュは必死にそちらに向けて手を振る。
ふと、街道の人が雪崩ないよう警備している警備隊の一人が、こちらに敬礼していた。
「ズジェイだわ!」
「流石。きちんと役目を果たしてくれたんだね」
どうやら、こうなることが予想され、スティはズジェイに相談したのだという。「またそうやって……」と苦言を呈すると、「彼は喜んで引き受けてくれたよ」なんてスティは笑っていて。
「……また、この国に帰ってこなくちゃね」
「えぇ。必ず」
帝国の温もりを胸いっぱいに抱きしめながら、ミュシュはその街並みに背を向けて進み出した。
途中の街の領主館で一泊し、次の日も馬車で揺られ続け――王国の関門に到着した。
そこでは案の定、王国の騎士達と出迎えに訪れたレヴィンが、帝国の騎士達を国に帰すよう言ってきた。
埒が明かないからと、両国の代表である皇子と王子が話し合うことに。
「ここからは我々王国の騎士がお守りする。これほど大所帯で移動する必要もないだろう?」
「こちらは事前に帝国の騎士を連れて行くと連絡していたはずだが?にも関わらず、大勢の騎士を連れて来たのはそちらだろう」
「そちらに苦労をかけまいという配慮ではないか!」
「配慮?単にそちらの都合で、帝国の騎士を入国させたくないだけの間違いではないのかな?それに、皇帝陛下からもその旨指示をもらっている」
そう口にしながら、スティは早速事前に皇帝陛下からもらっていた書状を広げてみせる。レヴィンはそれをひったくるように奪い、読み進めたあと舌打ちをした。
「我が国の姫を返還しろなどと、一方的で不躾極まりない書状を突き付けておきながら、今度は『騎士を連れてくるな』だなんて。そちらが帝国にとって、数ある他国のひとつでしかないことを忘れているのかな?……そもそも、我々は王国の身勝手な要望に“わざわざ応じて出向いてやっている側”だよ。それすらも分からないのかな」
スティがレヴィンに敵意を向けると同時に、帝国の騎士達や、その時補助席で立っていたルオとユンから殺気が放たれた。
権力で甘い蜜を啜り、その地位を手に入れたレヴィンや王国の騎士達には刺激が強かったらしい。全員の顔は真っ青になり、カタカタと体を震わせる者も多い。
「どうする?騎士を帰らせるのなら、私達も国に帰るけれど」
「……好きにするといいっ!」
レヴィンは吐き捨て、馬車へと乗り込んでいく。スティはまるで相手にならないと肩を竦め、馬車へと戻った。
「スティ……」
「これくらいなんてことないよ。……あれが国の王太子だなんて世も末だね。兄上があんな人じゃなくて心からよかったと安心したよ」
帝国と王国。国の今後を担う者として、マルスミールとレヴィンでは格も懐の広さもまるで違う。
「ミュシュ。見る限り、話にならなさそうだよ」
「やっぱりそうよね……」
「ミュシュの願う、“出来る限り穏便な解決”をするのは難しいだろうね。だから、覚悟はしてほしい」
正面から気遣うように手を取られ、優しく包み込まれた。ミュシュは無念さを飲み込むように目を瞑り、そしてまっすぐにスティの瞳を見つめた。
「スティと、皇帝陛下の決断に任せるわ」
「……分かった」
スティは、短く息を吐くように応じた。
帝国を出立する前、皇帝陛下に呼ばれてスティと向かった。家族としてではなく第二皇子とその婚約者としての、政治的な呼び出しだ。
そこで、王国とは相容れない状態のやり取りが続いていることを聞いた。
帝国がミュシュの追放の経緯を知っていると伝えても、でっち上げだと言い、嘘を伝えたとしてミュシュを非難する言葉で返ってきたこと。
毒殺されかけたにも関わらず、きちんとした調査や対応をしなかった王宮にトラウマを抱えているミュシュを返せないと訴えても、これからは王妃となり手厚く保護されるのだから問題ないだろうと当然のように言ってきたこと。
「こちらの意図が何一つ伝わらず、返ってくるのは責任転嫁と開き直りばかりでな……。空いた口が塞がらなかったぞ」
と、皇帝陛下もこめかみを揉みほぐしていたほどだ。
両国で折り合いが付くことはないと判断した皇帝陛下は、戦争になることも視野に入れて動く必要があると仰った。
民は悪くない。それどころか、今回の王国の判断で、国は間違いなく疲弊していくだろう。民が傷付くと分かっていても、ミュシュは王国に帰りたいと思えなかった。
「王国の罪を暴いて……王国の王侯貴族を裁いてでも国を正した方が、きっとあの国の人達のためになるわよね」
そんな思いを、ラダにもぽつりと漏らしてしまったほどに、祖国がどうしようもない国だったと痛感してしまったから。
途中の街で宿泊する時も、スティとミュシュの警護は万全の体制で行われた。
レヴィンや領主に無礼だと言われても、毒味や部屋の点検も徹底的に行っていた。
「以前、彼女の身に何があったのか、もうお忘れになったのかな?元婚約者殿」
と皮肉を言って笑ったスティの顔は、春が再び冬に舞い戻ったかのように冷たく氷のようだった。
そうしてガタゴトと揺られ続け――遂に。
(またここに来ることになるなんて……)
窓の外に広がるのは、何年も過ごしたはずなのに、思い返せば悲しい記憶ばかりが積もった場所。
二度と足を踏み入れることなどないと思っていた王宮が、冷ややかにミュシュを見下ろしていた。




