34,真っ白な街で甘いひとときを
馬車の窓から見える景色は、以前ミュシュがこの国に訪れた時と少し変わっていた。春はすぐそこだというのに、まだ冷え込みが厳しいせいか、街を彩る楽師の姿はまばらだった。
しかし、その代わりのように、飲食店のガラスの向こうでは、楽しそうに演奏している楽師と、それに耳を傾けながら食事をする客が見える。
「ミュシュは帝国に来てすぐ私が離宮に招いたから、こうして街を歩くことはなかったよね?」
「そうね」
「帝国には魅力的な店や場所が沢山あるからね。私に案内させてほしいな」
暫くして馬車が停車すると、ミュシュが降りてすぐスティはミュシュの手を握った。エスコートとは違った指を絡める繋ぎ方に、ミュシュは頬を染める。
「ほら、行こう!」
冬の澄んだ空気の街を、少年のような声を上げたスティがミュシュの手を引いて歩き出した。ラダは少し離れて付いてくるようだ。
ミュシュはキョロキョロと視線を彷徨わせた。
あの時は心がいっぱいいっぱいで、見慣れない景色に目を奪われながらも、じっくりと楽しむ余裕なんてなかった。それどころか、明るく穏やかな光景を受け入れられず、逃げるように立ち去ってしまったほど。
(帝国の街並みは、こんなにも美しいのね。壁や屋根は統一されているけれど、ドアの色や窓の形がそれぞれ違う。それに、あの壁の窪み……まるで真っ白な楽譜に、店ごとの音符が並んでいるみたい)
どの建物にも設けられた小さな窪みには、その店を語るパネルや小物、彩り豊かな花々がちょこんと飾られている。それらが可愛らしくお洒落で、ついつい視線を向けてしまう。
「どうしたの?」
「あの壁に色々と飾られているのが珍しくて。王国にはなかったから」
ミュシュはそう言いながら、とある店の飾りを指さした。
そこはどうやらパン屋らしく、窪みに嵌るよう作られたかごバッグに、沢山の種類のパンが盛られていた。きっと作り物なのだろうが、とても可愛らしい。
「そうなの?帝国では、夏の暑さ対策と景観の美しさのために白い壁にしていてね。それは学んだ?」
「えぇ。素材に石灰が使われているのよね?」
「そうそう。でもそれだと簡素になり過ぎてしまうから、それぞれの店があぁして少し彩りを足しているんだよ。屋根と壁以外は、各々の店主や家の持ち主がこだわっていてね」
スティが飾られたパンへと近付いていく。ミュシュも一緒にそれを眺めると、まるで本物のような置物から今にも美味しそうな香りが漂ってきそうに感じた。
「このパン屋は美味しいと有名だった気がするな。せっかくだから、何か買おうか」
「えっ、でも……」
「ミュシュがこうして見なければ、そのまま通り過ぎていたかもしれないんだ。せっかくの縁だし、それに……」
そう言葉を区切ったスティは、店内へと視線をチラリと向ける。
「店番の人が、買ってくれるのかって期待を込めた目で見てるよ。朝食時でもないし、昼食にしては早すぎるから、今の時間帯に客が来るのは嬉しいんだろうね」
ミュシュがハッとそちらへと顔を向けると、恰幅のいい男が満面の笑みを浮かべていた。その熱烈な歓迎に、ミュシュは思わず笑みを零した。
「まぁ!ふふふっ!それは是非買ってあげなくてはいけないわね」
「全く……あんな顔で見られたらね。行こう」
スティがミュシュの手を引きながら扉を開ける。チリン……と可愛らしいドアベルの音が鳴ると同時に、「いらっしゃい!」と店番の男が嬉しそうに出迎えてくれた。
スティが「昼食の前に小腹が空いてね」と言ってくれたため、店番の男は昼食の時にお腹がもたれないようにと、小ぶりの可愛らしいパンを勧めてくれた。それを三人分買って退店する。
「少し歩いたところに噴水のある広場があってね。ベンチがあるから、そこで食べようか」
「えぇ」
スティが言う通り、ものの二~三分ほどの距離に広場があった。真っ白な景色に吹き上がる水飛沫がとても神秘的で、思わず見入ってしまう。
「とても綺麗ね」
「ふふっ、その反応は新鮮で嬉しいな。私達にとっては当たり前すぎて、この景色が綺麗だなんて思わないほど日常過ぎるから」
ポケットからハンカチを取り出したスティは、それをベンチの上に広げてくれた。紳士的なその姿に、平民のふりをしているはずなのにとミュシュは微笑む。
「そうなの?とても神秘的で美しいと思うのだけれど」
「私達からすると、王国なんかは色とりどりの建物が多いでしょう?あちらの方が見ていて楽しいと思うのだけれど」
「あれは……自分の家こそ素晴らしいと主張したい人達の見栄よ?」
「えっ?そうなの?」
これまでスティとの会話は、主に歌や楽器といった音楽にまつわる話が多かった。こうした両国のありふれた話をするのは新鮮だ。
スティから「帝国の建物は綺麗だと思う?」と聞かれて素直にミュシュは頷いた。するとスティは、次にミュシュをとある場所へと案内してくれた。
「ここは……!」
「帝国で最も大きな大聖堂だよ。ディロス・エリオンが民のためにと、神に祈りを捧げる場所として小さな聖堂を建てたのが始まり。それを敬った子孫達が少しずつ拡張や増築して、この大きさになったと言われているね」
街の建物と同じ材質で作られた、見事なまでに真っ白で美しい大聖堂。壁の隙間ごとに嵌め込まれた色ガラスが、陽光を受けてキラキラと煌めいている。
中まで真っ白な壁と、敷き詰められた大理石の床。木の長椅子が並べられたそこには、祈りを捧げている者達がちらほらと腰かけている。
「私達も祈ろうか」
「是非」
ミュシュはスティと並んで椅子に座った。胸の前で手を組み、静かに瞼を閉じる。
『男神オリュロン。女神エディオラの聖杯は、帝国の影達が取り戻してくれました。王国には罪を認めさせ、二人の無念を白日の元に晒すと誓います。その後は必ず、古書や王国の文献を読み解き、再び祭壇に二つの神具を祀ります。我が祖国が……本当に申し訳ございませんでした』
いつの間にか体に力が入っていたミュシュ。手には爪が食い込み、目尻には涙が滲んでいた。心配そうにスティが肩を揺する。
「ミュシュ?どうしたの?」
「……いいえ。男神オリュロンに謝罪をしていたの」
「……君が謝ることじゃないのに」
眉を下げて悲しげに笑うスティに、「大丈夫よ」と微笑んで、大聖堂を出ようと立ち上がった。
すると、正面のステンドグラスから眩い光が差し込み、二人を掬い上げるように照らした。まだ肌寒いはずの空気が、春先の陽だまりのような温もりを帯び、ふわりと二人を包み込む。
周囲で祈っていた数人が「おぉ……」「なんと美しい」と目を見開いている。
「ミュシュの想いが届いたんじゃないかな。それか、あまりにも思い詰めた顔をしてたから、励ましてくれているのかも」
「そう……なのかしら」
もしそうなら、どれほど嬉しいことだろう。光に向かって顔を綻ばせるミュシュを見て、スティも笑顔を浮かべたあと、何故かツンと口を尖らせた。
「あーあ。私が励ましたかったのに」
「えっ!?いえ、その……」
「相手が神様でも……ちょっと妬いちゃうなぁ」
「えっ?えっ?」
じわじわとミュシュの頬が赤らんでいく。戸惑う姿があまりにも可愛らしく、もう少し意地悪を言おうかと目を細めたところで、スティは背中から突き刺さる殺気に気付いた。
「……じゃあ、美味しいご飯をご馳走するから、私にも励まさせてくれる?」
「えっ?えぇっ?」
「何が食べたい?色々お店があるから、見て回ろうか」
再びしっかりと手を握り、スティはミュシュを青空の下へと連れ出した。目を回すミュシュは少しだけ後ろを振り返り、お礼を思う。
『私、この国に来られて……スティと出会えて幸せです。男神オリュロン、女神エディオラ。もし私をここに導いてくださったのだとしたら、心から感謝申し上げます。本当にありがとう』
そのまま二人が遠ざかっていく間も、大聖堂の光は、まるで彼らの背をそっと送り出すように、出入口を静かに照らし続けていた。
ミュシュはそれからもスティに連れられて、昼食をとり、楽器屋を巡り、市場を歩いた。
家のある歌姫達とは違い、ミュシュには帰れる場所がなかった。そのせいか、誰よりも王宮の外を知らなかった。お勤めで出る以外はいつも自室で過ごしていたため、王都は馬車で通る時くらいしか見たことがない。
そんなミュシュは何でも興味を抱き、「あれは何?」「これは?」と、まるで小さな子供のように無邪気に街を見ていた。
そろそろ日が傾きはじめた頃、スティに連れられたのはお菓子を扱うお店。店内には色とりどりのお菓子が並んでいた。
「ラダ」
「かしこまりました」
スティの一言で何かを察したらしいラダは、すぐにカウンターへと向かっていく。
「この店は私も凄く好きでね。母上や義姉上も好きだったはずだから、いつもお土産を用意して帰るんだ。売り切れたら困るものは予約させていてね。そういえば、確か離宮でミュシュに持っていった最初のお菓子も、ここのお菓子だったはずだよ」
「そうなの!」
あの時のお菓子のお店だと聞いて、ミュシュはパッと顔を明るくした。
「何か欲しいものはある?」
「えぇと……どれも美味しそうだから……」
「それなら、これとかどうかな?色々な詰め合わせで、楽しめると思うんだけれど」
スティが勧めたのは、様々なお菓子の詰まったボックスだった。一つの種類に対して、四つずつ詰められているようだ。
「こ、これにするわ!私のお金は確か……」
「私が預かっているよ。ミュシュは特別帝宮楽師として、私の補佐をしていることになっているからね。きちんとそれに見合う報酬や手当は記録させているから」
「スティ、私が買ってきてもいい?」
「勿論いいよ」
許可をもらったミュシュは、お菓子のボックスを大切そうに両手で抱き締めて、カウンターへと向かっていく。あまりの可愛さに頬が緩むスティは、その後をゆっくりと追った。
自分の手で代金を払い、袋に入れられたボックスをそっと提げたミュシュは、小さな冒険をやり遂げた子供のように、胸いっぱいの満足を滲ませていた。あまりにも意地らしくて、
「そんなに嬉しいの?」
と問いかけると、ミュシュは一度袋を見たあと、満面の笑みで顔を上げた。
「えぇ!私の買ったお菓子で、スティとラダ、ユンの四人でお茶をするの!これなら四つずつ入っていたから、みんなで一つずつ分けて食べられるわ。みんなに……お礼がしたかったの」
そのあまりにも健気な姿勢に、スティは堪えきれず肩を抱き寄せ、そっと頭を擦り寄せた。
「スティ!?」
「ありがとう。凄く嬉しいよ。そのお茶会が楽しみだなぁ。ラダもユンも、とても喜ぶと思うよ」
「ふふっ。そうだと私も嬉しいわ」
店を出ていく二人の周りには、買ったお菓子にも負けない甘い雰囲気が漂っていた。しかし、こればかりはラダも歓喜が勝ちすぎて、胸を押さえて静かに悶えていた。
そして、警護として控えていた影達の中で、唯一名を上げられたユンはというと……全員から羨ましげな目でじぃっと見られ、針のむしろとなっていたのだが。
「あぁっ、ミュシュ様ぁ!なんてお優しいんでしょう!私みたいな影にまでそのような……っ!」
周囲の目など物ともせず喜んでいた。その場に居合わせた影達は脱力し、「ユンはどんな状況でもユンだな……」と生温かい目で見守るしかなかった。




