33,ひたむきな者と案じる者達の攻防
話が一段落したあと、ミュシュはただぼんやりと窓の外を眺めていた。
その横顔を見て、スティは小さく息を吐き、ラダとユンに「扉を開けていていいから、少しだけ席を外して」と囁く。
『殿下、決して如何わしいことは……』
『しないよ!この状況で出来るわけないでしょ!ほら、早く出て!』
口パクで繰り広げられる押し問答も、今のミュシュの耳には届かない。心ここに在らずといった言葉の通り、ミュシュの意識はまだ、ラダの語った過去の中を彷徨っていた。
語られた凄惨な歴史や、引き離された夫婦神の怒りや悲しみ。それらが、王国を築いた先祖による裏切りだったという事実。
更に言えば五百年もの間、その罪を知りながら国を継いできた歴代の王族……筆頭歌姫となった王妃達は間違いなく過去の出来事を聞かされたはず。
彼女達はみな、何も変えようとしなかったのだろうか。それがミュシュには信じられなくて、ジクジクと胸が痛んだ。
「大丈夫?」
そっと落とされた声に、ミュシュはようやく瞬きをした。
「……私は平気よ。それよりも、男神オリュロンと女神エディオラ、それに帝国に流れ着いたかつての方々に申し訳がなくて……」
「それはミュシュのせいじゃないでしょう?君は継承の儀を受けただけで、王妃から何も聞かされていなかったんだから」
「でも……っ」
思わず掴んだスティの胸元に、指先がぎゅっと食い込む。何も出来なかったことを悔やみ、気持ちの置き場を失っていた。そんなミュシュを、スティは優しく抱き締める。
「前にも言ったけれど、私はミュシュが何も聞かされていなくてよかったと思っているよ。君は優しいから、そんなことを聞けば、一人で何とかしなければと画策しただろうね。でも、一人で立ち向かえると思う?」
「……いいえ。そんなこと、無謀だわ」
素直に認め、唇を噛み締めたミュシュの頭をポンポンと撫でる。
「でも今なら、君は一人じゃない。私達が真実を暴いて、この大陸を本来在るべき姿に戻すことだって出来る。神具を揃えて、祀ることだってね。それはミュシュが帝国に来てくれたからだよ。君が来なければ、この国も大陸も、何も変わらないままだったんだから」
「あ……」
「ミュシュにとっては辛い過去だろうけれど、女神エディオラは傷付いた君を必ず見てくれていたはずだよ。きっと、神々が私達を引き合わせてくれたのだと……私はそう思う」
それはまるで、物語から抜け出した運命の一節のような言葉で。ミュシュはそっと瞳を潤ませる。
(声や歌を失った時、この世界から見放されたような気持ちになっていたけれど――女神エディオラは、私のことを導いてくれたのね)
スティは静かに瞼を伏せ、ミュシュの肩を抱く腕に力を込めた。
「――だからこそ、私達の手で終わらせよう。元より私は、ミュシュをこれほど傷付けた者達を許すつもりはないよ。神々の裁きだけに任せて、手をこまねいている気もないからね」
「……ふふっ、スティったら」
ミュシュを元気付けるよう、茶目っ気な口調で告げるスティ。その狙い通りに、張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩んだ。
「王国に向かうまで半月もないけれど……その間にあの国がどこまで悲惨なものになるのか、ちゃんと見届けないとね」
「民が無事だといいのだけれど……」
「夫婦神は慈悲深い。きっと、罪のない者達が飢えるような罰は与えないはずだよ。だから私達は、念入りに準備を進めよう」
「えぇ、分かったわ」
スティの言葉に確証はない。今この瞬間にも、女神の怒りで民が苦しんでいるかもしれない。歌姫達さえ王都から逃げ出しているのだから、既に何かしらの影響は出ているはずだ。
それでも――逸る気持ちを抑え、ミュシュは来る日のために自分に出来ることをしようと心に誓った。
その日からミュシュは自身を追い込むように、教養の勉強や歌の練習に打ち込んだ。
ラダが「少し休憩されませんか?」と声をかけても、ユンが「そろそろお休みにならないと、明日がお辛くなりますよぉ」と心配しても……「もう少しだけだから」とミュシュは笑って濁していた。
いくら加護のある者は滅多に体調を崩さないと分かっていても、精神的に参ってしまわないか。
毎日机にかじり付き、ペンを握る指先を真っ赤にしている。祈るように紡がれる歌にも、急いた気持ちが滲んでいた。そんなミュシュの鬼気迫る様子に、見ている方の胸が締め付けられていた。
――このままでは、王国に向かうより先にミュシュが潰れてしまう。
そう感じていたスティは、珍しく力ずくで止めることを決めた。ラダやユンも、即座に協力を申し出る。
スティが部屋を訪ねると、ミュシュは西側の国々について勉強をしていたようだ。扉を開けたラダが、スティに向かって首を横に振る。どうやら今日も休憩せず勉強に没頭しているらしい。
スティは静かにミュシュへと歩み寄る。スティが来ても一向にペンを離さないミュシュの手を、優しく掴む。
「す、スティ……?どうしたの?何か……」
「ミュシュ、勉強中ごめんね。今日時間があるってラダから聞いているんだけど、間違いない?」
「え?えぇ……。今日もここで勉強しているつもりだけれど?」
「そう、よかった。それなら、ちょっとこれを着てくれる?」
にこりと笑みを向けられ、ミュシュは目を瞬かせる。
スティの後ろに控えるラダが、街娘が着ていそうな黄色のワンピースとシンプルなコートを恭しく掲げていた。
「え、えぇと……?これを着ればいいの?」
「うん。少し用事があってね。頼めるかな?」
スティの用事と聞き、ミュシュの中の優先順位は一気に塗り替えられた。
「えぇ、勿論よ」
「よろしくね。ラダ、頼んだよ」
「お任せください」
「ユンは私の手伝いをしてくれるかな?」
「承知しました!」
スティは長居せず、ユンを連れて退室した。廊下に出るなり、さっそく具体的な指示を出す。
「彼らに声をかけておいて。時間は……夕方くらいに行くと伝えてくれる?」
「承りました。付き人はラダだけ……ですか?」
「ユン、ここは譲ってあげて。任務を頑張ってきたのに、ご褒美がなければ可哀想だよ」
「くっ……!」
ユンはぎゅっと眉間に皺を寄せて、悔しそうに唇を尖らせた。しかし自分がラダの立場だったならと想像したのか、肩を落として「分かりましたぁ……」と残念そうに呟く。
「……忘れてもらったら困るから念押しするけれど、第一はミュシュの気分転換なんだからね?警護のために気配を消して付いてくるのは構わないけれど、きちんと帝宮を見張る者も残しておいてよ?」
「ご安心ください!既に配置は決まっておりますので!」
「……ちなみに、その配置はどうやって決めたのか聞いていい?」
「あみだくじです!!」
フンッ!と鼻息荒く目を輝かせるユンは、どう見てもハズレを引いた側ではない。間違いなくミュシュの周辺警護の座を勝ち取ったのだろう。
それにしても帝国屈指の精鋭達が、一人の令嬢の護衛枠を巡って、あみだくじで一喜一憂している姿を思い浮かべると……スティは頭を抱えたくなった。
「そう……。ジャンケンの次は、あみだくじか……」
虚ろな目で漏らした乾いた笑いは、廊下に虚しく響いた。
やがて支度を整えたミュシュは、お仕着せのエプロンを外したラダに付き添われて帝宮の扉をくぐった。そこには、装飾の少ない質素な馬車が待機していた。
「来たね」
「……あっ、スティ?その髪色……懐かしいわ」
そこには初めて出会った頃に見た、薄茶色のウィッグを被ったスティが待っていた。ミュシュと同じように、街に溶け込むような服をまとっている。
「そうでしょ?ミュシュはそんな格好も可愛いね」
「そ、そんなこと……」
いつもの調子でさらりと褒められ、ミュシュは恥ずかしそうに視線を逸らす。その反応を楽しむように、スティは柔らかく微笑んだ。
「ふふっ。それじゃあ今日は、私の用事に付き合ってもらうね」
「分かったわ。それで、どこに行くの?」
ミュシュは首を傾げながらも、スティに手を取られ馬車へと乗り込んだ。
外見こそ地味だが、中は対照的に豪華な造りで、ふかふかなクッションが敷き詰められていた。これはお忍び用の馬車らしい。
「んーー。どこに行こうね?」
「えっ?」
同じく乗り込んできたスティは、目的地が決まっていないかのような口ぶりをする。ミュシュはきょとんと目を丸くしながら瞬いた。
ガチャリと馬車の扉が閉まる。閉ざされた小さな空間でミュシュが戸惑っていると、スティは指先でくるくるとミュシュの黒髪で弄んだ。
「今日は、私とのデートに付き合ってほしいな。……ねぇ、たまには私のことも構ってほしいんだけど、ミュシュ」
「………………でっ!?えっ!?」
「そう、デート」
熱を帯びた金色の瞳が、真正面からミュシュを射抜いた。ミュシュの顔はみるみる紅潮していく。
密室にならないよう開かれていた小窓から聞こえてきた声に、御者台に腰かけていたラダは剣呑な表情で手近にあった暗器に手を伸ばした。
「……やり過ぎと感じた時は、注意しても宜しいでしょうか」
「いや、あの……揺れると危ないんで。そんな物騒な物は片付けてください……」
隣から放たれる冷気に当てられた御者は、身震いをさせながらそれを告げるのが精一杯だった。




