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3,音に溢れた街での出会いと非難


 ミュシュはフードを外し、初めて見る街の光景に目を奪われた。


 王国とはまるで違う、音と活気に満ちた白い街。どの建物も白壁とレンガ色の屋根で統一され、青空とのコントラストが目映く美しい。


 通りのあちこちで、楽器を奏でる人々の姿がある。弦を弾く男、笛を吹く少女、手拍子で盛り上げる観客達。そのどれもが自由だった。


 この国、ディーロス帝国は、“歌の加護”ではなく“音の加護”を授かるとされ、特別な力を持つ楽師が生まれるという。


 ここに居る彼ら全員が、加護を授かっているわけではないのだろう。けれど、誰もが陽気に、当たり前のように音楽を奏でている。加護の有無や性別は関係なく、純粋に演奏を楽しんでいる。そんなふうに見えた。


(王国では、歌姫以外が歌うなんて許されなかったのに)


 ミュシュだけ場違いな気がして、きゅっと唇を引き結ぶ。この明るさが、今はあまりに眩しくて苦しい。


 ミュシュは逃げるようにその場を通り過ぎる。しかし、どこへ行っても音で溢れていて。賑やかで、温かくて……けれど、どうしても遠く感じてしまう。ミュシュは胸が詰まる思いで足を速めた。


 そのとき、ふと静かな旋律が耳に届いた。そこだけは観客も誰ひとり声を上げず、ただその音色に聴き入っていた。


 ミュシュと同じように、深くフードを被った楽師。素人目にも、かなりの腕利きだと伝わってきた。


 何かを探しているのに、見付からない。季節の終わりのような寂しさと、新しい始まりに期待を抱いている。その音色は、まるでミュシュの傷をそっと撫でてくれているようだった。


(こんな気持ち、久しぶり……)


 胸の奥から、固く押し込めていた何かが溶け出していく。その溢れる思いと共に、ミュシュは気付かぬうちに息を吸い込んでいた。


 あんなにも傷んでいたはずの喉を、難なく空気が通っていく。目を瞑って、まだ見ぬ実りに焦がれるような秋愁に身を任せていると、ふいに心地よい演奏が止んでしまった。


 どうして?と目を開くと、演奏していた楽師も観客も、全員が目を丸くしてミュシュを見つめていた。ハッとして、口を押さえる。


(まさか私、歌って……!?)


 そこへ、楽師が慌てて駆け寄ってくる。ふわりと浮き上がったフードから覗いたのは、金色の瞳が印象的な美しい青年だった。


「ねぇ、君……!」

「……っ!」

「あっ!ちょっと待って!!」


 ミュシュは体を翻して駆け出した。


(なんて迷惑なことをしてしまったの!?こんな醜い声で、あの美しい音色の邪魔をしてしまうなんてっ)


 まだ歌を忘れられず行き場のない心ように、ミュシュは行くあてもなく走り続けた。



 その後、ミュシュは当初の予定通り、採譜の仕事を探し始めた。こんなにも多くの演奏者が居るからか、音楽に関わる店は多く、譜面を書く職人も珍しくない。


 これなら私でも雇ってもらえるかもしれない――そんな淡い期待を抱いたミュシュ。


 しかし、現実は甘くなかった。


「身分証がない?それじゃ無理だな」

「悪いけど、他を当たってくれ」

「本当に採譜が出来るなら、雇いたいのは山々なんだけど……。悪いね」


 ミュシュは立て続けに断られた。親切な店員が教えてくれたところによると、店が多いということは同時にライバル店も多いということらしい。


 そうすると、楽譜を持って逃げる人間が少なからず居るらしい。だからこそ、身分証を提示出来ないミュシュではどこに行っても断られるだろうと言われてしまったのだ。


(もらった路銀も、あと少し。今日はもう安宿を探そう。明日お店を回っても駄目だったら、採譜の仕事は諦めた方がいいのかもしれないわ……)


 打ちひしがれながら、質素な宿の一室を借りる。壁の薄い部屋で、隣から管楽器のような音が聞こえてきた。ミュシュはベッドの上で目を閉じる。


(……やっぱり、昼間のあの旋律が一番素敵だった)


 あの音だけは、痛みを少しだけ忘れさせてくれた。ミュシュは美しいメロディーを思い出しながら、静かに眠りについた。




 次の日、気を取り直して再び街を歩くも、身分証がないと伝えた時点でやはり断られてしまった。ミュシュは肩を落とし、俯いたまま帝都を歩く。


 と、その時。通りの先で、バシャッと水が跳ねた。


「お前みたいな奴が、調子に乗ってんなよ!」

「身の程知らずめ!」


 ――身の程知らず。


 その言葉に、心臓を掴まれたような痛みを覚える。耳に焼き付いて離れないかつての言葉が、傷だらけの心に再び深く突き刺さる。


 視線向けると、そこには水浸しになった少年と、空になったバケツを抱えて、ケラケラと笑いながら逃げていく少年達の背中が見えた。


 その姿は、まるで過去の自分のようで。ミュシュは急いで少年の元へと駆け寄り、濡れた顔をハンカチで顔を拭う。


 ただ水を被っただけにしては少年の顔色が悪く、ミュシュは首を傾げる。こんな声のせいで、「大丈夫?」と声をかけることすらままならない。


 視線を下げると、少年の手には紙束が握られていた。五線譜の引かれた譜面はぐしゃぐしゃに濡れ、ところどころインクが滲んでしまっている。


「おし……お師様の、楽譜が……っ。どうしよう……どうしよう……っ」


 その瞳からポロポロと大粒の涙が零れていく。ミュシュは背中を摩りながら目元を拭う。けれど、その涙は止まる気配がなかった。


 どうしようと途方に暮れていると、背後から鋭い声が響いた。


「おい、何をしている!」


 振り返ると、通りかかった兵士らしき服装の青年が、まっすぐこちらに近寄ってきた。説明するためにペンと紙を取り出そうとして、腕を掴まれる。


「!?」

「身分証も提示出来ないローブを着た怪しい女が、採譜の仕事を探し回っていると聞いていたが……お前のことだな?」


 確かに、ミュシュは採譜をしたいと店を巡っていた。けれど、まさか怪しまれていたなんて。


 怪しい者ではないと否定したいのに、声が出ない。それに、身分証もなければ、雇ってほしいとあちこちを回っていたのは事実で。


「まさか、そこの少年の楽譜を狙ったのか!?悪いが、話を聞かせてもらおう」


 青年に腕を引かれ、ミュシュはくしゃりと顔を歪める。


(逃げても、やっぱり同じ。どこへ行っても、私は……)


 心が、鉛のように沈んでいく。再び訪れた不運に、腕だけでなく胸も軋むように痛んだ。



 

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