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29, 甘やかな熱が解けた後は


「……ん」


 ミュシュが重い瞼を持ち上げると、すぐ側にユンの顔があった。覗き込む瞳が、心配そうに揺れている。

 

「お加減はいかがですか?」

「随分楽になったと思うのだけれど……」

 

 起き上がろうとすると、すぐに背中を支えてくれる。


「それでもまだお顔が赤いですねぇ……。お水をお飲みになりますか?」

「えぇ、お願い」


 差し出された水を飲むと、少しだけ体に溜まった熱が和らいで楽になった気がする。


 ――けれど、側にスティの姿はない。


(……きちんと仕事に向かったのね。よかった)


 そう思うのに、寂しさを感じてしまう。我儘だと分かっていても、いつぶりかも分からない熱に、弱気になってしまっている。


「今、何時なの?」

「そろそろ夕方でしょうか」

「……もう、そんな時間なの?」


 スティが来てくれたのは午前中だったのに。それから随分眠ってしまっていたらしい。


「お食事は取れそうですか?」

「……あまり食欲は……。でも、食べないと治らないわよね」

「そうですねぇ。パン粥やフルーツを持って来させましょうか。食べられるものだけで十分ですからね!」


 ユンの気遣いに頷く。どうやら外に居るメイドに伝えてくれているらしい。ミュシュはクッションに凭れながら、再び瞼を落とした。




「……ミュシュ。ミュシュ、起きて」


 耳元で囁く、低く甘い声。

 

「んぅ……?」

「ふふっ。そんな無防備な顔をしていると、悪戯したくなるなぁ」

「…………っ!?」


 ぱちり、と目を開けた瞬間、金の瞳が至近距離で煌めいた。ミュシュは反射的にクッションへと仰け反る。熱のせいか、頭がふわふわする。


「殿下、駄目ですよぅ!ミュシュ様はまだ熱があるんですから!熱が上がるようなこと、なさらないでくださいっ!」

「はははっ、ごめんごめん。ついね」


 スティは笑いながら、近くの椅子へと腰かける。


「熱は?体調はどうかな?」

「朝よりは、随分楽になったのよ。あまり食欲はないのだけれど……」

「そっか。パン粥とフルーツが届いてるけど、食べられそう?」


 スティが後方へと視線を向けた先に、小さなカートがあった。出来たてらしい湯気の立つパン粥と、カットされたフルーツが乗っている。


「熱いものは、食べられないかも……。フルーツなら食べられそう……かな?」

「よし、じゃあ……ミュシュ、あーん」


 スティは串に刺したキウイを取って、ミュシュへと差し出した。ユンが「殿下……」と眉を(ひそ)めると同時に、先にぱくんとミュシュがキウイを頬張った。

 

「「えっ」」

「……美味しい」


 へにゃりと嬉しそうに笑うミュシュに、スティとユンは目を見開いて固まる。


「も、もっと食べる……?」

「えぇ。イチゴが、食べたいわ」

「い、イチゴだね!?これでい」


 ぱくん。


「「…………」」

「……うん。甘酸っぱくて、美味しい……」


 スティが聞き終わるよりも早く、ミュシュはイチゴに食らいついた。幸せそうに咀嚼して、頬を緩める。


 そのあまりにも素直な様子に、スティとユンは顔を見合せてゴクリと喉を鳴らした。


「え、待って。どういうこと?可愛すぎない?」

「ミュシュ様、これは反則です……っ!で、殿下っ!そのお役目を私めにもっ!」

「嫌だよ!ただでさえ今日は苛々して戻ってきたんだから!こんなご褒美、譲れないよっ!」


 突然始まった串の奪い合いに、ミュシュはじぃっと二人を見つめる。仲が良くて羨ましいと感じたミュシュは、スティの服の裾を掴んだ。そして、こてんと首を傾げる。


「喧嘩は、駄目よ?」

「「うっ」」

「それに……私も構ってほしいわ……」

「「えっ!?」」


 熱のせいか潤んだ瞳で見上げられ、スティとユンはガシッと胸を掴む。熱のミュシュとはまた違った意味で、二人の呼吸が荒くなる。

 

「そういえばスティ……苛々、してたの?」

「えっ!?あぁ、えぇと……ちょっとね、トラブルがあって。でも大丈夫!もう解決したようなものだからね。それにミュシュに会ったら元気になったよ」


 満面の笑みで笑うスティの後ろで、「元気どころかデレデレじゃないですか」と呆れるユン。


「そう……。私も、目が覚めた時にスティが居なくて……やっぱり少し寂しかったの。だから今は、凄く幸せよ」

「「…………」」


 きっと熱で蕩けているだけなのだろうが、あまりにも無邪気な笑みに当てられて、二人は陥落する。


「……無理、ミュシュが可愛すぎる」

「殿下、激しく同意ですぅ!私、メイドのお役目を引き継げて、今猛烈に感謝してますっ」

「……?私も、二人が居てくれて感謝しているわ」

「「うぐぅっ」」


 可愛さの大盤振舞いにも程がある。これは何かおかしくないか……?と感じたスティは、ハッとしてミュシュのおでこに手を当てた。


「あっつい!絶対に熱上がってるでしょ!?」

「えっ!?」

「ユン!氷!氷取ってきて!あと、何でもいいから楽器も持ってきて!薬飲ませて寝かせなきゃ!」


 さっきまで幸せ一色だった寝室が阿鼻叫喚と化し、「ふふふー」と笑うミュシュ以外がてんやわんやすることに。


 スティは、ミュシュが満足するまで親鳥のようにフルーツを与え、食べ終えたミュシュに薬を飲ませて布団へと押し込んだ。


 スティともっと喋りたいと駄々をこねるミュシュに心臓を撃ち抜かれながらも、スティとユンは心を鬼にして寝かし付けることに。


 ミュシュが眠るまでの間、スティはゆったりとした旋律を奏で続けた。ようやく眠りに落ちた姿を見て、二人は脱力しながら安堵するのだった。




 翌日。ミュシュが目を覚ますと、体のだるさが消えていた。


(体が軽い。もう熱っぽさもないわ。スティが最後に演奏してくれていたからかしら)


 そう昨日のことを思い返し、記憶を遡ること数分。


「ミュシュ様、おはようございます。お加減はどう……って、ミュシュ様っ!?」

「うぅっ、ううぅ……っ」


 ミュシュは布団に包まり頭を抱えていた。外ではユンが、「寒気ですか!?またお熱が上がりましたか!?」と慌てふためいているが、そうではない。


(わ、私ってば、なんてことを……っ!?どうしてあんな……っ、恥ずかしいっ)


 朧げながら、自分が何をしたのかを思い出したミュシュは、穴があったら入りたいと言わんばかりに布団に丸まっていた。


『それに……私も構ってほしいわ……』

『少し寂しかったの』


「ああぁっ、思い出させないでっ!忘れさせてえええぇぇっ」

「ミュシュ様!?どうされたんですか!?ミュシュ様ぁっ!!」


 自身の発言がフラッシュバックするたびに、ミュシュは羞恥に悶え苦しんだ。その内、扉の外を走る足音がして、


「ミュシュ!?大丈夫!?」


とスティまで駆け込んできた。どうやら誰かから報告を受けたらしい。ミュシュは更に涙目になる。


(お願い!今は……今だけはそっとしておいて……っ!!)


 そんな願いも虚しく、この後皇妃殿下やカトカリナまで見舞いに来て、布団から引きずり出されてしまう。


 確認されても、もう熱はない。それならどうしてあんなことをしていたのか。ミュシュは全て白状させられ、全員から天国に召されそうな微笑みを向けられることに。


「まぁ……可愛らしいことを」

「本当に。それはアポスティル殿下も、心臓が持ちませんわね」


 あまりの恥ずかしさに熱がぶり返しそうだと、ミュシュは熱の時よりも赤くなった顔を覆うのだった。


 


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