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26,用意された試練と拍車のかかる破滅


 ラダが王国へ出立した次の日から、ミュシュは以前にも増して動き始めた。


 まず力を入れたのは、教養と居振舞い。いざという時、怯えて縮こまる自分に戻らないために。


 ミュシュはメイド兼護衛となったユンへ声をかけた。これまで教えてくれていたラダが居ないからだ。


 しかしユンは、自分では力不足だと困ったように首を横に振った。


「私、何でも感覚でやっちゃうので、人に教えるのは不得手なんですよねぇ……。ミュシュ様が本気なら、きちんとした方から学ばれた方がいいと思いますよ!」


 ちゃんと理由を添えてくれるあたりが素直なユンらしい。ミュシュの姿勢を汲んでくれたのだ。

 

 その日のうちにスティに頼み、新しく教師をつけてもらった。


 けれど、その教師が「これ以上、必要でしょうか?」と言うほど、姿勢や歩き方、礼の一つを取っても、ミュシュの所作は美しかった。

 

 それでもミュシュは、日課のようにその練習を続けたいと教師に訴える。


「お願いします。私の中に、臆病で弱い自分が居るのは確かなんです。緊張した時、恐怖に怯えた時、いかなる時でも今の私が保てるように……繰り返したいんです」


 ミュシュの熱意に胸を打たれた教師は、スティへ相談した。その話はあっという間に皇族の耳にも入り、ミュシュのサポートが出来ればと食事会が開かれることになった。


「皇帝陛下と皇妃殿下から合格点が取れたら、もう問題ないでしょ?」

「えぇと……」


 スティはそう微笑んだ。


 確かに緊張はする。けれど、困ったことにみんなミュシュに肯定的なため、ミュシュの考える壁とは違う気がしてならない。


 するとスティは、いつもより真面目な顔で言った。


「ミュシュ、大丈夫。分かっているよ。ミュシュの要望通りの場所を用意したつもりだから。ただし、全く楽しくない食事会になるけど……いいね?」

「え?えぇ……」


 ミュシュは疑問を浮かべながら頷いた。確かにミュシュの想定する相手であれば、食事会なんて開かれても楽しいものではないだろう。


(けれど、お相手は皇帝陛下や皇妃殿下なのよね……?)


 そんな疑問を抱きながら、案内された会場へと足を踏み入れ……ミュシュはヒュッと息を飲むことになる。

 


 笑っているのに、笑っていない。不手際を起こさないかと、ミュシュの一挙一動に向けられた鋭い視線。まとわりつくような、嫌悪と侮蔑。


 そこには、威厳と敵意を込めた姿勢で腰かける、国の頂点に君臨する二人が待っていた。


「この度はお招きいただき、ありがとうございます」


 スティがいつも通り、優雅に礼をする。遅れまいと、ミュシュも倣って膝を折った。


「まぁまぁ、アポスティル皇子。丁寧にありがとうございますわ。――さぁ、おかけになって」


 皇妃殿下は、スティだけの名前を呼んだ。そこに居るミュシュの存在だけが、綺麗に抜け落ちたように。ミュシュの体がビクリと跳ね、小さく震える。


「ありがとうございます」


 スティが自然にミュシュをエスコートし、決められた席に導く。ドクドクと心臓の脈打つ音が耳まで聞こえてくるような、呼吸を忘れそうになるほどの緊張感。


(所作は?表情は?教えてもらった通りに出来ている?)


 グルグルとそんな考えが頭を駆け巡る。焦りのせいか、妙に喉が乾いていく。


 そうして引かれた椅子に腰かけた時、スティに肩をポンと叩かれた。隣に視線を向けると、同じように視線だけをこちらに向けてスティが席に座るところだった。


(スティが、心配してくれている……)


 ミュシュは一人静かに呼吸を整えて、顔を上げた。敵意を向けられても、無視や嘲笑をされても、堂々としていなければ。


 そうしてミュシュがまっすぐ二人を見つめると、二人の表情は挑戦的なものに切り替わった。


 そこからは、王国出身であるミュシュに嫌悪感を表し、元男爵令嬢であることを蔑み、スティにはもっといい相手がいるだろうと軽んじられた。


 その一つ一つが、刃のようにミュシュの胸に突き刺さっていく。


 帝国からすれば、酷い態度を取り続けてきた王国出身者というだけで嫌悪されてもおかしくはない。


 第二皇子であるスティの隣に元男爵令嬢が居るということも、他にもっといい相手がいるだろうと思われてしまうことも……決して間違ってはいない。


 一番堪えたのは、皇妃殿下の「皇子の相手が元男爵令嬢だなんて……」と言われた時だろう。その後に続く言葉が聞こえた気がした。――身の程知らず、と。ミュシュはカトラリーを持つ手が震えないよう必死だった。


 けれど、その度にスティが会話の流れを変え、ミュシュが答えやすい話題を振り、自然に輪へ戻してくれた。ミュシュは必死に、それに応えた。



 食事が終わり、スティが席を立つ。ゆっくりと息を吸い、ミュシュも立ち上がる。


 礼をして立ち去ろうとしたところで皇妃殿下が立ち上がり、ミュシュをぎゅっと抱き締めた。その後ろから皇帝陛下も近付いてくる。


「演技しなければと分かっていても、あんな酷い言葉を浴びせなければならないなんて……っ!決して本心ではないのよ。ごめんなさいね」

「私も、義娘になる君に嫌われるんじゃないかとヒヤヒヤしたぞ。だが……見事な受け答えだった。食事の所作も落ち着いた返しも、問題ないだろう」


 先程までとは打って変わった二人の声色に、ミュシュは呆然とする。顔を上げてスティを見つめた。眉を下げて「お疲れ様」と呟く。


「それにしても……何なの、この台本は!本当にこんなことを言われてきたの?」

「全くだ。身分が低くとも有能な者は居る。身分が高くとも愚かな者もな。この間のように」


 皇妃殿下は憤り、皇帝陛下は冷笑を浮かべた。二人の反応がスティと似ていて、やはり親子なのだなとミュシュは少し笑ってしまう。


「母上、お渡しした台本はこれでも控えめにしたつもりですよ。女性ばかりの園がどれほど陰湿か、母上の方がご存知でしょう?」

「それはそうだけれど……許せないわっ!こんな健気で可愛いミュシュを、使用人のようにこき使うだけ使って罵っていたのでしょう?信じられない!」


 ぷんぷんとお怒りの皇妃殿下に、ミュシュはぎゅうぎゅうと抱き締められたまま身動きが取れずにいた。その豊かな膨らみに包まれて、ドギマギしてしまう。


「ミュシュ嬢は、筆頭歌姫に選ばれる実力を持っていたのだろう?そんな相手をよくこき下ろせたものだ……」

「その結果、国の均衡が崩れたって自業自得なのに。それで返せだなんて、看過出来るはずないでしょう?」

「あぁ」「えぇ」


 スティが眉を寄せて問いかけると、二人は先程ミュシュに向けられた以上の敵意を膨れ上がらせた。さっきまでの対応でも相当恐ろしかったのに、手心を加えられていたのだとミュシュはびっくりする。


「こんな悪意ばかり向けられていて、よく耐えていたわね。こんな国に、わたくしの義娘を奪われてなるものですか!」

「影の調査次第にはなるが、相応の報いを与えねば気が済まんな。アポスティル、分かっておるな?」

「勿論です。私が一番腸煮えくり返っていますので、我慢するつもりはありませんよ」


 皇妃殿下の腕の中で、ミュシュはひくりと頬を引き()らせながら目を瞬く。


(えっと……これはもしかして、誰も止める人が居ない……のでは?)


「あ、あの……っ、王国には私の身を案じてくれた友人やその家の者達もおりますので……」

「なに、心配するな。愚かな連中を粛清するだけだ。調査の上で、罰する相手は見極める」

「ミュシュが大切に思う人達や民を傷付けたりしないわ。寧ろ、そういう者達を放っておく方が民は苦しいだけだもの」


 どうやら、善悪問わず蹂躙するような事態にはならないようで、ミュシュはホッと息を吐く。しかし、

 

「いっそ、王族全員締め上げてしまいましょうか」


というスティの言葉に、再びミュシュの顔は凍り付いた。


 皇帝陛下や皇妃殿下は「それはいいな!」「そんな王族なんて、まるごと滅ぼしてしまえばいいのよ!」と揃ってキャッキャと盛り上がり出してしまう。


 この人達は本気でやりかねない――その確信が、背筋をつうっと撫でる。ミュシュは皇妃殿下の胸に包まれたまま、「は、はは……」と乾いた声を漏らすしかない。


(穏便に……と、この間伝えたはずなのだけれど……)


 その願いは、どうやら王族には適応されないらしい。


 ミュシュは試練を乗り越えた。けれど同時に、味方の怒りが王国の破滅へ拍車をかけた――そんな予感が、確かに胸の奥に残った。


 

 

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