2,ひび割れた最後の歌と親切
ミュシュは、王宮の一角にある病室に隔離された。そこは昼でも薄暗く、窓から差し込む光さえ冷たい。
筆頭歌姫が王宮内で毒を盛られた。本来なら王国を揺るがす一大事のはず。けれど、王宮勤めの王国騎士達はいつも言い淀むばかり。
目で、身振り手振りで、ミュシュが必死になって尋ねても、彼らは心苦しそうに「調査中です」としか答えない。
そんな中、王族お抱えの近衛騎士達には、「怪しい人間なんて、誰も居ませんでしたが?」「筆頭歌姫としてのプレッシャーで、自ら飲んだのでは?」と嘲るように言われた。
彼らは――レヴィン直属の騎士だった。
(彼らがあの場の警備をしていたなら、イルジナ様や周りのご令嬢の姿を見ているはず。……そう。彼らも……)
――共犯。ミュシュは理解した。
レヴィンは、毒を盛ったのが誰なのか知っているのだ。その上で誰も真実を口にしない空気が、既に答えを物語っていた。
毒を飲んで以来、ミュシュはほとんど口を開いていない。少しでも空気が触れるだけで、喉はズキズキと痛んでしまう。それに無理に声を出そうとしても、かつての声とは程遠く濁った音しか出ない。
もう二度と歌えない。そう悟った瞬間、悲しみと憎しみで胸が張り裂けそうだった。
けれど一度だけ、声を絞り出した相手がいた。王妃が病室に来てくださった時だ。
(王妃殿下なら助けてくださるかもしれないわ。ご自身が推薦した筆頭歌姫が傷付けられたのだもの)
そんな儚い望みを抱いた。王族の住まう王宮で、こんなことが起きたのだから、と。
しかし、ミュシュの声を耳にした王妃は、まるで耳障りな不協和音でも聞いたかのように顔を顰めた。そして、ミュシュに背を向け、何も言わずに部屋を出ていってしまった。
閉まる扉の音が、やけに大きく響いた。
それから間もなく、ミュシュの筆頭歌姫の剥奪と追放の噂が王宮で広がり始める。ミュシュは、権力と思惑に使い潰され、捨てられるのだと絶望した。
王宮を追放されるという沙汰が正式に下る直前、かつて親しくしてくれていた歌姫達がこっそり見舞いに来てくれた。
子爵令嬢のビェラとリブシェ、男爵令嬢のフレナ。三人がミュシュに駆け寄る。
「どうしてミュシュ様が、こんな目に……」
「こんなの絶対に間違っているわ!貴女は被害者なのに」
「ミュシュが追い出されるって噂を聞いて……。わたくし達、これくらいしか出来なくて……ごめんなさい……っ」
そう言うと、彼女達は小さなポーチを差し出した。服の下に隠せるほどの小さな包みの中には、少しの路銀とハンカチ、それから折られた便箋が入っている。
ミュシュは涙を滲ませながら、ジェスチャーで書くものを求めた。
『私はイルジナ様に毒を盛られました。歌うどころか、もう話すことさえ難しい状態です。貴女方も大切な人達を連れて、早く王都から離れてください。この紙は、すぐに燃やして』
綴られた文字を見た彼女達は、息を呑み、唇を噛みしめた。誰かが嗚咽を漏らし、誰かがミュシュの手を強く握る。その温もりが、嬉しいのに苦しくて。それでも、ミュシュはどうにか微笑もうとした。
『――いつか、また会いましょう』
叶う可能性の低い希望を添えて、ミュシュは力なく彼女達を抱き締めた。
もし、この場をイルジナの一派に見られれば、彼女達まで巻き込んでしまうかもしれない。だからミュシュは、迎えが来る前に病室を後に出る。王太子レヴィンの呼び出しに応じるため、玉座の間へと向かった。
(これからどうすればいいの……?私には、帰る家もないのに)
王宮を追い出されてから、ミュシュは王都の人混みの中をあてもなく彷徨っていた。最初に購入したのは、旅人が纏うフード付きの襤褸のローブ。
もし街角でミュシュを知る人に出会えば、この惨めな姿を見られてしまう。ミュシュは“歌姫”ではなくなってしまった自分を、誰にも見られたくなくなかった。
(……遠くへ行こう。誰も、私を知らないところへ)
歌姫の中でも身分の高い令嬢達は、地方の村々に行くのを嫌がった。そのため、辺境や小さな村への奉仕や儀式はミュシュが向かうことが多かった。
毒を盛られる前も、収穫祭で歌を捧げてきたところだった。おかげで地理は明るい。長旅にも、多少の野宿にも慣れている。
(歌は歌えなくなってしまったけれど、採譜なら出来る。歌姫の居ない帝国なら、もしかしたら……)
ミュシュは紙とペンを買い足し、言葉の代わりに筆を握った。
そして乗合馬車を乗り継ぎ、お尻を痛めながら国境に近い街まで到着した。
声をかける人を慎重に選びながら、ミュシュはディーロス帝国の帝都へ向かう荷馬車がないかと探す。
薄く日に焼けた顔の、いかにも行商人といった男が手綱を握っている。筆談で事情を濁し頼み込むと、その男は渋い顔をしながらも頷いてくれた。
荷台に乗り込み、ゆっくりと遠ざかっていく王都の風景を眺める。ガタゴトと揺れる振動の中で、ふとこれまでの旅を思い出した。
いつもなら、馬車に揺られながら鼻歌を歌っていた。歌とも言えないようなメロディでさえ、木々や風が喜んでくれている気がして、気の向くままに口ずさんでいた。
――それなのに。
じわりと涙が迫り上がってくる。
「ゔ……ぁ゙ぁ゙っ……」
我慢しても漏れる声は、まるで別の生き物の鳴き声のようで。ミュシュは両耳を塞ぎ、必死に声を押し殺して涙を零した。
その夜、街道沿いの草原で夜を明かすことになった。商家の主人が眠りについたのを確認してから、ミュシュは荷馬車から空を見上げて口を開く。
「――。ゔっ……ゲホ、ゲホッ!……っ。――……」
喉の痛みよりも胸の痛みに任せて、故郷への別れを歌う。ひび割れた歌声は煌めく星々に吸い込まれ、その祈りは夜の彼方へと消えていった。
翌日、商家の主人は、憔悴しきったミュシュに何も言わず、帝国の国境を越えてくれた。
身分証を持たないミュシュは、本来なら普通には入国出来ず、関門で入国料を払う必要があったのに。ただ一言、「身分証は?……ないんだな」と確認されただけ。
その上、入国した途端に降ろされることもなく、希望した帝都まで送り届けてくれたのだ。
帝都に着き、荷馬車を降りてミュシュが困惑していると、
「まだ若いのに……訳ありなんだろう?娘くらいの年の子が、何度も苦しそうに泣いている姿なんて見たら、放っておけねぇよ。もしまた何か困ったことがあったら“ユニサス商会のロド”を訪ねてこい。いいな?」
とロドが言い、力強そうな厚手の手でずいと名刺を差し出した。
粗暴に聞こえる言葉遣いだが、向けられた手も言葉もとても温かい。ミュシュは名刺が汚れてしまわないよう、すぐに令嬢達からもらったポーチに仕舞った。
見ず知らずの人から、こんな親切にしてもらえると思わず、ミュシュは泣き出しそうになりながら、謝罪と感謝を綴る。
『お聞き苦しい声を聞かせてしまってごめんなさい。それに入国料まで……。本当にありがとうございます』
「いいって。ここで少しでも笑えるようになったら、それでいいさ」
ポンッと頭に手を乗せられ、瞳を潤ませながらロドに向かって、今の自分に出来る精一杯の微笑みを向けた。その手が離れそうになった瞬間、ミュシュは思わずロドの袖を掴んだ。
「うぉっ……な、なんだ?」
ミュシュは慌てて紙に文字を書き、それを見せる。
『ロドさんは帝国の人ですか?それとも王国の人ですか?』
「帝国の人間だ。王国には仕入れで行っただけだが……それがどうした?」
怪訝そうに眉を寄せるロドに、ミュシュはもう一度ペンを走らせる。
『王国は、これから危なくなると思います。だから、撤退するなら早い方がいいですよ』
ミュシュはそう書いたあと、誰にも読まれないように紙を細かく千切った。どこかで捨てようと思っていたのに、ぶわっと突風が起こり、紙切れは空へと散っていく。
「おい、それって……どういう」
ロドの問いが終わる前に、ミュシュは頭を深く下げて人混みに紛れた。理由を聞かれても、上手く伝えられはしないから。
国を豊かにするべき王太子のレヴィンが、筆頭歌姫だったミュシュに毒を盛ったイルジナを選んだ。そんな国が繁栄していけるとは思えない。
(きっと、あの国は無事では済まない気がする)
ただ、そう思いたいだけかもしれない。けれど、ミュシュは確信めいた表情で王国のある方角を見つめる。いずれそうなるだろう――そう思わずにはいられなかった。




