17,美しい奇跡と悪意との対峙
(これまでで一番歌いやすい……!どれだけ大きな声を出しても、どこまでも息が続きそう!)
ミュシュは、自分の喉とは思えないほど自由に歌えていることに、内心驚いていた。スティの演奏が、更にミュシュの声を支えてくれている。
二人で練習したのは、神々の加護が東西で分かたれている大陸に残された、何故か似た旋律。『音と歌のゾーエ』と『ムスィキの生命』を掛け合わせたもの。
この曲が必ず鍵になると、あの日からスティは多くの研究と調査を重ねていた。
二人で試行錯誤を繰り返し、完成したのは息を呑むほど神秘的な曲。詩はミュシュが考え、神々に感謝を捧げ、平和を願うものにした。
歌と音、どちらが主で、どちらが従か。その境界さえ溶け合うように、主旋律が相互に入れ替わるという、ユーモアある一曲に仕上がっている。
二つは絡まり、時に高音と低音に分かれ、また混ざり合う。まるで今の大陸を表しているよう。
後半になるにつれ、感情を乗せて歌っていたミュシュの心には、帝国の繁栄と、ある決意が芽生えていた。
(男神オリュロン様、女神エディオラ様。長きに渡り、人の都合で離ればなれにしてしまい、申し訳ございません。もしも王国にある聖杯が女神エディオラの神具なら、いつか二つを揃え、お二人が再び共に休めるようにいたします。加護を賜る歌姫として、必ず――!)
その祈りと誓いを絞り出すように、ミュシュは心を込めて歌う。
その瞬間――会場全体が、眩い光に包まれた。
「これは……!?」
「なんて美しいの!」
「奇跡だ!」
全員が目を瞑り、再び開く頃、そこには雪のような小さな光がキラキラと降り注いでいた。
ざわめきと歓声が沸き起こる。だが、歌い演奏し続ける二人は、ただただ互いの音を頼りに、最後まで奏で続けた。
(綺麗!これが、カリオルさんの言っていた大いなる奇跡なの……?スティ、とても綺麗ね)
(本当だね。神々が祝福してくれているのだとしたら、とても嬉しいね、ミュシュ)
やがてミュシュの歌が終わり、スティが最後の音まで丁寧に弾き終えると、割れんばかりの喝采が巻き起こった。
速い鼓動に胸を押さえながらスティへと顔を向けると、それはそれは幸せそうな顔で笑っていて。ミュシュも瞳をうるうると潤ませながら、これまでの人生で一番晴れやかな笑みを浮かべた。
そこへ、皇帝陛下も拍手をしながら近付いてくる。満足そうに目を細めたあと、会場を震わせるほどの威厳ある声で、高らかに宣言した。
「新たなる一年に、そしてディーロス帝国に栄光あれ!!」
「「「「「ワアアアァァッ!!」」」」」
更に大きな歓声と拍手が、再びホールを満たしていく。ハープが片付けられたからか、隣に並んだスティがミュシュの肩を抱いた。
「大成功だね」
「えぇ。みなさんにもそう思ってもらえていたら……嬉しいわ」
ミュシュはそう言いながら、喜色に染まる階下を眺める。興奮冷めやらぬ人の波はそろそろと動き出し、列を作っていく。
その波に合わせて、帝宮楽師達が控えめな曲を奏で始める。皇族への挨拶が始まるようだ。
挨拶は身分の高い順番と決まっていて、最初に進み出たのは、皇妃殿下の兄であり、ミュシュの養父となってくれたラーンスキー公爵だ。
「ミュシュは挨拶をされるだけだろうし、声はかけられないと思うよ。もしかしたら感想は言われるかもしれないけどね」
「ふふっ。それなら、笑顔で『ありがとうございます』とだけ返そうかしら」
二人が楽しげに話していると、「私も混ぜてくれるか?」と声がかかる。
皇帝陛下と皇妃殿下、皇太子殿下と皇太子妃殿下への挨拶を終えたラーンスキー公爵が、公爵夫人や息子達、小公爵夫人や婚約者を連れて来てくれた。
「ごきげんよう。え……と、お養父様」
「……お義父様、お顔が緩んでいましてよ」
「いやぁ。まさかこの歳になって養女が出来て、お養父様なんて呼ばれる日が来るとは思わなくてねぇ。息子ばかりだったから嬉しくて」
「まぁ!わたくしだってお義父様とお呼びしておりますのに!養女と息子の嫁とでは違いますのね?」
嫡男である小公爵様……お義兄様の奥様である夫人が、揶揄うような発言をした。決してミュシュをいびるような物言いではなく、冗談を言って場を和ませるもので、くすくすと笑っている。
「ミュシュ、とても綺麗な声だったよ」
「本当に!わたくし、感動しましたわ。いつか我が家にも歌いに来てちょうだいね?」
お義兄様やその婚約者の令嬢に褒められて、ミュシュは少し頬を染めてはにかんだ。
それから全員がミュシュを褒めちぎり、屋敷に来てほしいと言い出したため、ミュシュはあまりの勢いに目を瞬く。そこへ、スティが苦笑混じりに助け舟を出してくれる。
「興奮しすぎだよ。ミュシュがビックリしてるじゃないか。ラーンスキーの屋敷には私が必ず連れて行くから、その時に歌ってもらえばいいんじゃないかな」
「殿下、約束ですよ!せっかく義妹が出来たのに、先日なんて手続きの時にちょっと連れてきただけで、すぐ帰ってしまうんですから」
「今日に間に合わせるために予定が詰まってたんだから、許してよ」
皇妃殿下の実家だけあって、スティもかなり仲がいいように見える。後がつかえてるのを見て、全員が小声で「またな」「またね」と名残惜しそうに声をかけてくれた。
(家族なんて、もう得られないと思っていたのに。人生、何があるか分からないものね……。十年前の私が聞いたら「頭打ったの?」って呆れそうなほど幸せだわ)
そんなことを考えていると、次の人が挨拶に来た。どうやら宰相の家である公爵家のよう。
皇帝陛下のお言葉があったからか、二人に向けての挨拶のあと、ミュシュには深く踏み込まないよう、けれど「素敵な歌をありがとうございました」とだけ言ってくれて。にこりと笑顔を返して見送った。
次は誰かしらと視線を向けようとして、腕をトントンと控えめに叩かれる。向けようとしていた瞳をスティへと移す。
(これは、要注意の合図……!まだ公爵家のはずだから、もしかして)
「アポスティル殿下、ミュシュ様。この度はご婚約おめでとうございます。デヴディス・ストレイツがご挨拶申し上げます」
ストレイツと聞いて、ミュシュはすぐさま表情を繕う。
男はきちんと膝をつき、いかにも敬っているように装っている。しかし、その伏せられた瞳の奥には、ギラつくような執念がありありと宿っている。
一瞬ミュシュを捉えた瞳には、明確な憎悪が込められているように見えた。
(この人が離宮に突撃してきた、公爵令嬢ヘロイーザの父……ストレイツ公爵ね)
最も要注意と言われた人物との対面に、ミュシュは気を引き締めた。




