16, 臆病な少女から誇りある歌姫へ
スティとの婚約を承諾したミュシュ。それまでも十分陽の光の下で幸せを感じていたのに、ミュシュの世界はゆっくりと、けれど確かに変わっていった。
スティの話によると、西側でただ一人、“歌の加護”を宿すミュシュは、国賓と呼ぶほかないほど希少な存在なのだという。
更にこの二ヶ月間、一緒に生活していたスティの目から見ても、基本的な礼儀やマナーは問題ないらしい。
(歌姫として、あと短い期間ではあったけれど、筆頭歌姫となって、レヴィン殿下の婚約者としての王太子妃教育があったおかげかしら)
耐えてきたあの日々が、スティの横に繋がっていたのだとしたら――そう考えると、向き合ってきてよかったと思える。
しかしそのせいで、ミュシュの知らないところで大胆な決定が下されていたのだ。
「い、一ヶ月後の祝賀パーティーで、お披露目?あと一ヶ月……?」
「そう、あと一ヶ月。皇帝陛下も了承済みだから、頑張ってね」
にこやかに告げたスティの言葉に、ミュシュは放心した。
それからミュシュは、基本的な教養の復習と歌の練習に励んだ。
パーティーでは主にミュシュの紹介と、貴族達を黙らせるための歌の披露がメインになるらしい。演奏は、婚約者となったスティが務めてくれる。
今回は必要ないそうだが、いずれはダンスを踊る必要があるようで指導が始まったけれど、かなりゆっくり教えてもらっている。
(王宮に放り込まれた時のスケジュールに比べれば、なんて優しいのかしら。酷い筋肉痛になることも、足が血だらけになることもないし)
スパルタとは程遠い教育に、ミュシュはホッと胸を撫で下ろしていた。
しかも、その講師は全てラダ。影達は、潜入のため貴族に化けることもあるらしく、必要な教育は一通り叩き込まれているのだという。
尊敬を込めた目で見ると、ツイッと目を逸らされてしまった。怒らせてしまっただろうかと思ったけれど、耳がほんのり赤く染まっていて。
(ラダって、褒められたら照れるのね。可愛い……!)
ミュシュはラダとの距離が少し縮まった気がして、また一つ喜びを覚えた。
しかし、歌だけは誰にも教わることが出来ない。これまで積み重ねてきたトレーニングを丁寧にこなし、当日歌う予定の曲を、一音一音確かめながら、感情を乗せる作業を繰り返す。
(でもきっと、私に難癖を付けて蹴落としたい人は沢山居るはず。特に、離宮に乗り込んできたあの公爵令嬢のご当主様とかは……)
過去に王宮で浴びせられた言葉の数々を思い出しながら、ミュシュは入念に準備をする。万が一失敗すれば、ミュシュのせいでスティの顔に泥を塗り兼ねないのだから。
(私はどう言われてもいい。でも、スティのお荷物にだけはなりたくない……!)
その一心があったからこそ、ミュシュは一日たりとも手を抜かなかった。
「緊張する?」
「……国の伝統行事で、筆頭歌姫として歌った時よりも、ずっと緊張している……かも」
控え室の扉の前。入場を待ちながら、ミュシュは胸の前でぎゅっと手を握り締めた。
「ふふっ、素直で宜しい。それなら、しっかり私の腕を掴んでいるんだよ」
「えぇ」
スティのエスコートを受け、ミュシュは大きく立派な入場口に立つ。
あれからあっという間に時間は過ぎ、気付けばパーティー当日。ミュシュは白と黒を基調とした可憐なドレスに身を包んでいた。黒髪は美しく編み込まれ、金の髪飾りが煌めいている。
「第二皇子アポスティル・フォン・ディーロス殿下、並びにミュシュ・ラーンスキー公爵令嬢のご入場です!」
高らかな声と共に、扉が開かれる。
「さぁ、行こう」
スティに導かれて、眩い光の中へと歩み出る。
帝国の貴族達が一堂に会した、帝宮で最も大きなホール。いくつもの視線に晒されながら、ミュシュはスティの隣をしずしずと進む。
皇族の入場は貴族達とは違い、上階の入場口から行われる。おかげで、下からどんな目を向けられていても、ヒソヒソと罵られていてもハッキリとは分からない。
それでも、注がれる視線の重さに、じっとりと手のひらが汗ばんでいく。
一度だけ顔合わせをした皇帝陛下と皇妃殿下、皇太子殿下と皇太子妃に礼をし、スティとミュシュに与えられた椅子へと向かう。
本来であれば、皇帝陛下と皇妃殿下が最後に入るところを、ミュシュが国賓であると知らしめるために最後にされたらしい。当然のように受け入れられているミュシュの姿に、貴族達はざわめいた。
全員の姿が揃ったのを見て、皇帝陛下が一歩前に進み出た。
「みな、よく集まってくれた。こうして新たな年を共に祝えること、嬉しく思う」
威厳に満ちた声で、新年の挨拶と帝国の現状、今後についてが語られる。
ほどなくして、皇帝陛下の視線がこちらを捉えた。
「さて、入場の際に気付いた者も多かろう。アポスティル、ミュシュ。こちらへ」
「「はい」」
二人は一礼し、皇帝陛下の隣へと並ぶ。全ての注目が集まり、ミュシュの一挙一動を見ている。その視線が、今度は真正面から突き刺さった。
「紹介しよう。こちらは、東側の某国にて歌姫の地位を授かっていた、ミュシュ嬢である」
その一言で、ホールの空気が大きく揺らいだ。「歌姫だって!?」「本当に?」という声があちこちから上がる。
「歌姫が帝国を訪れるなど、数百年の歴史でも例がないことだ。その力を評価し、彼女はラーンスキー公爵家に迎えられた。そして、長年婚約者不在だった我が息子、アポスティルとの婚約が正式に決まった。是非とも祝福してやってほしい」
わっと歓声と拍手が巻き起こる。歌姫による恩恵を心から祝っている人も居るのだろうが、笑顔の裏で何かを目論んでいる人も多いはず。
(本格的な社交経験なんてほとんどない私が、帝国の貴族達相手に対応出来るのかしら……)
ミュシュが不安に思いながら階下を見つめていると、スティに腕を引かれた。見上げると、スティが柔らかな笑みを浮かべていた。どうやら表情に気付いて励まそうとしてくれているらしい。心強いなと思いながら、ミュシュもふわりと微笑み返す。
「礼儀作法については問題ないと聞いているが、彼女はまだこの地に来て日が浅い。今日は、ミュシュ嬢への個人的な挨拶や交流は控えてもらおう。その代わり、歌姫としての力をみなに見せてくれるそうだ。その歌声を存分に堪能してくれたまえ」
そう言って、皇帝陛下は中央を空けてくれる。全体への簡単な挨拶と歌の披露だけでいいと言われていたが、わざわざ皇帝陛下が個別の挨拶について断りを入れてくれるなんて。
その配慮にミュシュが頭を下げると、パチリと皇帝陛下からウィンクをされた。……もしかして、皇帝陛下ってお茶目な方なのかしらね。
「ディーロス帝国の皆様、ごきげんよう。ご紹介に預かりました、ミュシュ・ラーンスキーと申します。この度、第二皇子であらせられるアポスティル殿下の婚約者となりました。これからは帝国のため尽くす所存です。帝国の繁栄を願って、一曲披露させてください」
ミュシュはスティへと顔を向け、静かに頷いた。スティからも頷きが返ってきて、彼の楽器が用意される。
最近スティはよくハープの練習をしているなと思っていたけれど、今回出てきたのはいつもよりも更に一回り大きなものだった。
騎士二人がかりで抱えられているそれは、金で形作られた美しいハープで、銀の宝石が星屑のように散りばめられている。
(えっ!?これってまさか……)
ミュシュはそれを見て息を呑む。大丈夫なのだろうかと焦るが、スティの瞳は問題ないと物語っていて。
(スティが大丈夫って言うなら、きっと大丈夫なのよね?……それよりも、私は歌に集中しなきゃ)
無事に準備が整えられ、ミュシュは正面を見る。多くの目が二人に……特にミュシュへと向けられている。
――怖い。足が震えてる気がする。でも、スティの演奏が聞こえてきたら、きっと。
ポロロロン、とスティが美しいハープの音色を奏でる。ミュシュの緊張を解すように、前奏の前に遊びを入れてくれたらしい。
スティの音が空気を震わせた瞬間、すっと心が凪いでいく。
臆病だった少女は、もうどこにも居ない。そこには、歌を磨き続けてきた歌姫が立っていた。
歌姫としての役目を果たす。民の笑顔だけが、自分の価値を認めてくれる。そう思っていた。
(でも、これまでの積み重ねがあったから、私はスティの隣に立てる。今ならこの声を、歌を……心から誇れるわ)
ミュシュは大きく息を吸い込み、その空気に祈りと覚悟を乗せる。そして、力強い一声を放ち、歌い始めた。




