13,手練手管に囚われた歌姫
「なぁに?まさかお前、アポスティル殿下を皇子と知らずに居座っていたの?」
「皇族の顔も分からないなんて!ヘロイーザ様、この女、本当に令嬢ですらないのではございませんこと?」
「なんてことでしょう!身の程知らずもいいところですわ!殿下は、どうしてこんな娘を囲っていらっしゃるのかしら!」
浴びせられる言葉の一つ一つが、ミュシュの胸に突き刺さる。
足から力が抜け、膝から崩れ落ちた。ラダが側で何かを言っているけれど、ミュシュはもう何も聞きたくなかった。
『アポスティル殿下と知らずに居座っていたの?』
――知らなかった。スティが第二皇子なんて。アポスティルなんて名前も。
帝宮楽師の中でも高い地位にいるのだろうとは思っていた。けれど、まさかカリオルと同じ帝宮楽師長を務める皇子様だなんて思わなかった。
『令嬢ですらないのではございませんか?』
――その通り。この国で私は、身分を示すものさえ持ち合わせていない、平民よりも劣る存在。
歌姫として教養を学ばされたけれど、ただそれだけ。本物の令嬢達のような知識や華やかさなんて、私には何もない。
『何故こんな娘を囲っていらっしゃるのかしら!』
――決まっている。私が王国の元筆頭歌姫だから。
帝国には生まれないはずの“歌の加護”を授かり、奪われた女神エディオラの聖杯を知る、唯一の人間だから。
『身の程知らず』『分不相応』
――やめて。もう、やめて!そんなこと、私が一番よく分かっているわ……っ!
私はそんなもの、望んでない。私が望んでいるのは、歌うことだけ。それだけでよかったのに……。
『……本当に?今の私は、歌うだけで幸せになれると思っているの?』
頭に浮かんだのは、王国を追い出された頃の自分自身。歌さえあればいいと思っていた、あの頃の自分が、今のミュシュに問いかけてくる。
逃げ場を失って、ミュシュは耳を押さえた。
「や、やめて……っ」
でも、止まってくれない。責める声も、令嬢達の嘲笑も、過去の自分の問いかけも。ミュシュの心には、もう収まりきらなかった。
「――ああああああああぁぁぁっ!!」
喉が避けるような叫びが、離宮中に響き渡った。近くに置かれていた花瓶が、パリンと音を立てて砕け散る。離宮全体が軋むように、ガタガタと揺れ始めた。
「なっ!?一体何なの!?」
「地震!?」
「いやぁっ!」
「ぁぁぁぁああああああ゙あ゙あ゙!!」
令嬢達が悲鳴を上げる中、ミュシュは壊れたように声を上げ続ける。ぐちゃぐちゃになった心のまま、不安な感情を爆発させるように。
――信じたい。信じられない。
何者だったとしても、スティはスティ。それなのに、皇族だったという真実に、かつての婚約者の姿が浮かんでしまう。
皇子様だなんて思わなかった。けれど、彼が助けてくれたから、また歌えるようになった。助けてくれた時は、歌姫なんて知らなかったはずだから。それもまた真実のはず。
でも……それならどうして。
そこへ、ポロン……と、荒れ狂う声に音が降ってきた。痛々しく叫ぶミュシュの叫びを抱き締めるような、悲しみと慈しみに満ちた音色。
音の方へと視線を向けると、苦しげな表情のスティが小ぶりのハープを手に、音を奏でていた。ミュシュはくしゃりと顔を歪め、更に叫ぶ。
(どうして何も言ってくれなかったの?どうして何も教えてくれなかったの?)
そんな問いを乗せて、ミュシュは啼くように歌う。その声に寄り添うように、ハープの音色が混ざっていく。
どこまでも柔らかく温かい音色。悔しいくらいに、優しくて。
やがて、ミュシュの声は少しずつ掠れていき、くたりと床に頽れた。
「ミュシュ!」
ミュシュはスティの手に抱き上げられ、顔を見上げた。今にも泣きそうな表情に、ミュシュも釣られて涙を零す。
「スティ……。スティは……皇子様だったのね」
「……っ!黙っていて、ごめん」
「どうして……?どうして教えてくれなかったの?」
ぽろぽろと涙が零れる。スティは唇を噛んでから、ゆっくりと口を開いた。
「本当は早く言うべきだと思っていたんだ。でも、私が第二皇子なんて知れば、いくら普通に接してと言っても難しかったでしょう?」
「…………」
「ミュシュがもう少し帝国に慣れてから、落ち着いた頃にきちんと伝えようと思っていたんだ。でも……ミュシュがあちらの王族に酷い仕打ちを受けていたと知ってしまって」
ミュシュを壊れ物のように抱き締めるスティの手は、僅かに震えていた。
「私も同じ皇族と知れば、嫌われるんじゃないか、怖がらせてしまうんじゃないかと……。そう考えたら、どうしても言えなかったんだ」
ぴたりと胸元に顔を押し付けられ、スティの鼓動がやけに近くに聞こえる。声や体の震えも、触れ合ったところから伝わってきた。この人も同じように怖かったんだと、ミュシュはやっと気付いた。
「ごめんね、スティ。私……何も気付かなかった」
「ううん、いいんだよ。私こそ何も言わなかったせいで、ミュシュを傷付けてしまった。ごめんね」
そっと目元を拭われ、滲んでいた視界が鮮明になる。
ふと、令嬢達はどうなったのだろうと顔を向けると、そこには床に組み伏せられ、口に布を巻かれた令嬢達とその護衛が転がっていた。どこから現れたのか、全身黒い格好の人達が全員を拘束している。
「知らせを聞いて、急いで来て正解だったね。ラダ、状況の報告を」
「はっ。離宮に近付く不届き者の排除は徹底しております。暗殺目的ではないと判断したご令嬢方は、『思惑を探るため現行犯で捕らえよ』とのご指示でしたので、そのように対応いたしました」
ラダは淡々とした口調で続ける。
「しかし、ミュシュ様には部屋で待機していただくべきでした。面目次第もございません」
「ラダは悪くないの!何度も部屋に居てと言ってくれていたのに、私が言うことを聞かなかったから……」
しゅんとするミュシュに、スティは叱るような口調で問いかける。
「そういう時は、きちんとラダに任せないと。どうしてそんな危険なことをしたの?」
「……だって」
スティの言葉に、ミュシュの胸の内に溜め込んでいた思いが、自然と言葉になって溢れ出す。
「ここは、スティと私の居場所だと思っていたから。誰かにその場所を奪われるんじゃないかって思ったら、居ても立ってもいられなくて……」
ミュシュの言葉に、スティは目を輝かせてその体を再び抱き締めた。
「嬉しい!ミュシュはここを、私とミュシュの居場所と思ってくれてたんだね!」
その腕に、更に力がこもる。
「で、でも……っ!スティは第二皇子で、私は……」
「そんなの関係ないよ。大丈夫、任せて。そこらへんはどうとでもなるから」
有無を言わさぬ笑みで、スティはにこりと微笑む。
(いえ、普通はどうともならないでしょう……?)
ミュシュを支える手のぬくもりとは裏腹に、スティは組み伏せられている令嬢達へ冷たい目を向けた。
「――さて。お前達は第二皇子所有の宮殿に無断で侵入し、我が国で保護している客人に対して無礼を働いた。その責任は取ってもらう」
苛立ちの伝わる低い声に、令嬢達がビクリと震えた。ミュシュが国の客人だと聞き、全員が目を見開く。
そんな中で、首を振って口元の布を緩めたヘロイーザは、二人に向かって喚いた。
「アポスティル殿下!どうか目をお覚ましくださいませ!そんな貴族らしからぬ娘が国の客人だなんて、嘘ですわよね!?」
「嘘なものか。彼女はここで保護している国賓だよ。皇帝陛下や皇妃殿下、我が兄である皇太子殿下も承知の上。でなければ、帝国暗部の影が護衛しているはずないだろう?」
ミュシュは唖然とした。皇帝陛下や皇妃殿下、皇太子殿下までもがミュシュの存在を知っているなんて。
ラダへと視線を向けると、肯定も否定もせず静かに頭を下げた。どうやら彼女も暗部の人間だったらしい。
「彼女の存在は国家機密だ。それを知ってしまったお前達を、外部と接触させるわけにはいかない。それぞれ個室に軟禁。離宮への不法侵入により拘束、機密を知った恐れありとして面会謝絶を各家に通達しろ。ミュシュの存在は絶対に知られるな!」
「「「「「「はっ!」」」」」」
ヘロイーザ含め、全員の口元を再度きつく縛った影達は、令嬢達と護衛を抱えて出ていった。
「床は冷えるでしょう?ラダ、湯を張ってきて。ミュシュ、温かいお湯に入って、ゆっくり温まっておいで」
そう言うと、スティは力の抜けたミュシュを軽々と抱き上げた。ボッと火が付いたように顔が熱くなる。
「す、スティ!私、自分で歩けるから……っ!」
「私がこうしたいんだ。ミュシュに悲しい思いをさせちゃったからね。少し償わせてよ」
「……っ」
眉を下げてそんなふうに言われてしまえば、もう何も言えない。
償いと言うけれど、こちらは恥ずかしさで心臓が痛いくらい煩くて、かえってしんどい気さえする。
視線を彷徨わせるミュシュに、スティは目を細めた。
「ミュシュ。これは危険なことをしたミュシュへの罰でもあるからね?」
「え……?あっ」
「それと、私が第二皇子だろうと、これまでと変わらない接し方で居ること。悪いけど、私は君を手放す気はさらさらないから、覚悟しておいて?」
スティはそう宣言すると、抱き抱えるミュシュの鼻先にキスを落とした。頭の中まで真っ白になり、ミュシュの体が硬直する。
「〜〜っ!!?!?」
「ふふっ。これからが楽しみだね、ミュシュ」
どうやらミュシュは、手練手管の限りを尽くされ、すっかり囚われてしまったらしい。
ミュシュは顔を真っ赤に染めながらも、スティの温もりに身を委ねることしか出来なかった。




