12,思い出が塗り潰されていく
それからというもの、スティと一緒に過ごせる時間は、目に見えて減ってしまった。
ミュシュの語った話は国を揺るがすもので、どうやらスティが調査をしてくれているらしい。離宮から出て、自ら説明した方がいいのではとスティには言ったけれど、
「ミュシュ。絶対に私が許可しない限り離宮から出ないで」
と圧をかけられてしまったのだ。元々外に出たいとは思っていないため、無理に押し込められているとは思っていないが、スティは心苦しそうにしていた。
「きにしていないわ。しんぱい、してくれてるんでしょう?」
「……うん。色々と落ち着いたら、外に出られるようにするから。また街にも一緒に行こうね」
「えぇ」
(あの日、お店で抱き締められた時から……おかしいのよね、私……)
スティの言葉や対応に、ミュシュはどぎまぎしていた。相変わらず揶揄ってくるけれど、出会った頃よりももっと丁寧に優しく接してくれて。
(レヴィン殿下が婚約者だった時でさえ、手も握られたことがなかったのに)
ふとした瞬間にスティの腕の温もりや声を思い出してしまい、その度にミュシュは顔を覆う。
今までだったらそんなことをしても、スティが居なければ一人だったからよかったものの――今はそうではない。
ミミシーン王国の王族に狙われるかもしれない懸念から、ミュシュにメイドが一人付くことになったのだ。
「こちらはラダ。今日からミュシュの専属メイドになってもらう。護衛も兼ねているから、基本連れ歩いてほしい」
「ミュシュ様、宜しくお願い申し上げます」
スティから紹介され、お仕着せをまとったラダが丁寧に頭を下げる。
「わたしに、ごえい……?」
「悪いけれど、この問題が解決してからも、ミュシュには護衛が必ず必要になる。窮屈な思いをさせてしまうけど、今から慣れておいてほしいんだ。側に付けるのはラダだけだけど、ミュシュが気にしないよう隠れて護衛する者達も配置しておくから」
身を案じるように告げられては、拒否出来るはずもない。今ではスティよりラダと過ごしている時間の方が長いだろう。
ラダはとても寡黙で、ミュシュの邪魔にならないように、いつもひっそりと側に佇んでいる。そんな彼女だが、ミュシュが歌えば歌声に耳を傾け、少し口角を上げてくれる。決して嫌われているわけではないらしい。
仕事熱心で真面目なんだろうと、その距離感に慣れることにした。
「ミュシュ、ただいま」
「おかえりなさい、スティ」
「はい、今日はこれ!帝宮料理長お手製のジャムパイだよ。私も好きでよく作ってもらってるんだ。ミュシュも気に入ると思うよ」
「あ、ありがとう」
スティはそう言ってミュシュに籠を手渡した。中を覗くと、確かにいろんなジャムの入ったパイが見える。
――あの日、ズジェイから飴の瓶をもらったことがきっかけで、スティはこうしてお菓子をくれるようになった。
「……私が最初に、ミュシュにプレゼントしたかったのに。喉にいいものだって、沢山知ってるのに」
珍しく拗ねた声で、そんなことを言ったのだ。
(口を尖らせていたあの顔は、そういうことだったの……?)
と、ミュシュは少し擽ったくなった。
エウテのお茶も、ズジェイの飴も、私に対しての思いやりや気遣いで。いくら見えない他人が作った食べ物や飲み物が怖いからといって、それを無下にするような人にはなりたくなかった。
それを伝えると「……分かってるよ」と更に不貞腐れてしまったものだから、つい「じゃあ、あまいものがたべたい」と言ってしまったのだ。
王宮には豪華な料理やお菓子が山ほどあるはずなのに、身分の低いミュシュのような歌姫には、相応の下位貴族向けの料理しか用意されなかった。
それを聞いたスティは、「何でも用意させるよ!」と言って、それから必ず手土産を持って帰ってくるようになった。
「いそがしい、んでしょ?まいにちおかしなんて、きをつかわなくていいから」
「ううん。私がミュシュに、私の好きなものを知ってもらいたいだけだから。それに、食べて喜んでるミュシュの笑顔が見られるのも、私にとってのご褒美になるからね」
笑顔がご褒美とは、どういうことか。
そんな台詞を言われるたび、最近のミュシュはときめいてばかり。前だったらニヤニヤと揶揄ってきただろうに、今は……。
「イチゴジャムみたいに赤くなった。可愛いね」
「っ!?」
「そんな顔をしてると、ジャムパイじゃなくてミュシュの方を食べたくなっちゃうな?」
「!!?!?」
優しい声でそんなことを言うものだから、揶揄われているのか、本気なのか分からなくて。ミュシュはいたたまれなさから、すぐに白旗を上げてしまう。
「いじわる、だわ……」
「意地悪?私はずっと思ったことしか口にしていないけどね」
思ったことしか口にしていないって、じゃあ食べちゃうよ?って、どういう意味なの……?
「ほら、食堂に行こう。夕食のあと、ジャムパイを出してもらおうね」
「……えぇ」
スティに誘われて、隣を歩く。ミュシュの定位置と言われたその場所の居心地がよくて――忘れていた。いや、思考を放棄したと言ってもいいかもしれない。
スティが何者なのか。帝宮楽師というだけで、離宮をまるまる一棟所有出来る彼は、一体……?
最初の頃に何度も考えた疑問は、いつしかどうでもよくなっていた。スティがミュシュに言ってくれたように、スティはスティだとミュシュも思うから。
そうしてまた、ひと月。徐々に冬らしい空気に変わり始めた頃、それは起きた。
スティ以外、誰も来ないはずの離宮。そのエントランスから、甲高い女の声が響いてきたのだ。
(スティは、ラダ以外にも護衛を配置すると言ってくれていたけれど……どうして?大切なお客様なの?)
ラダが「部屋でお待ちください」と引き止めているのに、私はどうしても気になって声の方へと向かった。
窺うように階段の影から覗いていると、目敏くミュシュを見付けた令嬢が声を上げた。
「あらぁ?噂は本当だったのね。あの方が離宮に令嬢を囲っているというのは。――お前!さっさと降りていらっしゃい!」
「っ!?」
王宮で嫌な目を向けてきた令嬢達のように、帝国の令嬢達が護衛を連れて離宮に乗り込んできたようだった。
「……ミュシュ様。あの方は、帝国のストレイツ公爵家のご令嬢かと」
「こうしゃく、れいじょう……っ」
ラダの声に、ミュシュの体がビクリと跳ねる。ミュシュに毒を飲ませたイルジナでさえ侯爵令嬢だったのに、それよりも上の公爵令嬢が相手だなんて。
ミュシュは体を震わせながらそろりと階段を降り、令嬢達と対峙する。
「ここ最近、あの方が何もないはずの離宮に通っていると噂になっておりましたの。気になって調べさせてみたけれど、離宮から出てくるのはいつもあの方のみ。そんなわけないでしょうと思っていたけれど……やはり当たりでしたわね」
値踏みするような目を向けられ、ミュシュは怯える。令嬢はそれを愉快そうに見下ろし、鼻で笑った。
「お前は誰なの?社交界に出ている令嬢なら、必ず顔を覚えているはずだもの」
「ヘロイーザ様がご存知ないのであれば、やはり平民の娘ではございませんか?」
「まぁ!だからすぐに名を名乗りもしないのね?貴族の教養なんて知らないでしょうから」
くすくす、くすくすと。笑われる度に、ミュシュの視線がじわじわと床に落ちていく。
「もし本当にそうなら、殿下もお遊びが過ぎますわ。帝国で唯一無二の帝宮楽師長を、僅か二十歳で継承された第二皇子であるアポスティル殿下が、平民の娘を囲っているだなんて!」
聞き慣れたはずの優しい声からではなく、よく知らない令嬢の口から落とされた真実に、ミュシュの血の気がすうっと引いていく。
「だいに……おうじ……?」
喉の奥が、じくじくと焼けるように熱くなった。まるで毒を飲まされたあの日のように、息が詰まっていく。
かつてミュシュを理不尽に追放した、王国の王族。その面々が頭を過ぎる。
――これまで見てきたスティの笑顔も、手の温もりも……全て、幻だったの?
皇族としてミュシュを囲うためだったのだろうか。ミュシュに利用価値があるから、ここに留めたのだろうか。そんな考えばかりが脳を埋めつくしていく。
ミュシュの世界は音もなく、塗り潰されたように真っ黒に染まっていった。




