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ノミの心臓のおっさん、竜の心臓を手に入れる  作者: Zoo
第一章 ノミの心臓のおっさん
7/40

三十二歳、嘲りの鳴き声、川音の中で

掌が焼けている。


 皮膚が鉄板に押し付けられたみたいにじりじりと音を立て、骨の奥で火の色が咲く。舌が絡みついた剣身は真紅に染まり、握った指から神経が抜けていく。


「ぐおおおおおおお!」


 歯を食いしばった声が勝手に漏れた。

 サラマンダーの舌はさらにぐっと締まり、柄の根本から熱が上がる。逃げ場がない。指を離したら終わりだ。離さなければ――この手が終わる。


(だめだ! 絶対、離しちゃ――)


 じゅうう。

 肉が、焼ける音がした。反射で指が開く。


「――って」


 限界だ。

 理屈が、闘志が、全部まとめて熱に溶けた。俺は投げ捨てるように剣を離し、反転して走った。


「あじじじじじじじじ!」


 焼けた掌が風に触れて悲鳴を上げる。転びそうになる膝を叱咤し、川の縁まで一気に駆けた。両手を水へ突っ込む。

 じゅうううう――白い蒸気が立ち、痛みが鈍い痺れに変わる。肺に冷たい空気が落ちてきて、頭の中のノイズが少しだけ薄れた。


 その時だ。水音の向こうで、ゲコ、と小さく鳴く声がした。


(……鳴き声?)


 顔を上げる。

 河原の向こうで、サラマンダーがゲコゲコと喉を震わせている。火の衣を薄く揺らしながら、口角――があるのかどうかも怪しい顔を、しかし明らかに歪めて。


(笑ってる……? モンスターが?)


 胸の奥に、冷たい石を投げ込まれたみたいな音がした。

 さっきまでの恐怖が、別の色に塗り替わる。


(……くそ。バカにしやがって)


 だが、現実は残酷に冷静だ。

 目の前の相手は“火”そのもの。素手で挑むなど論外だ。舌に絡め取られた剣は向こう側。俺の掌は焼けて、握力もおぼつかない。


「……だが、サラマンダー相手に素手は無茶だ。一回、撤退するか?」


 言いながら、崖の上へ視線を上げる。

 そこに――いた。


 ニッキー。木こりたち。村の面々。

 炎の筋に顔を赤く照らされて、皆がこちらを見ている。


「……!」


 胸がどくんと跳ねた。

 逃げる――という選択肢に、重い錘がつく。


(だめだ。ここで逃げ出したら、村の奴らに笑われる。いや、それよりも――自分が、自分を軽蔑する)


 焼けた掌が、まだ熱を宿して疼く。呼吸を整え、再び戦場へ顔を向けた。


     ◇


 その時、サラマンダーの喉がくっと鳴り、舌がわずかに緩んだ。

 絡め取られていた剣が、ぽとりと地面に落ちる。


「――!」


(しめた! 拾うチャンス)


 脳裏に、映像を早回しで流す。

 全力でダッシュして剣を拾う。振り向きざま、斬岩剣――岩すら断つ一撃を、あの“火の眼”へ。

 鮮やかな未来図。イメージ通りに――やれれば、楽勝だ。


 心臓がとんと鳴る。

 次の鼓動に合わせて、俺は地面を蹴った。


(くそ――初動が遅れた!)


 気配で悟られたか。

 サラマンダーの尾が大気を裂いて舞い上がる。炎を纏った巨大な鞭が、弧を描いて迫った。


 避けきれない。

 視界が赤に染まり、熱風が顔を焼く。


「ぎゃあああああ!」


 背中から叩きつけられ、地面を転がった。火の粉が髪を焦がし、肺の空気が擦り切れる。


(やべえ。大ダメージ……!)


 よろめきながら、落ちていた剣を掴む。杖みたいに突き、どうにか体を起こす。

 呼吸が浅く、胸が痛い。焼けた掌が柄に触れた瞬間、神経がぴりっと悲鳴を上げた。


(くそ……なんでいつも、こうなる)


 騎士試験もダメ。

 木こりの仕事もダメ。

 そして今度は、サラマンダーごときに――殺される?


(どんだけ、俺は――)


 尾が再び舞い、反射で剣を掲げる。

 だが、構えが遅い。

 炎を纏った一撃が、横腹をさらっていく。


(――カッコ悪いんだ)


 自分の心の声が、一番容赦がない。視界が白に弾け、膝が砕ける。

 そのまま、俺は川へ――落ちた。


     ◇


 冷たい。

 体が水に包まれ、焼けた皮膚から一斉にじゅううと蒸気が立つ。

 肺が悲鳴を上げた次の瞬間、冷気が逆に救いになる。熱に焼かれた思考が、急速に鎮まっていく。


(……あれ。そもそも、俺はなんで“騎士”なんか、目指そうとしたんだっけ)


 水のざあざあという音に混ざって、記憶の粒が浮かび上がる。


(そうだ。英雄だなんて――煽てられたからだ)


 たまたま、ゴブリンの群れを倒したから。

 村の人間が口々に言った。「英雄だ」「神童だ」。

 それで俺は舞い上がった。王都へ出て、昇級試験に挑んで、十年連続で落ちて――。


(でも、変だよな。当時の俺は、どうしてあんなことが、できた? 今よりずっと、弱かったのに)


 答えは、簡単だった。

 あの時――俺は、守ろうとしていた。

 エレナを。仲間を。羊の群れを。

 剣は、自分を飾るためじゃなく、誰かのためにあった。


「――騎士のおじさん!」


 川面の上で、声が跳ねた。

 水から顔を上げる。

 河原の縁で、小さな影が剣を構えていた。


「き、君は――!」


 キリク。

 エレナの息子。鼻をつんとさせ、強がった目でこちらを見下ろしている。


 その向こうで、崖の上からニッキーの声が飛んだ。

「ありゃ隣村のキリクだ!」

「どこから現れた!?」別の木こりが叫ぶ。


「キ、キリク!? 何をしている。逃げろ!」

 思わず怒鳴る。ここは戦場だ。子どものいる場所じゃない。


 けれど、キリクは一歩も引かなかった。

 胸を張り、小さな剣先をサラマンダーへ向ける。


「おじさんをいじめるな! 僕が相手だ!」


 その姿に幼き日の自分を重ねた!

――――――


読んでくださってありがとうございます!

子供に助けられたおっさんの未来は!?

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