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ノミの心臓のおっさん、竜の心臓を手に入れる  作者: Zoo
第一章 ノミの心臓のおっさん
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都合の良い物語

家の前の広場は、夜気と笑い声で温まっていた。樽の栓が抜かれ、串焼きが香り、子どもが走り回る。そんな人だかりの端、灯りから半歩だけ外れた場所で、彼女は立っていた。


「リーザス」


 名を呼ぶ声は、昔と変わらない柔らかさだった。振り返る俺の口から、とるに足らない言葉がこぼれる。


「……エレナ」


 向かい合う。月が彼女の髪を縁取っていた。


(それは――俺の初恋の人だった)


 胸の内側で、遠い季節の匂いがほどける。花冠、丘、羊の鈴、草の青さ。取りこぼした時間が一度に押し寄せてくる。舌の奥に甘い砂が残るみたいに、懐かしさは容赦がない。


「じゅ、十三年ぶりだよね」

「……だ、だな」


 間がぎこちない。俺も彼女も同じように笑って、それでようやく、昔のふたりに橋がかかった。


「びっくりしたよ。騎士をやめて戻ってくるなんて、思わなかったから」

「ま、まあ。いろいろ、あって」


 言葉は短く。言えないことは多い。エレナは首を振り、少しだけ目を細めた。


「だってリーザスって、すごかったから。……私、あなたに助けられた時のこと、ずっと覚えてる」

「あ、ああ。でも俺、あまり覚えてないんだ。無我夢中だったから……」

「そ、そうなの?」


 彼女の問いに、記憶の扉がひとりでに開いた。


     ◇


(あの年、近くの森で魔物が異常発生した)


「ゴブリンの群れが子どもたちを!?」

 パージの叫び。

「羊の番をしていたエレナたちが攫われた!」

 村人の叫び。俺は道場帰りで、木刀をまだ握っていた。


「すぐに救助隊を組織するんだ! リーザス! 道場の先輩たちに声をかけろ!」

 言葉は耳を通り過ぎ、足が先に走り出していた。


 森の匂い。湿った土。枝を叩く音。

(その日は本来、俺が羊番のはずだった。……それを、幼馴染のエレナに押しつけた)

 罪悪感が胸を刺す。だが、それ以上に――


(あの頃の俺は、エレナが好きだった。好きで、好きで)


 藪が破れて、薄緑の影がうごめいた。ゴブリンの群れ。中央で、エレナが倒れている。頭の中で何かが切れた。


「――うおああああ!」


 雄叫びは自分のものだった。次の瞬間には、もう、終わっていた。刃の感触も、血の温度も、音も、匂いも、すべてが混ざって、世界が白くなる。気づけば、俺は無数の骸の中に立っていた。


     ◇


(エレナも、その妹も、無事だった)


 その日から、俺は村で英雄と呼ばれ、剣の神童と呼ばれるようになった。


「羊がいなくなっちゃったから、私の家は隣村に引っ越しちゃって……。あまり会えなくなったけど」

「ああ」

「でも、あなたが王都へ行く日、見送りに行ったよね」

「……それは、覚えてる」


 あの日の空気は、今も指先に残っている。村中が見送りに来て、俺たちは言葉少なに立っていた。

(俺だってバカじゃない。エレナの想いに、気づいていた)

(もちろん、俺も――)

(それでも俺は、王都で騎士になると決めていた。だから、封じ込めた)


「エレナ……お前、今――」


「母ちゃん!」


 割って入った高い声に、俺は言葉を飲んだ。小さな男の子が駆けてくる。鼻がつんと濡れている。


「ねー、こいつが母ちゃんが言ってた騎士?」

「こら! “こいつ”って言わないの!」


 エレナが慌てて叱る。俺は数秒、愕然として動けなかった。鼓動の数だけ瞬く間が伸び、ようやく、現実が形を持つ。


「……!」


「紹介するね。息子の、キリクだよ」

 エレナが鼻を押さえてやりながら笑う。

「将来は騎士になりたいんだって。リーザスの話をしたら、どうしても見に来たいって」


「そ、そっか。よろしくな、キリク」

 手を差し出すと、キリクは遠慮なく握ってきた。小さな手の力は驚くほど強い。


 頬の内側が、熱くなった。恥ずかしさは、血と同じ速さで全身を回る。


(……俺は、なにを期待していた? まさか彼女が俺を待っていたなんて思っていたのか!?)


俺は13年間村を空けた。

いや、本当は捨てたんだ。

なのに王都で夢破れたからといって都合よく、自分を受け入れてもらおうとしている。


親もそうだ、妹もそうだ、そしてエレナも。

みんな13年間、懸命に生きてきたんだ。

俺なしで。


俺は王都で学んだじゃないか。

現実はいつもぞっとするほど厳しい。

世の中に都合が良い物語なんてないのだ。



(居場所は、これから自分で作るんだ)


     ◇


 翌日から、俺は仕事に入った。広場の外れに積み上がった丸太。表皮を剥いだスイトー杉の切り口は、蜂蜜色の年輪を同心円に並べている。


「お義兄さん!」


 ニッキーの声が飛ぶ。

「年輪の数、間違えてますよ! 気をつけてください!」


「えっ?」


「いいですか? スイトー杉は“年輪の数”でブランド価値を作っているんです。間違えると台無しだ」

 彼は一本の切り口を指でなぞる。

「この杉は二十二輪! お義兄さんは二十一って書いてるじゃないですか」


「す、すまん。気をつけるよ」

「お願いしますね」


 ニッキーは軽く頭を下げて去っていった。俺は丸太の列に目を戻す。年輪。年輪。年輪。見つめ続けるうちに、切り口の輪が、どこか別のものに見えてきた。


(……居場所、か)


 夕餉。六人掛けの長いテーブル。父が双子を片腕ずつ抱えて笑い、母がその背をさすり、マリアとニッキーが楽しそうに言葉を交わす。賑やかで、温かい。なのに、俺の椅子の周りだけ、音が薄い。


(居場所)


 翌日も、年輪を数える。一本、二本、三本――数字が指の先で擦り切れて、ただ輪だけになっていく。


「ここ、違いますよ!」


 ニッキーの声が飛ぶたび、胸のどこかが小さく縮む。鏡をのぞくと、目の奥に同心円が広がっている気がした。笑ってみる。輪は消えない。息を吐いた、そのとき。


「大変です!」


 戸口で誰かが叫んだ。

「杉林に――サラマンダーが現れました!」

「なんだって!?」


 ニッキーが立ち上がる。顔から血の気が引いていた。

「大変だ! 山火事が起きたら大損害だ! すぐに討伐隊を組まないと!」


 ざわめきが走り、男たちが立ち上がる。俺は椅子から一歩だけ前に出た。


「――待ってくれ」


 ニッキーが振り向く。俺は彼の目をまっすぐに見た。


「俺ひとりで、討伐してみせる」


 空気が一瞬止まる。


「こう見えても、俺は王都で――騎士だったんだぜ」


(好機、到来)


 年輪の輪郭が、胸の内でぱきんと割れた気がした。刃を振るう場所。それは、俺の“居場所”の形をしている。夜風が薪の匂いを運び、遠くで犬が吠えた。俺は鞘口に指をかけ、久しぶりに、剣の重さを確かめた。




読んでくださってありがとうございます!

次回、村の英雄になったリーザスに!?

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