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ノミの心臓のおっさん、竜の心臓を手に入れる  作者: Zoo
第一章 ノミの心臓のおっさん
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三十二歳、故郷へ


 ――七日後。


 馬車に揺られ、時に歩き、峠を越えては谷へ降り、また次の山へ。

 長い移動の果てに、俺――リーザス・モートンは、ようやく高地の風を肺いっぱいに吸い込んだ。

 眼下に広がるのは、木造の切妻屋根が並ぶ可愛い町並み。牧草地が段々に続き、白い煙がいくつも空へと立ちのぼっている。


「……着いたぞ。スイトー村」


 標高の高いこの村は、空気が澄んでいる。夏でも朝夕は肌寒く、風は針先みたいに頬を刺した。

 数年、いや十数年ぶりに眺める故郷の景色は、記憶の中よりも少しだけ鮮やかで、少しだけ遠く感じる。


「変わってねえなあ」


 石畳の通りを歩くと、パン屋の甘い匂い、燻製小屋のいぶし香、刈られた草の青い匂いが混ざって鼻腔をくすぐる。

 軒先には乾いた薪が積まれ、窓辺には紅い花。

 変わらない。でも――変わってしまったものもある、と胸のどこかが囁いた。


(騎士団の昇格試験に落ちた俺は、三十二になり……騎士の道を、諦めることにした)


 王都から実家へ、手紙で全部を伝えた。

 王都での12年、いやそれ以上の年月。胸を張って帰るはずだった道を、俺は別の形で辿り直す。

 これからは地元で木こりとして生きる――そう決めての帰郷だ。


「――あれ、あんた、リーザスじゃないかい?」


 不意に呼び止められて振り返ると、ふくよかな体をたすき掛けした女が籠を提げて立っていた。

「!?」

「もしかして、マレーおばさん?」

「やっぱり、リーザスだよ! ねえみんな! リーザスが帰って来たよ!」


 通りに声が響くと、近所の顔が次々にのぞく。

 マレーおばさんは腰に手を当て、しみじみと俺を眺めた。


「しっかし、あんたは絶対に騎士になって戻ってくると思ったけどねえ」

「ま、まあ、いろいろあってさ。まず実家に顔、出してくるから」


 軽く手を振ってその場を離れる。

 背に受ける好奇の視線と、噂話が生まれる音は、村の風景と同じくらい馴染み深いものだった。


「リーザスだって? あの神童の!?」

 マレーに話しかける別の男の声が聞こえる。パージだ。

「今は王都で騎士団長くらいになってるのかい?」

「違うんだって。試験落ちちゃったらしいよ。この村で木こりをするってさ」

「はあ?」


 逃げるように歩調を速める。

(この村は狭い。今ごろ、俺の噂で持ちきりだろう)

(……だけど、慣れなきゃな。これからは、ここで生きていくんだ)


 噂は消えない。なら、噂より先に手を動かせばいい。

(よく考えたら、俺のスキルは木こりでこそ生きるんじゃないか?)


 脳裏に、手刀で木を断つ映像がよぎる。

 樹皮に指を当て、年輪の方向を読む。刃――いや、手の側に流れる剣気を薄く伸ばし、繊維の目に沿って撫でるだけで、すっぱりと木は割れる。

(いや、やれなくはない。むしろ得意かもしれん)


(こうなったら、伝説の木こりマスターを目指すか。でかい家でも建ててやって――母さんたちに楽をさせて)


 ――でかい家が、視界に入った。


「……何だ、このでかい家?」


 木肌の美しい梁、広い玄関。俺の記憶の中の実家は、もっと小さく、もっと古びていたはずだ。

(確か、実家はこの辺に――)


「あっ、おにいちゃーん!」


 背後から弾む声。

 振り返ると、栗色の髪を後ろで結んだ女性が、両手を振りながら駆け寄ってくる。


「おかえりなさーい!」

「……お、お前、マリアか? でかくなったな」

「十年以上会ってないんだから当然でしょ?」


 妹――マリア。

 俺が王都へ発ったとき、彼女はまだ十歳だった。


「お兄ちゃんが出ていった時、私まだ子どもだったんだから」

「そりゃ……そうか」


「さあ、みんな待ってるよ」


 マリアが先に立つ。広い廊下を通り抜けると、居間の奥から人の気配がした。

 胸が、きゅっと鳴る。緊張に似た何かが、喉仏の辺りで小さく暴れた。


「みんなー、お兄ちゃん帰って来たよー!」


 どやどや、と足音。

 現れたのは、赤ん坊を抱いた父と母――


「リーザス……」

「ただいま」

「おかえり、リーザス」

「よく帰ったな」


 父の腕に抱かれた赤ん坊が、むにゃ、と顔をしかめる。母の胸にも、もうひとり。

 マリアが笑って言った。


「おーい、ニコとココも挨拶しなさーい。リーザスおじさんですよ」


「ニコちゃんでーす。まだしゃべれちぇーん」

「ココちゃんでーす。あたちも、しゃべれませーん」


 両親が妙に嬉しそうに赤ん坊を掲げる。



「驚かそうと思って言わなかったけど、今年、私、双子が生まれたの」

「ああ、一人だと思ってたから、びっくりした」


 そこへ、きちんとした身なりの男が現れた。

 穏やかな笑顔で、まっすぐに手を差し出す。


「やあ、お義兄さん。はじめまして」

「夫のニッキーよ」

「よ、よろしく」


 握手の手に力がこもる。

 マリアの夫、ニッキー。木材の卸問屋を営む男――と、マリアの手紙で知っていた。


(昨年、妹は結婚した。相手のニッキーは木材の卸をやっていて、父の仕事も手伝ってくれている――)


「この家を建ててくれたのもニッキーさんなのよ」

 母が誇らしげに言い、父は照れくさそうに頭を掻いた。

「はは。お陰で、木こりも引退できた」

「お父さんはもう十分働かれました。これからは、私と従業員に任せてください」

「本当にありがとう、ニッキー君」


 笑い声が重なった。

 知らないうちに、家は広く、明るくなっていた。

 俺の知らない時間が、ここには確かに流れている。


「……はは」


 言葉がうまく出てこなかった。喉の奥に、じんわり熱いものが溜まる。

 安堵と、少しの寂しさと…不安。


 実家を出て13年。

 ここはもう、自分が知っている家ではなくなっていた。

     ◇


 その日の夕方、家の前は小さな祭りのようになった。

 樽から注がれるエールの泡、焼ける肉の匂い、子どもたちの歓声。

 村の誰かが音楽を鳴らし、手拍子が起き、笑い声が空へと昇る。


「おい、リーザス! 騎士になれなかったって、どういうことだ?」

 酔いの回ったパージが、俺の肩に腕を回してくる。

「パージさん」


「お前さん、剣の神童だったじゃねえか。村に押し入ってきたゴブリンの群れを、お前が一人で切り倒した、あの光景は忘れねえ」


「そうだよ。あんたは村の英雄だったのに」

 マレーおばさんまでが目を潤ませる。周囲の同世代の男たちも口々に続けた。


「そうだそうだ! お前が騎士じゃねえなんて、おかしいだろ?」

「俺たちの誰も勝てなかったんだぜ?」


「……はは」


「もしかして都会で悪いもんにハマったとか?」

「女か? やっぱ王都の女は違うのか?」

「やめなよ」

「いや、気になるだろ!」


「――そんなところだ」

 曖昧に笑って、エールを一口。

 真実は、もっと単純で、もっと厄介だ。

 あがり症。緊張。己の影。


「まじかよおおおー!」

 周囲がどっと沸き、勝手に納得し、勝手に面白がる。

 ありがたくて、少しくすぐったい、故郷の空気だ。


「お兄さん、少し」

 人垣の向こうから、ニッキーが手を振った。

「明日からの仕事の相談がありまして。ちょっといいですか?」


     ◇


 広間の片隅。人の喧騒から少し離れ、ニッキーと向き合う。

「……というわけで、お兄さんには木材の品質チェックと在庫管理をお願いしたいんです」


「待ってくれよ。そんなことより、俺は木を切り倒す方が向いてるぜ」

 思わず身を乗り出した。

 木の見極め、刈り込み、伐倒。斧じゃなくても、俺には――手でも――


 ニッキーは首を横に振った。

「お兄さん。今、うちの会社はこの村の木材の『ブランド価値』を上げようとしています。無闇やたらに切り倒せば、価値は落ちる。

 ――だから、伐採は若い従業員に任せます。お兄さんには、管理者としてドーンと構えていてほしい」


 言い方は柔らかい。だが、決定の固さは隠れていない。

 俺は息を吐き、笑って見せた。


「……はは。わかった。ありがとう」


 席を立つ。

 廊下の灯りに照らされて、影が長く伸びる。

 胸の奥に、ちいさな穴がひとつ、開いた気がした。


(俺は――切れる。山も、木も、岩さえも。

 だけど、ここで俺に求められているのは、切る手じゃない)


 仕事がある。家族がいる。

 それだけで、どれほど恵まれているかはわかっている。

 それでも、刃を振るう場所を取り上げられたような寂しさが、喉の奥で味にならずに残った。


「リーザス?」


 背後から、やわらかな声。

 振り返った俺の視界に、月明かりを受けて光る髪が現れた。


「……エレナ?」


 名前を呼ぶと、彼女は微笑んだ。

 村はずれの丘で花冠を編んでいた少女――俺の、最初の恋の人。

 遠い季節の匂いが、一気に胸へ流れ込んできた。


(それは、俺の初恋の女性だった)


 エレナの瞳が、「おかえり」と言った。

ご読んでくださってありがとうございます!

次回、初恋の子と故郷で結ばれる!?

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