第三の目
訓練場に冷たい朝の風が流れていた。
ゼファルドとルーカが向かい合う。両者とも、余計な言葉は一つもない。
白い砂の上に立つ二人の周囲に、見習いたちの輪ができた。
そのざわめきの中で、リーザスは腕立てをしながらぼそりと呟いた。
「俺は信仰心ってやつが足りなくて、教会での洗礼を受けられなかった」
「俺もだ」
隣で同じく腕立てをするクレオが顔を上げずに答える。
「神聖術は確かに便利だが、洗礼を受けると闘気の総量が半減するって話だからな」
聖騎士たちが使う“神聖術”。
それは国民の女神エーリアへの信仰を代価に得る奇跡。
洗礼を受けた者は契約期間中、自分のマナの半分を女神に捧げ、
その代わりに癒やしと祝福の力を授かる――だが同時に、
身体能力と闘気は半分に落ちる。
「信仰と力は、両立しねえんだな」
リーザスが呟いた瞬間、訓練場の中央から声が響いた。
「神聖術で回復ってのはズルい気もするよね」
ルーカだった。
軽い調子で言いながら、彼は唇の端を上げる。
対峙するゼファルドの眉がぴくりと動いた。
「でも、ズルついでにもうちょっと使っちゃうよ」
ルーカが静かに息を吸い込む。
次の瞬間、彼の額に淡く光る紋章が浮かび上がった。
「……っ、第三の目!?」
リーザスが驚愕の声を上げる。
クレオが歯を食いしばった。
「マジかよ……すでに大僧正クラスのプリーストってことじゃねえか!」
ルーカの瞳が一瞬、金色に光る。
体表を神聖な光が走り、彼の輪郭がぼやけるほどの速度で地を蹴った。
「早い!」
クレオの驚きが漏れる。
「付与呪文で自分の身体を強化してる!」
リーザスが叫ぶ。
ゼファルドが反応する前に、ルーカの横なぎの手刀が迫る。
空気が弾け、ゼファルドは慌てて体を沈めた。
次の瞬間、ルーカの膝が正面から飛ぶ。
「っ!」
ゼファルドは間一髪でバックステップ。
風圧が頬をかすめる。
ルーカが腕を交差した。
その掌に白い光が宿る。
「ダブルで……」
両腕を振り下ろした。
「――【飛竜剣】!!」
空気が爆ぜ、光の十字が走る。
ゼファルドの体が一瞬宙に浮いた。
静寂。
続いて、赤い線がゼファルドの胸に走った。
「……」
わずかに遅れて血が噴き出す。
訓練場がざわめいた。
ルーカが息を整え、額の汗を拭う。
「名付けて――【血の十字架】」
その言葉とともに第三の目がわずかに輝きを放つ。
リーザスが目を見開く。
「ゼファルドの闘気を貫通……あの防御を破るなんて、信じられねぇ」
クレオも呟く。
「竜騎士より戦闘力が高い聖騎士がいるって話、あながち嘘じゃねぇのかもな……」
ルーカは静かに手を下ろし、光を消した。
額の紋章がゆっくりと消えていく。
「どう? 傷、治してあげるから降参しない?」
ゼファルドは目を細め、薄く笑った。
「……この程度でか?」
彼は指先を握りしめ、筋肉を硬直させた。
すると、裂けた胸の傷口から血が止まる。
「肉体術の初歩だ。我らは血管すら操作できる」
「……!」
「それより、貴様こそ限界が近いのではないか?」
ゼファルドがゆらりと両腕を揺らした。
蛇のような動き。
空気がピンと張り詰め、見えない圧力が走る。
ルーカも負けじと目を光らせたが、次の瞬間、ふっと息を吐いた。
「……まいった!」
観客の中から驚きの声が上がる。
「な、なんだと?」
ゼファルドが目を細めた。
ルーカはその場にへたり込み、額の汗を拭った。
「おっしゃる通り、ガス欠です……。
無理して第三の目を使ったけど、まだ早かったみたい」
それでも、彼は笑った。
座り込んだまま、右手を差し出す。
「強かったよ」
ゼファルドは無言でその手を掴み、強く引き上げた。
「勝者、ゼファルド!」
ダミアンの声が響く。
ルーカは苦笑いしながら立ち上がる。
だが、ダミアンの目がぎらりと光った。
「だが! ピーナッツ! 訓練中にへたり込むとは何事だ! 腕立て一万回!」
「ええええっ!?」
「不気味男! 貴様も連帯責任で一万回だ!」
ゼファルドが無表情のまま溜息をつく。
「……了解した」
◇
数分後。
訓練場の端で、リーザス、クレオ、ルーカ、ゼファルドの四人が並んで腕立て伏せをしていた。
「も、もう体が動かねぇ……」
「胸筋を切られた俺よりマシだろう」
ゼファルドが淡々と答え、ルーカは苦笑いを浮かべる。
「でも、すごい戦いだったぜ」
リーザスが息を切らしながら言った。
「お前ら二人とも、本当にすげぇよ」
「いやいや、僕は負けちゃったし」
ルーカは照れ笑いを浮かべ、ゼファルドはそっぽを向く。
「ふん……」
その時、クレオが中央を見た。
「おい、いよいよ本日のメインイベントだぜ」
全員の視線が中央のリングに向かう。
そこには、笑顔で拳を握る竜騎士アブラナと、眼鏡を光らせる魔法騎士メルナが立っていた。
「次――デブチン竜騎士アブラナ! そしてそばかすメガネ、メルナ!」
ダミアンの号令が響く。
訓練場の空気が、一気に熱を帯びた。




