おっさんの本気
訓練場の砂塵がまだ収まらない。
砂の向こうで、クレオがふらつきながら立ち上がった。
口の端から血を拭い、獣のように唸る。
「なめやがって……おっさん。
ちょっと不意打ちが決まったくらいで、いい気になるなよ」
膝を落とし、猫のように体を沈める。
両の指先に、鋭く闘気の爪が立ち上がる。
それはまるで、竜の爪を模したかのようだった。
「俺だって第八騎士団の内定者だ。しかも――」
息を吸い込み、砂を蹴り飛ばす。
筋肉が弾けるように膨張し、爪が唸りを上げる。
「竜騎士志望だって言ったろうがッ!」
閃光のような斬撃が、空気を裂いて飛んだ。
闘気の軌跡が真空の刃と化し、幾本も交差する。
「――【列空爪】!」
風が悲鳴を上げる。
リーザスは咄嗟に腕を交差し、胸を庇った。
ズシャッ!
風圧が皮膚を裂き、服が細かく裂け散る。
数歩下がったところでようやく衝撃が止まり、砂煙が渦を巻いた。
「……!」
リーザスは静かに息を吐き出し、裂けた袖口を見下ろす。
細く血がにじんでいた。
「ふん……闘気を遠くからぶつけても、致命傷にはならん」
「分かってんだよ!」
クレオが地を蹴る。
闘気が爆ぜ、足元の砂が跳ねる。
瞬間、彼の姿がぶれた。
目の前にいない。
右か、左か――風が鳴った瞬間、斜め上から爪が降り下ろされる。
「ヒャオオオオオオオオオオッ!」
まるで嵐のような連撃。
風刃が重なり、竜巻の中に閉じ込められたような圧力が襲いかかる。
「【裂爪旋風拳】!」
連撃、連撃、さらに連撃。
視界が白く霞むほどの攻撃。
だが――。
「……遅い」
リーザスは一歩も退かず、腕を小さく動かす。
闘気の刃を、最小の動きで弾く。
その動きは老練の剣士のように無駄がなく、正確だった。
火花が散り、クレオが苛立ちの唸りを上げる。
「ちっ、さばくのは上手いな……ならば――」
右腕に螺旋の闘気を集中させ、腰を捻る。
風が巻き、拳の周囲で空気が渦を巻いた。
「さばけねえ一撃をくれてやる! ――極穿螺旋掌ッ!」
拳が放たれた瞬間、地面が沈んだ。
螺旋の圧力が真空を押し出し、リーザスの胸を撃ち抜く。
爆風が起こり、砂塵が弾ける。
「ふはっ……どうだ、おっさん!」
クレオの口元に笑みが浮かぶ。
だが、その笑みは次の瞬間、引きつった。
砂煙が晴れた。
リーザスはその場に立ったまま。
胸板には、擦れたような赤い線があるだけだった。
「ば、ばかな……岩をも砕く俺の螺旋掌を……!」
リーザスは小さく息を吐く。
そしてゆっくりと顔を上げた。
その瞳に、炎が宿っていた。
「お前の技なんざ、鬼騎士の一撃に比べりゃ子供のパンチだ」
言葉と同時に、右腕に闘気が集束する。
空気がうねり、砂が地面から浮かび上がる。
周囲の見習いたちが息を呑んだ。
「……じゃあ、次は俺の番だ」
リーザスの声が低く響く。
右腕が光を帯び、竜の爪のような闘気が立ち上る。
その気配に、空気が震えた。
「食らえ……竜爪剣を格技用にアレンジした俺の技だ」
リーザスが地を踏みしめた瞬間、轟音。
砂が爆ぜ、熱が発生する。
「――【竜爪爆震掌】!!」
拳が一度、突き出された。
その一撃が空気を裂き、目に見える衝撃波を放つ。
爆音が二重に響き、風圧で観客が後ろへ押し戻される。
衝撃波がクレオを直撃した。
その拳は確かに一撃だ。
だが衝撃は一点ではなく、全身を貫く。
まるで竜の爪が全方向から叩きつけられたように――。
「う、うがああああああああああああ!!!」
クレオの体が弾かれたように宙を舞い、十メートル以上後方へ吹き飛ぶ。
地面に叩きつけられた瞬間、轟音と砂煙。
観客たちは言葉を失った。
「……そ、それまで!」
ダミアンの怒声が響く。
訓練場の全員が息を呑んだまま動けない。
リーザスは拳を下ろし、ゆっくりと息を吐く。
静寂を破ったのは、どよめきだった。
「嘘だろ……クレオを一撃で……」
「なんで今まで騎士に受からなかったんだ……」
アブラナが腕を組み、笑う。
「オラも戦ってみてぇ!」
ゼファルドは無表情のまま呟く。
「リーザス・モートン……興味深い男だ」
メルナは眼鏡を光らせ、何かをメモしていた。
リーザスは拳を見つめ、ゆっくりと開いた。
掌の奥で、まだ熱が脈打っている。
この拳は十八年、何度も失敗と屈辱を重ねた末に掴んだものだ。
遠くで朝日が昇る。
赤い光が訓練場を染める。
長すぎた停滞の日々が、ようやく終わりを告げようとしていた。
リーザスは空を見上げ、小さく笑った。
おっさんの魂は、まだ燃えていた。




