炎竜エルニード
「ルーカ・ミルヴァン、帰着しました!」
「クレオ・クラヴィル、帰着しました!」
二人の声が、朝焼けに染まる訓練場に響いた。
肩で息をしながら敬礼をすると、審査官の教官が頷く。
「よし、休め!」
「はっ!」
命令とともに張りつめていた空気が緩み、二人は顔を見合わせて笑った。
「つ、着いたぁ……死ぬかと思ったぜ」
「でも、僕たちは速かったほうですよ」
クレオは伸びをしながら辺りを見渡す。
訓練広場のあちこちで学生たちが倒れ込んでおり、医療班が走り回っている。
ルーカが眉をひそめた。
「とはいえ、僕らより帰着が早かった人がいるのは事実ですが……」
二人の視線が自然と一点に集まる。
そこには、既に到着して休息を取っているメルナ・カストラと、無表情な青年ゼファルド・ライオンの姿があった。
どちらも第一陣で戻ってきた実力者だ。
◇
彼らの様子を、高台の塔から見下ろす二つの影があった。
「今年の新米騎士は、なかなか豊作だな」
重厚な声で呟いたのは、壮年の男。
金糸で縁取られた黒い外套の胸元には、学院の紋章。
【グランバキア軍事大学校 校長 ヴィクトール・ブレイズ】
その隣で腕を組むのは、短髪の鬼軍曹――副校長ダミアン・ローベルだった。
「意外ですねぇ。あの魔物もどきが1位で帰ってくるとは」
唇の端を上げながら、ダミアンが吐き捨てる。
「てっきり魔物嫌いの竜に喰われるかと思いましたよ」
「言葉に気をつけろ。元帥閣下直属の研究室出身者だ」
ヴィクトールが眉をひそめる。
だがダミアンはまるで意に介さず、鼻で笑った。
「元帥直属だろうが、騎士団長推薦だろうが、アタシは贔屓なんてしません。むしろ平等に……いや、しっかりイジメてやりますよ」
「……お前の“平等”は怖いな」
「戦場に出れば、アタシの罵声なんて子守唄みたいなもんですって」
二人が言葉を交わす間、訓練場には次々と生徒たちが戻ってくる。
だが、校長の表情がふと曇った。
「……おかしいな。勇者アルベルト推薦の内定者が帰ってきていない」
「はっ、あのデブチンですか? 勇者も物好きですよ。何であんなのに内定出したのか」
ダミアンが肩をすくめる。
さらに口を歪め、面白そうに続けた。
「あと、校長知ってます? 一人だけ“おっさん”の内定者が混じってるんですよ」
「おっさんの内定者?」
その時だった。
――バサァッ!!
耳を劈く羽音。
同時に、訓練場全体に竜の影が落ちた。
学生たちのざわめきが波のように広がる。
教官たちが一斉に空を仰いだ。
「な、なんだ!?」
朝日を背に、巨大な飛竜がゆっくりと降下してくる。
紅い鱗が太陽を反射し、炎のように光った。
「バ、バカな……!」
校長ヴィクトールが息を呑む。
「あれは……炎竜エルニードだ」
◇
砂煙が舞い上がる中、飛竜が着地した。
その背に乗っていたのは――
「いやぁ〜、みんな流石だなあ。オラたち以外、ほとんど帰ってるべ」
満面の笑みで手を振るアブラナ・ルーエン。
そして、その後ろで気まずそうに立つ男。
リーザス・モートン。
訓練場にいた全員が、目を丸くした。
「リーザスさん……!?」
ルーカとクレオが同時に叫ぶ。
ダミアンと校長が慌てて駆け寄ってきた。
「おい貴様ら! どういうことだ、説明しろ!」
アブラナが「えっと、その……」と口ごもる中、
ヴィクトールが竜を見上げ、目を見開いた。
「な……なんでお前らがエルニードと一緒に……!」
「まさか……」
その時、竜の瞳がわずかに光った。
校長の脳内に直接、声が響く。
【久しいな、ヴィクトールよ】
「……!?」
【我はこのアブラナ・ルーエンと契約したのだ。顔見せ式の前ではあるがな】
校長の顔が一気に蒼ざめた。
その場にいた全員が息を呑む。
「ま、まじかよ……そんな事例、開校以来初めてだぜ」
ダミアンの声が震えた。
アブラナは照れくさそうに後頭部をかく。
リーザスは彼女の隣で、いたたまれず俯いた。
「ま、まさか……このおっさんも契約したのか?」
ダミアンの疑惑の視線が刺さる。
「いや、私はですね……」
【この者は契約しておらん。アブラナの願いで“ついでに”乗せてきただけだ】
「……ですよね」
ダミアンがため息をつく。
リーザスの顔が、見事に青ざめた。
訓練場の歓声の中で、ひとりだけ影を落として立ち尽くしていた。
◇
【アブラナ・ルーエンよ】
炎竜エルニードが彼女に語りかける。
【我が必要な時は、いつでも呼べ】
「いんや、俺はここの教練が終わるまでは呼ばねえ!」
【……ほう?】
「オラ、必ずトップの成績で卒業するからよ!」
【分かった。ならばそれまで静かに見守ろう】
竜が翼を広げた。
熱風が訓練場を包み、学生たちの服がばたつく。
羨望と嫉妬、驚愕と恐怖――
その全てが入り混じった視線が、アブラナと竜に注がれた。
エルニードが再び空へ舞い上がる。
【さらばだ】
巨大な翼が陽光を裂き、赤い閃光が砂漠の空を走る。
◇
「お、おい、貴様! 話を聞かせろ!」
ダミアンが怒鳴る。
校長がそれを制して言った。
「校長室に来たまえ」
「かしこまりましたでっす!」
アブラナが敬礼して駆けていく。
ダミアンと校長も続き、リーザスだけが残された。
どんよりとした沈黙。
そこへルーカとクレオが駆け寄る。
「リーザスさん!」
「ははっ、おっさんも乗せてもらってラッキーだったじゃねえか!」
リーザスは無言のまま二人を見た。
目の焦点は合っていない。
「おっさん?」
肩を落としたまま、リーザスはぽつりと呟いた。
「……おっさんで、悪かったな」
そのまま、背を向けて歩き出す。
クレオがきょとんとし、ルーカは胸の奥がチクリと痛んだ。
◇
渡り廊下を歩く。
窓の外では、竜の飛行影が遠ざかっていく。
(……)
心の中に、さっきの記憶が浮かんだ。
【うーん、ちょっと歳が行きすぎであるな……】
「そんな……歳行きすぎって言ったって」
あの時、冗談めかして笑いながら答えた。
「何千年も生きる竜族から見れば、人間の歳の差なんて誤差じゃないですか……」
だが、竜の声は冷たかった。
【貴様は分かっとらんな。我ら竜と人間の関係を――】
リーザスは拳を握りしめた。
胸の奥で、竜の言葉の続きを思い出そうとしていた。
それはまるで、“何かの前触れ”のように思えた。
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