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ノミの心臓のおっさん、竜の心臓を手に入れる  作者: Zoo
第一章 ノミの心臓のおっさん
3/40

三十一歳、目覚めの時

山は朝が速い。


 遠くを見渡せる高台から俺は風を感じながら獲物を探す。右手には年季を感じさせるロングソードのみ。

俺――リーザス・モートンは崖の縁に立ち、眼下の谷を見おろした刃先は風を切って、かすかに音を立てる。


(良い。すこぶる良い!)


 大きな犬が足もとで伏せている。毛並みは灰色、肩まである巨体。名をジョンという。

 鼻をひくひくさせ、こちらの合図を待っている。


 上空で影が動いた。

 大きな鳥が朝日を受けて旋回する。翼の影が崖の縁を流れる。


「……はっ」


 息を切り結ぶのと同時に、剣を払う。

 刃から抜けた気の弧が空を渡り、遠くで鳥の軌道がふらりと傾いた。羽がばらばらと散り、黒い影は谷へと落ちていく。


(よし)


「行け、ジョン!」


 俺が指さすより早く、ジョンは飛び出した。岩から岩へ、四肢がばねのようにはね、尾を真っ直ぐに伸ばして斜面を駆けおりる。

 ほどなくして、嘴をたたき、翼を畳んだ獲物を咥えて戻ってきた。


「いい子だ」


 頭を撫でると、ジョンは得意げに胸を張る。

 俺はそれを受け取り、沢へ下りた。冷たい水で鳥を捌く。刃の通りは滑らかで、骨の節を撫でるだけで関節がほどける。


(いよいよ明日が、正騎士の昇格試験だ)


 水音に紛れて、自分の声が胸の中で響く。

 最後の山籠り。俺は愛犬ジョンと、ここで体と心を整えていた。


(俺は三十一歳。……もう、完全に後がない)

(騎士試験の年齢制限は35歳。だが30を過ぎてなお「正騎士」を目指す者は、ほとんどいない)


 自嘲は浮かべない。言葉に形を与えるだけでいい。

 枝を拾い、火を起こす。脂ののった鳥肉を串に刺し、焚き火にかざした。じりじりと脂が落ち、香ばしい煙が鼻をくすぐる。ジョンは俺の膝に顎をのせ、よだれが落ちないように必死に耐えている。


(……それでも、心は穏やかだ)


 近くの岩に手をすべらせる。

 膝をつき、空手で横薙ぎに手刀を振った。指先が空を裂く音と同時に、岩の表面に白い線が走る。

 ぱきり、と乾いた音。

 岩はきれいに割れ、片側が適度な高さの椅子になった。


(斬岩剣は、極めている。もう、課題ではない)


 腰を下ろし、串を回す。肉の表面がこんがりと色づき、匂いが強くなる。

 火の向こう側に揺らめく自分の影を眺めながら、俺は心の底でゆっくりと言葉を置いた。


(さらに――上級騎士の技、飛竜剣も)


 山の稜線を越える風が、焚き火を揺らす。

 あの“飛ぶ”一撃。

 剣気を弧に束ね、獣の背筋を駆けるように放つ。届くはずのない距離に、刃を届かせる技。

 昨日も、一昨日も、俺はそれを何度も反復した。弧、呼吸、軌跡。迷いはもう、どこにもない。


「もう俺の目標は、試験突破なんかじゃない」


 ジョンに焼けた肉を分けながら、火の赤を瞳に移す。

 焦げの苦みと脂の甘さが舌に広がった。


「――この国の騎士の頂点、だ」


 炎がぱちりと弾け、星のような火の粉が夜空へ昇っていった。


     ◇


 時間は容赦なく過ぎる。

 試験会場――騎士団駐屯地の中央広場は、いつもより人の匂いが濃かった。土の上に新しい足跡が重なり、陽に温められた革の匂いが漂う。


「よう、リーザス」

「マルコ」


 並んで歩く。

 マルコは相変わらず図体がでかく、笑い声もでかい。俺の顔を一目見るなり、口の端を上げた。


「余裕そうだな。今年はノミの心臓、卒業か?」

「もちろん緊張はしてるよ」


 胸に息を入れ、吐く。

 言葉ははっきりしていた。


「――だが、それ以上に、この一年続けた訓練が自信になってる」


 マルコが目を丸くする。

「すげえな。俺なんか、いまだに斬岩剣は三回に一回成功すればいい方だぞ……」


「おーい、リーザス! マルコー!」


 広場の向こうから、明るい声が飛ぶ。

 サーシャだ。店の連中も手を振っている。暇人、と言ってしまえば身も蓋もないが、こういう「暇人」に俺たちはいつも救われている。


「店のみんなが応援に来てくれたぜ。今年はさすがに受かるだろうってよ」

「はは。じゃあ、今夜は祝賀会だな」


 マルコが拳を突き出してくる。

 不意を突かれたが、すぐに意味を理解した。


「ああ――やってやろうぜ」


 拳を合わせる。

 骨に伝わる手応えが、やけに確かなものに思えた。


     ◇


 時間経過。

 名が呼ばれる。試験官の声は固くて、広場の空気をまっすぐ切り裂く。


「次、リーザス。斬岩剣を」

「はい」


 俺は剣を持たず、素手のまま岩へ歩いた。

 ざわ、と空気が揺れるのがわかる。


「お、おい。剣は?」

「……ああ。俺は素手で」


 口に出してから、自分でも笑いそうになる。

 いや、本気だ。斬岩剣はもう手刀でも通る。むしろ最近は、手刀の方が感覚が良い。


「大丈夫」


 振り向いた先で、応援の声が飛んだ。

 サーシャの声は人混みの中でもやけに通る。


(ふっ、サーシャめ。あんな大声で……)


 胸の奥が、ドクン――と脈打った。

 いやな音だ。遠くから近づき、耳の内側で鳴り始める。


(……ん?)


 もう一度、ドクン。

 喉が乾く。指先が少し冷える。

 視界の隅に、試験官の眉間の皺がやけに濃く見えた。


「本当に剣なしでいいのかね?」

「…………」


(やばい。緊張してきた)


 俺は剣帯に手を伸ばした。

「え、いや……やっぱ、剣を使おうかな」


 試験官が小さく肩をすくめ、少しだけ呆れた目で言う。

「なら、早くやりなさい」

「は、はい」


 岩の前に立つ。

 呼吸を整え――たいのに、肺の奥がきゅっとすぼむ。


(なんで俺は剣なんか持ってるんだ)


 自分に自分で突っ込みながら、心臓はドクドクと騒ぎ、体温が額から逃げていく。


(斬岩剣なんか、極めすぎた。剣圧だけでこんな岩、切れる)

(だから最近はもっぱら手刀でやってたし)


 脳裏に手刀で石をスパスパ抜く自分の姿がよぎる。

 彫刻を作るみたいに角を落とし、面を整え――気持ちよくなって、余計なイメージが増える。


(しまった。……むしろ「剣で斬る」なんて、いつぶりだ?)


 握り直す。掌に汗が滲んで、柄巻きが湿っているのがわかる。


(やっぱり、慣れた手刀でやるべきじゃ――)


 指が柄から離れかけた、その時。


「早くしなさい!」


 試験官の声が、雷みたいに頭上で弾けた。

「はっ、はい!」


(だめだ。いまさら変えられない)


 サーシャの顔、マルコの顔、店の連中の顔。

 誰も悪くない。なのに、視線が重くのしかかる錯覚がする。


(大丈夫だ。斬岩剣の型は完璧に身についてる)

(むしろ力を入れず、身を刀に――)


 握りを緩める。

「剣も、握るか握らないかくらい……ゆるりと持って」


 刃が動き出す。

 振りが通る。肩の力が抜け、肘にゆとり。腰の線は――


「――振り切れ!」


 刃筋はまっすぐ。

 だが、その瞬間。掌の中で、汗がぬるりと滑った。

 柄が、指を離れた。


 すぽん。


 剣が空を飛ぶ。

 青い空に銀色の線が走り、観客たちの目が点になる。

 俺、試験官、マルコ、サーシャ――全員の顔が同時にひきつり、口が開く。


 銀の刃は、くるくる、と三度回転し――


(ど、どこへ行く!?)


 俺の心臓は、さっきまでとは別の意味で、最大音量で鳴り始めた。

読んでくださってありがとうございます!

次号、奇跡の逆転合格はあるのか!?

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― 新着の感想 ―
ピッコマで漫画を少し読み、原作があるかな?と思い、見つけました! …そしてあったので是非とも! 一言、あるキャラに文句を言わせていただきたく!!! 誰かって?もちろん…態度がムカつく名前のねぇ試験…
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