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ノミの心臓のおっさん、竜の心臓を手に入れる  作者: Zoo
第一章 ノミの心臓のおっさん
24/40

三十五歳、十八年目の合格

 訓練場の中央には、まだ動かない男がいた。

 瓦礫の中に沈んだリーザス・モートン。

 目を閉じ、血の混じった埃が髪に張り付いている。


 静寂を破ったのは、後輩たちの悲鳴だった。

「リ、リーザスさん……!」

 ガストンとミルドが駆け寄るが、誰もその身体に触れられない。


 観覧席のパルバーチ所長は、砕けた壁の穴を見つめたまま呟いた。

「……なんてことを」


 団長たちは、冷ややかな目でその光景を見下ろしている。

 パルバーチは彼らに顔を向けた。

「君たちも、なぜ止めなかった」


 誰も答えなかった。

 沈黙を裂いたのは、セルゲオの舌打ち。

「ちっ」


 拳から、赤黒い血がぽたぽたと滴る。

 骨が皮膚を突き破り、白い破片が見えていた。

「頭ぁ吹っ飛ばすつもりで打ったんだがな」

 セルゲオが肩を鳴らした瞬間、空気が震えた。


 その時――


 ピクリ、とリーザスの指が動く。

 次の瞬間、ぱちりと目が開いた。


 薄い光の中で、黒い瞳がまっすぐ天井を射抜いた。


 そのまま、ゆっくりと上体を起こす。

 肺が空気を吸い込み、喉から掠れた笑いが漏れた。


(……すごいパンチだった)


 身体の奥から軋むような痛みが湧き上がる。

 だが、脳裏では冷静な声が響いていた。


(瞬間的に、闘気を全部額に集めた。

 あれをやらなきゃ、確実に死んでたな)


 額に手を当てると、熱を帯びた皮膚がじりじりと痛んだ。


 観覧席で、セルエルが小さく笑った。

「まあ、あれだけの拳でも、どこを狙うかわかってたら避けられるよね」


「そりゃセルエルくらい天才ならできるでしょうけど」

 コーネリアが肩をすくめる。


 アルベルトは腕を組んだまま、静かに言葉を継いだ。

「才能があっても、死の恐怖でわずかでも反応が遅れたら、彼は死んでいた。つまり――」


 リーザスがゆっくりと立ち上がる。

 膝をつきながらも、まっすぐ前を向く。


 アルベルトはわずかに笑った。

「大したハート、ってことさ」


 訓練場の光が、リーザスの鋭い視線を照らした。

 砂まみれの顔に浮かぶ決意。

 男の心臓は、まだ止まっていなかった。


     ◇


 観覧席の階段を見上げながら、団長たちは目を細めた。

 血まみれのリーザスが、ふらつきながらも一歩ずつ歩き出していた。


「へっ、無傷かよ」

 セルゲオが唇を歪める。


「コーネリア、俺の第四騎士団で引き受けるってことでいいな?」

「は? じゃんけん勝ったのは私でしょ? あの“おっさん”は私が引き受けるわ」


「はあ? そりゃねえだろ」

「うるさいわね。手、出しなさい。治癒術かけてあげるから」


 セルゲオは少し顔を赤らめ、渋々拳を差し出した。

「ちぇっ」

 掌の上に淡い光が宿り、傷ついた皮膚がゆっくりと再生していく。


「こんな時にラブコメるのやめてくださーい」

 セルエルが茶々を入れる。

「してないわよ!」二人の声が同時に響いた。


 その間に、訓練場の扉が開いた。

 砂の上を踏みしめる音。

 全員の視線が、再び彼に集まる。


 ザッ。


 リーザスが姿を現した。

 血を拭う暇もなく、肩で息をしている。

 その眼だけがまっすぐ前を向いていた。


「リーザス、体は無事か」

 パルバーチが声をかける。


「ええ……死ぬかと思いましたが」

 掠れた笑いが、訓練場の静寂を破る。


 その時、コーネリアが一歩前に出た。

「第七騎士団」


「……!」


 呼びかけに思わず背筋が伸びる。


「あなたの配属は、第七騎士団に内定よ」


「……えっ?」


 言葉を失った俺に、パルバーチが柔らかく頷く。

「ああ、合格だ。おめでとう、リーザス」


 アルベルトが立ち上がり、手を叩いた。

「セイラム王国王立騎士団へ、ようこそ」


 その拍手に合わせて、他の団長たちも立ち上がる。

 セルゲオが鼻を鳴らし、セルエルが口笛を吹き、

 コーネリアは腕を組んだまま微笑んだ。


 訓練場全体に、拍手の音が広がる。

 耳の奥で、ビアンカの声が再び響いた。


――リーザスさんは、私の憧れで、世界で一番かっこいい騎士なんですから。


 胸の奥が熱くなった。

 十八年。

 長すぎる時間を経て、俺はようやくその言葉に応えられた。


 手のひらに感じるのは、竜の心臓――あの小さな石。

 ただの石。

 だが、それを握りしめた瞬間、確かに聞こえた。


(ビアンカ……見ててくれ。やっと、俺は……)


 訓練場に広がる拍手の中、リーザスは天を仰いだ。

 涙はもう流れない。

 それでも、胸の奥の鼓動は誰よりも熱く響いていた。


 十八年目の春。

 彼は、ようやく――騎士になった。


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