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ノミの心臓のおっさん、竜の心臓を手に入れる  作者: Zoo
第一章 ノミの心臓のおっさん
20/40

三十五歳、竜の心臓

 嗚咽が止まらなかった。

 声を殺そうとしても、喉が勝手に震えた。

 握っていた手紙が、涙でぐしゃぐしゃになっていく。


 気づけば、俺は床に転げ落ちていた。

 拳で床を叩き、頭を打ちつける。

「うああああああああああああっ!」

 痛みは、何一つ癒やしてくれなかった。


 ローテーブルの上にある、彼女の服。

 それを掴み上げ、胸に押し当てた。

 まだわずかに残る香り。

 甘くて、少し煙のような、懐かしい匂い。


「ビアンカ……!」


 ジョンが吠えもせず、俺の傍らに来て、そっと身体を寄せた。

 あの忠犬は、何も言わない。ただ、俺の震える背中を鼻先で押した。


 どれだけ泣いていたのか、わからない。

 気づけば夜になり、息が荒く、喉が焼けていた。


「……はぁ」


 目を拭い、深呼吸をひとつ。

 ソファに戻ると、テーブルの上で手紙が皺を伸ばして待っていた。


 続きを、読まなきゃ。


---


【追伸:お守りの石を一緒に送ります。】


---


 便箋をそっとめくると、封の中に何かが入っていた。

 掌ほどの小さなペンダント。

 革紐の先に、透き通った紅い石が揺れている。


 手に取ると、指先が微かに熱を持った。

 心臓の鼓動と同じリズムで、石がかすかに脈打っている気がした。


---


【こっちの地方では、持っているだけで勇気が湧いてくると言われている石で、「竜の心臓」と呼ばれているんですよ。】


---


 彼女の文字が、微笑んでいるように見えた。

 ビアンカは、俺のことをわかっていた。


---


【リーザスさんはいつも自分のことを“ノミの心臓”なんて言っていますが、私にとっては誰よりも勇敢で強い人ですよ。

でも、もしこれが少しでもリーザスさんの励みになればと思って送ります。】


---


 手の中で、紅い石が光った。

 ランプの明かりを受けて、炎のような輝きを放つ。


---


【ただの石かもしれませんが、私の愛情はたっぷり込めておきました。

だから、きっと効果があるはずです。

試験の時も、これを握りしめて頑張ってくださいね。

また会える日まで、どうか元気でいてください。心から愛しています。】


---


 手紙を閉じた。

 目を閉じた。

(……不思議だ。涙は、もう出なかった)


 胸の奥で、何かが静かに変わっていくのが分かった。


 ペンダントを握りしめる。

 全滅とは聞いたが、ビアンカの遺体は発見されていない。


(戦場では、死んだと思われていた者が、生きていたという話は珍しくない)

(捕虜になって、別の地で生きている者だっている)


 俺は立ち上がった。

 目に、再び光が戻る。


(今の俺に、悲しんでいる暇はない)


(南部戦線へ行く。ビアンカを見つける。そのために――)


 胸に手を伸ばし、革紐を首の後ろで結ぶ。

 紅い石が胸元に当たるたび、脈が共鳴するように鼓動した。


(そのためにも、正騎士の立場を取らなきゃならない)


(正式な騎士として、堂々と前線へ行く。そして、ビアンカを……)


 ペンダントを握る手に力が入る。


「ビアンカ……俺に力を貸してくれ」


 ジョンが短く吠えた。まるで、応えるように。

 風がカーテンを揺らし、灯がわずかに明滅する。


 部屋の中で、ひとり――俺は誓いを立てた。


---


### 正騎士昇格試験当日


 朝の王都は、いつもよりざわついていた。

 広場には騎士見習いたちが列を成し、空気が熱を帯びている。

 鎧の擦れる音、祈りの声、乾いた靴音。

 試験を見下ろす位置には、高官たちが四人、並んで座っていた。


「いやいや、まさか君たち騎士団長が昇格試験を見にくるとは」

 所長――パルバーチが笑う。


「やめてくださいよ」

 柔らかい声で笑ったのは、金髪の青年だった。

「僕らはもう卒業しましたけど、この養成所に育ててもらったことは忘れませんから」


 涼しげな瞳に、どこか無邪気さが残る。

(第十二騎士団団長――天才・セルエル・リリス)


「それに、こっちも人材不足でね。優秀な騎士候補は、自分の目で確かめたいんですよ」


 隣で、片目を黒布で覆った女が脚を組む。

「バルバーチ所長が送ってきた正騎士たち、全滅したのよ。補充してもらわないと」

(第七騎士団長・鳳眼のコーネリア)


「コーネリア! 騎士の死の責任は団長自身の責任だろ!」

 低く響く声。角の生えたような男が吠えた。

「お前の未熟を部下に押し付けるな!」

(第四騎士団長・鬼騎士セルゲオ)


「同期だからって偉そうにしないで? 今は私の方が格上だし、私は竜騎士だから」


「はは、やれやれ……」

 ひときわ落ち着いた声が、場をなだめる。

「みんなやめないか。私たちは同門だろう?」

 黒髪に銀の鎧を纏う男――(第一騎士団団長・勇者アルベルト)。


「所長、この度はありがとうございます。

 普段は上からの命令で配属が決まりますが、今回は直接見られるなんて貴重です」

「いや、ワシにできるのはこれくらいだよ。

 戦線の最前に立つ君たちの苦労に比べればな」


 コーネリアが突然目を見開いた。

「あれ!? あれリーザスじゃない!?」

「リーザス?」とセルエルが首を傾げる。


 広場の中央、列の最後尾に――

 ひとりの男が立っていた。


 風に少し乱れた黒髪、くすんだ鎧。

 胸には、紅いペンダントが光を反射していた。


「ほら、覚えてない? 養成所にいた頃の先輩で……“ノミの心臓”って呼ばれてた――」


 だが、今のリーザスの顔に、震えはなかった。

 静かに、しかし確かな闘志が宿っていた。


(待っていろ、ビアンカ。

 この試験を越えて、必ずお前のもとへ行く)


 紅い石――“竜の心臓”が、胸の奥で脈打っていた。



 嗚咽が止まらなかった。

 声を殺そうとしても、喉が勝手に震えた。

 握っていた手紙が、涙でぐしゃぐしゃになっていく。


 気づけば、俺は床に転げ落ちていた。

 拳で床を叩き、頭を打ちつける。

「うああああああああああああっ!」

 痛みは、何一つ癒やしてくれなかった。


 ローテーブルの上にある、彼女の服。

 それを掴み上げ、胸に押し当てた。

 まだわずかに残る香り。

 甘くて、少し煙のような、懐かしい匂い。


「ビアンカ……!」


 ジョンが吠えもせず、俺の傍らに来て、そっと身体を寄せた。

 あの忠犬は、何も言わない。ただ、俺の震える背中を鼻先で押した。


 どれだけ泣いていたのか、わからない。

 気づけば夜になり、息が荒く、喉が焼けていた。


「……はぁ」


 目を拭い、深呼吸をひとつ。

 ソファに戻ると、テーブルの上で手紙が皺を伸ばして待っていた。


 続きを、読まなきゃ。


---


【追伸:お守りの石を一緒に送ります。】


---


 便箋をそっとめくると、封の中に何かが入っていた。

 掌ほどの小さなペンダント。

 革紐の先に、透き通った紅い石が揺れている。


 手に取ると、指先が微かに熱を持った。

 心臓の鼓動と同じリズムで、石がかすかに脈打っている気がした。


---


【こっちの地方では、持っているだけで勇気が湧いてくると言われている石で、「竜の心臓」と呼ばれているんですよ。】


---


 彼女の文字が、微笑んでいるように見えた。

 ビアンカは、俺のことをわかっていた。


---


【リーザスさんはいつも自分のことを“ノミの心臓”なんて言っていますが、私にとっては誰よりも勇敢で強い人ですよ。

でも、もしこれが少しでもリーザスさんの励みになればと思って送ります。】


---


 手の中で、紅い石が光った。

 ランプの明かりを受けて、炎のような輝きを放つ。


---


【ただの石かもしれませんが、私の愛情はたっぷり込めておきました。

だから、きっと効果があるはずです。

試験の時も、これを握りしめて頑張ってくださいね。

また会える日まで、どうか元気でいてください。心から愛しています。】


---


 手紙を閉じた。

 目を閉じた。

(……不思議だ。涙は、もう出なかった)


 胸の奥で、何かが静かに変わっていくのが分かった。


 ペンダントを握りしめる。

 全滅とは聞いたが、ビアンカの遺体は発見されていない。


(戦場では、死んだと思われていた者が、生きていたという話は珍しくない)

(捕虜になって、別の地で生きている者だっている)


 俺は立ち上がった。

 目に、再び光が戻る。


(今の俺に、悲しんでいる暇はない)


(南部戦線へ行く。ビアンカを見つける。そのために――)


 胸に手を伸ばし、革紐を首の後ろで結ぶ。

 紅い石が胸元に当たるたび、脈が共鳴するように鼓動した。


(そのためにも、正騎士の立場を取らなきゃならない)


(正式な騎士として、堂々と前線へ行く。そして、ビアンカを……)


 ペンダントを握る手に力が入る。


「ビアンカ……俺に力を貸してくれ」


 ジョンが短く吠えた。まるで、応えるように。

 風がカーテンを揺らし、灯がわずかに明滅する。


 部屋の中で、ひとり――俺は誓いを立てた。


---


### 正騎士昇格試験当日


 朝の王都は、いつもよりざわついていた。

 広場には騎士見習いたちが列を成し、空気が熱を帯びている。

 鎧の擦れる音、祈りの声、乾いた靴音。

 試験を見下ろす位置には、高官たちが四人、並んで座っていた。


「いやいや、まさか君たち騎士団長が昇格試験を見にくるとは」

 所長――パルバーチが笑う。


「やめてくださいよ」

 柔らかい声で笑ったのは、金髪の青年だった。

「僕らはもう卒業しましたけど、この養成所に育ててもらったことは忘れませんから」


 涼しげな瞳に、どこか無邪気さが残る。

(第十二騎士団団長――天才・セルエル・リリス)


「それに、こっちも人材不足でね。優秀な騎士候補は、自分の目で確かめたいんですよ」


 隣で、片目を黒布で覆った女が脚を組む。

「バルバーチ所長が送ってきた正騎士たち、全滅したのよ。補充してもらわないと」

(第七騎士団長・鳳眼のコーネリア)


「コーネリア! 騎士の死の責任は団長自身の責任だろ!」

 低く響く声。角の生えたような男が吠えた。

「お前の未熟を部下に押し付けるな!」

(第四騎士団長・鬼騎士セルゲオ)


「同期だからって偉そうにしないで? 今は私の方が格上だし、私は竜騎士だから」


「はは、やれやれ……」

 ひときわ落ち着いた声が、場をなだめる。

「みんなやめないか。私たちは同門だろう?」

 金髪に青の鎧を纏う男――(第一騎士団団長・勇者アルベルト)。


「所長、この度はありがとうございます。

 普段は上からの命令で配属が決まりますが、今回は直接見られるなんて貴重です」

「いや、ワシにできるのはこれくらいだよ。

 戦線の最前に立つ君たちの苦労に比べればな」


 コーネリアが突然目を見開いた。

「あれ!? あれリーザスじゃない!?」

「リーザス?」とセルエルが首を傾げる。


 広場の中央、列の最後尾に――

 ひとりの男が立っていた。


 風に少し乱れた黒髪、くすんだ鎧。

 胸には、紅いペンダントが光を反射していた。


「ほら、覚えてない? 養成所にいた頃の先輩で……“ノミの心臓”って呼ばれてた――」


 だが、今のリーザスの顔に、震えはなかった。

 静かに、しかし確かな闘志が宿っていた。


(待っていろ、ビアンカ。

 この試験を越えて、必ずお前のもとへ行く)


 紅い石――“竜の心臓”が、胸の奥で脈打っていた。


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