表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ノミの心臓のおっさん、竜の心臓を手に入れる  作者: Zoo
第一章 ノミの心臓のおっさん
2/44

母ちゃんからの手紙

 ――夜。

 自分の家の、薄い扉の向こうから「うおおおおおお!」という呻き声が漏れていた。


犯人はもちろん俺である。


 布団に顔を埋め、両手で枕を抱きしめ、声にならない声を出し続けた。どこにもぶつけようのない悔しさが胸の裏でぐるぐる回って、やっと声に変換されるのがこの情けない唸りだけだというのが、また惨めだった。


(俺は……十二年連続で昇進試験に落ちた)


 言葉にすると、現実が重くなる。不思議なものだ。

 でも、言葉にしておかないと、今日の失敗も「たまたま」と誤魔化してしまいそうだった。

 十二年。

 この十二年の間に、同期の何人が昇格し、何人が郊外の駐屯へ飛ばされ、何人が剣を置いたか。全部、見てきた。

 俺だけが、足踏みを続けている。


     ◇


 翌日も、城の門は開くし、王都には朝がくる。

 雑兵の仕事は、日々変わらない。来訪者の身分を確かめ、荷車の荷を検め、門扉の蝶番に油を差し、時に泥棒を追い、時に迷子を助ける。

 俺は槍に体重を預け、往来を無言で見ていた。


(なんでだろうな。普段できる事が、試験になるとできなくなる)


 わかっている。

 原因は、俺の性格だ。

 極度の――あがり症。人前に出た瞬間、喉が塞がり、体温が逃げ、手足が思惑と別の方向へ動く。

 戦場では? 不思議と動ける。敵の罵声より、味方の期待より、命の音のほうが静かで、真っ直ぐだからだ。

 だが「試験」は違う。

 俺の内側に潜む「観客」が、いちばんうるさい。


「おーい、ノミの心臓のおじさん!」


 背後から甲高い声。

 振り返ると、そこには黒髪を三つ編みにした少女――いや、もう少女と呼ぶには逞しくなった、酒場の看板娘サーシャが、片手をひらひら振っていた。


「誰がおじさんだ、サーシャ。俺はまだ三十歳だっつーの」

「三十歳はおじさんでしょ?」

「ぐ、ぐぬ・・・」


「聞いたわよ、また試験に落ちたんだって?」

「……うっ」


 彼女は悪気がない。いつも真正面から切り込んでくる。

 だから、痛いところを容赦なく刺す。


「うちの店で残念会やるって。おいでよ。みんな奢ってくれるってさ」

「ほ、本当か」

「出世払いだって。『将来の団長様に貸しを作っておく』って、常連のみんなが」


 俺は思わず笑ってしまった。

 雑兵の給金は、笑えるほど安い。出世払いという言葉は、どこか救いに聞こえる。


     ◇


 夜。

 街外れ場は、いつもの煙と油と笑い声の混ざった匂いで満ちていた。

 扉を開けた瞬間、常連が口々に囃し立てる。


「おっ、ノミの心臓!」

「今夜は飲もうじゃねえか、リーザス!」

「出世払いでな!」


 カウンターの向こうでサーシャが呆れ顔をしながらも笑っている。

 テーブルには顔なじみの連中が揃っていて、その中に俺と同い年の雑兵仲間、マルコの大きな肩も見えた。


「だからな!」

 俺は酔が回るにつれ、声がでかくなる。

「俺は本当は実力はあるんだ! 練習じゃ百発百中なんだよ!」

「知ってるぞー!」

「河原で岩を両断してたの見た!」

「城壁の影で木杭を紙みたいに切ってた!」


「見てろよ!」

 俺はテーブルの上の空き瓶を掴み、構えを取る。

「手刀でだって――」


 ズバッ。

 瓶は、笑えるほど見事に真っ二つになって床へ転がり、店内に「おおおおお!」という歓声が渦巻いた。

 俺の心臓は、嬉しさで一拍、正しく鳴った。


「ちょっと!」

 そこへ、サーシャがトレイで俺の額をぺしっと叩く。

「瓶を無駄にしないでよ! 片付けるの誰だと思ってるの!」

「す、すまん……」


「なーんで、手でもできることが、剣を持つとできないんでしょうね?」

 テーブルを拭きながら、半ば本気、半ば冗談かのようにサーシャ。

 こっちだってなんでだか知りたい。


「しょうがねえよ。リーザスはノミの心臓だからな」

 マルコが即座に回答する。肩で人を押しのけながらジョッキを傾け、泡を髭につける。

「うるせーな、マルコ。お前だって今年も落ちた雑兵同士じゃねーか」

「いやー、俺とお前は違うだろ」

「何がだよ」

「俺は斬岩剣なんて五回に一回成功すればいい方。落ちて当然。だけどお前は、練習では百回中百回だろ? 本番でだけ失敗する」


 周囲が「それな」と、妙に優しい笑い方をした。

 図星。だからこそ、悔しい。


「結果だけ見たら同じだろ」

「まあな」

「でも、来年こそは受かりたいよな」

「だな。来年こそ」


「じゃあ――」

 常連のひとりが立ち上がる。

「万年見習い騎士の二人の、来年の正騎士昇格を祈願して……乾杯!」

「乾杯!」


 笑い声。木製のジョッキが触れ合う鈍い音。

 俺は笑いながら、胸のどこかがきゅっと痛むのを誤魔化した。


(まあ、いいか。来年また頑張ればいい)

(俺には夢があって、仲間がいて、実力もある――)


(そう俺たちの人生はこれからだ!)


     ◇


 深夜。

 家の扉を開けると、室内の空気は冷えていた。

 ざらつく喉で水を飲み、靴を脱ぎかけたところで、足先が何かに当たる。封蝋のついた手紙だった。

 差出人の文字を見て、胸が少しだけ固くなる。


「……お袋からか」


 ベッドに腰を下ろし、しばらく封を切れずにいた。

 紙の重さが指に残る。

 怖いのだ。

 親の手紙を読むのが。


 俺は故郷を出るとき「正騎士になったら帰る」と言い残した。

 王都へ出て、もう十年以上。

 帰郷は、果たせていない。


 意を決して、封を切る。

 便箋の匂いは、少しだけ樹脂の香りがした。山あいの村の、樹の匂い。


『リーザス、元気かい?』


 一行目で、瞼の裏が熱くなる。

『お母さんは五十五歳、お父さんは五十八歳になりました。お前は三十だったかしら。三十の頃は、父さんもまだ山で若い者に負けなかったよ』

 母の文字は、若い頃より幾分丸くなっていた。

『今年の試験は、どうでしたか?』


(ごめん、母ちゃん。俺、落ちたよ……)


『お父さんは最近、腰を痛めてね。しばらく仕事を休んでいます。木こりは体が資本だから、若い者に任せるように言ってるけれど、なかなか人手が足りないようで……。あんたが帰ってきて手伝ってくれたら、どんなにいいか――そんな風に考えることもあるよ』


(父ちゃん……)

 大きな手。節くれだった指。斧の柄に残った手垢の色。

 俺は剣を握るたびに、あの手を思い出す。


『でもね、お母さんは、歯を食いしばってでも「帰ってきて」とは言いません。リーザスが夢を叶えることが、リーザスの幸せだって分かっているから。

 あなたは私たちの誇りです。いつだって応援しているよ。お母さんより』


 ぽとり、と音がした。便箋に透明な染みが広がる。

 俺の涙だと気づくまでに、少し時間がかかった。


(俺は……何をやってるんだ!)


 嗚咽が喉の奥でつっかえ、肩が震える。

 膝を抱え込むと、狭い部屋がさらに狭くなる。

 壁に立てかけた剣が、黙ってこっちを見ていた。


(夢があって、仲間がいて、実力がある?)

(俺たちの人生はこれから?)


 口に出してみると、薄っぺらい。

 熱だけで膨らんだ風船みたいに、触れたらしぼむ理屈だ。


(認めろよ、リーザス。てめえの人生、とっくに崖っぷちだろ)


 頭の中の声が、奇妙に澄んでいた。


「来年だ」

 立ち上がる。

「来年、絶対合格する」


 剣帯を掴む。鞘が脚に当たって、金具の冷たさが布越しに伝わる。

「だったら、無駄な時間なんか一秒だってないはずだ」


     ◇


 夜の王都は、昼間と違う顔を見せる。

 人影の薄い通りに月明かりが落ち、石畳の濡れた部分が銀色に光った。

 河原は潮の引いた海岸のように広く、風が川上から真っ直ぐに吹き抜けてくる。


 俺は足を開き、砂利を踏み固め、静かに剣を抜いた。

 呼吸を整える。

 肺が冷たい空気で満ち、血がゆっくりと全身を巡るのを感じる。

 余計なことを考えない。考えるべきことはただ一つ。

 刃筋。

 それだけだ。


「絶対に、来年正騎士になる」

 声は誰に向けてでもない。夜に向かって置く、約束の印。

「いや、その先だ。上級騎士に飛び級して、戦場で活躍してやる」

 口に出すと、目標は形を持つ。

「そして……騎士団長になって、父ちゃんと母ちゃんを王都に呼ぶ。できれば、そろそろ孫の顔も――」


 脳裏に、サーシャの顔が浮かんだ。

 慌てて頭を振る。

「ば、バカか俺は。雑念、去れ。全部、剣に注げ!」


 剣が振り下ろされる。

 空気の皮膜が裂ける音が、薄く鋭く耳朶を打つ。

 俺の内側で、何かが「カチリ」と噛み合った。


 ――飛んだ。

 目には見えない。だが確かに、圧が走った。

 刃が生むはずのない「余波」が、弧を描いて川面を渡る。

 遠くの崖――昼間の訓練場からさらに先、月明かりに白く浮かぶ岩肌に、線が入る。

 次の瞬間、岩肌が静かに、しかし確実に、斜めに割れた。


「こ、これは……」


 剣先が震えるのは、恐怖ではない。

 歓喜だ。

 十二年、掴めなかったものが、今、指の腹に形を持って乗っている。


 三十の夜。

 ノミの心臓と笑われ続けた男は、その夜、遅すぎる一歩を、確かに踏み出した。


     ◇


 河原を渡る風は冷たい。

 でも、胸の中には、焚き火みたいな熱が生まれていた。

 剣を納め、柄頭に額を当てる。

 深く、長く息を吐いた。


(ここからだ。ここから、俺の物語が始まる)

読んでくださってありがとうございます!

開眼したリーザス、ついに次回騎士になるのか!?

★や感想、ブクマで応援してもらえると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ